今どきの盆踊りは、炭坑節や東京音頭といった定番曲のみではなく、J-POPなども盛んに取り入れられ、時代とともに進化を続けている。
そう、これまでだって、盆踊りは進化を繰り返してきたのだ。なんでもその起源を辿ると、平安時代の宗教儀式に辿り着くというが…。真相に迫ると、「どうしてお盆に踊るのか」という、盆踊りの本来の意味も見えてきたぞ!
【歴史雑学】盆踊りの起源は踊念仏
【雑学解説】盆踊りの起源「踊念仏」を広めた2人の僧とは?
盆踊りはもともと、お盆に帰ってくる先祖の霊を慰めるために行われた風習だ。文献によると、正式に「盆踊り」と銘打って行われたのは、室町時代が最初だという。しかしその起源をさらにさかのぼると、鎌倉時代に庶民に広まったとされる踊念仏へと行き着く。
踊念仏は、太鼓や鉦を打ち鳴らしながら、音楽にあわせて念仏を唱える仏行の一種。これを考案し、世に広めた人物が「平安時代中期の僧・空也」と、「鎌倉時代中期の僧・一遍」である。
空也の名前はどこかで聞いたことがある人も多いのでは? そう、歴史の教科書に載っている「空也上人立像」のご本人さまである。理由はよく分からないが、口から6体の阿弥陀様を吐いちゃってるあの人だ。
踊念仏は一宗派の布教のために行われた
事の起こりは、空也が比叡山の念仏行をもとに京都市中で踊りまわったことにある。市中の人々は、突然に踊り始めた彼の姿に驚いたに違いない。なにせ街中で、お坊さんがぶつぶつ念仏を唱えながら、右に左に体をくねらせているのだ。
神聖な路上パフォーマーといったところか…。なかには訳が分からず、笑ってしまった人もいたかもしれない。ただ、空也は踊念仏を始めたといわれているものの、正式にその記録は残っておらず、踊念仏を普及させたとは言い難い。
踊念仏が全国に広まったのは、空也の時代から300年ほど経った鎌倉時代中期の話。そう、浄土教の一宗派・時宗の開祖として知られる僧・一遍によって広められたのだ。
彼は布教活動のなかで踊念仏を行い、死者の供養だけでなく、現世に生きる自分たちにもご利益があると説いてまわった。某通販番組の社長さながら、お得感モリモリのセールストークである。
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以降、奇抜な衣装や、振り付け、音楽スタイルの進化によって、さまざまな踊りの様式が生まれるようになった。それが盆踊りの始まりとされる室町時代の「風流踊り」へとつながっていくのだ。
ちなみに現在でも岐阜県中津川市では、お盆のお祭りで風流踊りが踊られている。今は「○○音頭」のような歌に合わせて踊るパターンが多いので、笛や太鼓に合わせて踊る様子はちょっと珍しくも思える。
【追加雑学①】踊念仏と念仏踊りでは意味が異なる
踊念仏と似た言葉に「念仏踊り」があるが、これらは言い回しが似ているだけで、ふたを開けてみると全然違う。
- 踊念仏…仏行の一種として、念仏を唱えることに重点が置かれた宗教上の儀式
- 念仏踊り…宗教色を排し、娯楽・風流・芸能を追及した、多くの人が親しみやすい踊り
という感じだ。これを見ると誰しも気兼ねなく参加できる盆踊りは、念仏踊りの一種とするのが正しいのだろう。つまり踊念仏をとっつきやすくしたものが、念仏踊りというわけだ。…それにしてもややこしい。もう少し別の名前はなかったのか?
以下は神奈川県藤沢市にある遊行寺の踊念仏を映したもの。たしかに盆踊りとは違った神妙な雰囲気がある。
【追加雑学②】盆踊りは、セフレを求めて集まる場だった
盆踊りはかつて、踊り手が自らの性をアピールする目的で行われていたこともある。既婚者に関係なく、男女が一夜をともにする出会いの場として機能していたのだ。いわばセフレのたまり場である。
盆踊りの場で乱交を行うこともあったというから驚かされる。明治時代にはそうした風紀の乱れから、警察も取り締まったほどだ。
老若男女が一緒になって和気あいあいと踊る現代では想像もつかないが、こうした風習は昭和の時代まで続いたという。当時は夜な夜な異性とやり取りできる機会など、この他にはなかったのかもしれない。
雑学まとめ
盆踊りの起源は、平安・鎌倉時代の踊念仏までさかのぼれることがわかった。もとは宗教儀式だったものが、後に庶民のイベントとして徐々に進化していったのである。
現在では東京の都心、六本木や渋谷などでも開催されていたりと、若者のイベントとしても人気だ。死者を慰める意味合いは薄れつつあるが、人々はそこに他人との繋がりを求めて、今後もその時代に合った催しを行っていくのだろう。