イギリスの通貨はポンドだが、イギリス最北端に位置するスコットランドでは、ポンドと同じ価値をもつ別の紙幣が使われていることをご存知だろうか。これにはイギリスの通貨を発行するイングランドと、スコットランドが長く対立してきたことが関係している。
そんな背景をもつスコットランドの紙幣において、2007年からデザインを新しくした20ポンド札には、なんと日本人の姿が描かれているのだ。
同じ日本人としては誇らしいことだが、彼のことを知らない日本人も多い。今回は紙幣にまでなったその偉業に迫っていくこととしよう!
【世界雑学】フォース鉄道橋と渡邊嘉一の関係とは?
【雑学解説】フォース鉄道橋の建設で活躍した渡邊嘉一
スコットランドの20ポンド札に描かれている日本人は、日本土木業界の父として名高い「渡邊嘉一」だ。
土木、鉄道業界において多くの企業経営に携わってきた人物だが、その業績に対して日本での知名度はさほど高くない。実際初耳だという人も多いだろう…。しかしスコットランドではその姿が紙幣に描かれるほど、称えられている日本人なのだ。
渡邊氏のスコットランドでの偉業とは、1890年に完成し、2015年に世界遺産にも登録された「フォース鉄道橋」の建築現場において、監督係を務めたことである。
スコットランドの首都エディンバラから北上するには、大陸に深く切り込んだフォース湾を越えなければならず、以前のスコットランドは交通に大きな難を抱えていた。
これを解決に導き、経済的にも大きな効果をもたらしたフォース鉄道橋は、今やスコットランドになくてはならない存在なのだ。
動画からもそのスケールが伝わってくる!
そういった経緯から2007年より発行されているスコットランドの20ポンド札には、このフォース鉄道橋が描かれているのだ。
そしてその建設最中に行われた、強度を実証するための実験に渡邊氏が携わっており、その様子も一緒に紙幣に描かれることになったのである。
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渡邊嘉一がフォース鉄道橋の建設に参加した理由とは?
紙幣に描かれた実験は、1887年、王立科学研究所にて行われた。そのとき、建設を請け負っていた工務所の経営者ジョン・ファウラーと、ベンジャミン・ベイカーが支える模型の真ん中に、橋に掛かる荷重の役割として渡邊氏が座ったのだ。
どうして日本人である彼がそれほどの重要ポジションを任されることになったのか。実は渡邊氏はスコットランドなまりの英語に理解があり、現地で優れた統率力を発揮していたため、経営者2人からの信頼が厚かったのだ。
渡邊氏には1883年に工部大学校(現在の東大工学部)を首席で卒業した経歴があり、その工部大学校には、当時の最先端を担っていたスコットランド人の教師が多かった。彼の英語力はここで磨かれたため、スコットランドのなまりにも対応できたわけだ。
そしてフォース鉄道橋は東洋が起源とされる「カンチレバー式」という構造を用いたものだった。そのことから東洋に対する敬意を込めて、日本人の渡邊氏がこの役を任されるにいたったのだ。
紙幣に描かれたこともそうだが、国の明暗を分ける重要な実験に、外国人が採用されることは普通あり得ない。スコットランド…なんと懐が深い国なんだ!
【追加雑学】フォース鉄道橋の悲惨な事故
フォース鉄道橋が多大な評価をされているのは、当時のスコットランドで橋に関する大きな事故が起こったことも関係している。
フォース鉄道橋が建設される以前の1878年、鉄道技師のトマス・バウチによってフォース湾と同じく大陸に深く切り込んだテイ湾を渡る橋が建設された。そしてフォース鉄道橋も、もともとはバウチによって建設される予定だったのである。
しかしこのテイ橋は完成からなんと1年で崩壊してしまった。理由は横からの強風に橋の構造が弱かったためである。この事故には汽車も巻き込まれ、多くの被害者を出す結果に…。莫大な費用を要したというのに、なんと悲惨なことだろう。
こうした経緯から、バウチはフォース鉄道橋の建設から外されてしまい、ファウラーとベイカーの工務所に白羽の矢が立ったのだ。
テイ橋の事故があったからこそ、フォース鉄道橋には東洋生まれのカンチレバー式が採用された。そして事故を二度と繰り返してはいけないという想いから、その功績が後世に渡って称えられることになったのだ。
「渡邊嘉一とフォース鉄道橋」の雑学まとめ
渡邊嘉一は今もスコットランドを支え続けるフォース鉄道橋の建設において重要な役割を担った、誇るべき日本人だ。外国の紙幣になってしまうなんて前代未聞ではないか!
それなのに日本人には彼を知らない人も多い。渡邊氏のように海外で活躍する人を見習って、我々日本人はもっと世界へと目を向けていくべきなのだと実感させられる。