グループや親子連れなどに人気があるボウリング。読者の方のなかにも、きっとボウリング好きな方がいらっしゃるだろう。
ボウリングの起源は古く、紀元前の古代エジプトまでさかのぼることができる。約7200万年前のエジプトの古墳からは、ボウリングに使用されたボールやピンなどが発掘されているのだ。
では、日本でボウリング場が初めて開設されたのはいつの頃だったのか。この記事では江戸時代の長崎にあったとされるボウリング場の雑学についてご紹介する。
【スポーツ雑学】江戸時代の長崎にはボウリング場があった
【雑学解説】ボウリングのルーツは長崎・出島にあり!一言伝えたい…ありがとう、長崎。ありがとう、オランダ人。
日本のボウリングの発祥地とされるのが長崎である。江戸時代の末期にあたる1861年、長崎の出島のオランダ人留置地に、日本初のボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設された。江戸時代にしては洒落た名をもつボウリング場である。
ボウリング場の開設時には、日本初の英字新聞である「ナガサキ・シッピングリスト・アンド・アドバタイザー」紙上に、施設の開設を告げる広告文も掲載されたほどだった。
長崎のこのボウリング場を皮切りに、1864年には横浜・1869年には神戸でも、日本に駐在する外国人専用のボウリング場が相次いで開設されていった。わずか10年あまりで急激な広がりを見せたのだ。
現在、長崎県・出島には「ボウリング発祥の地」として、ピンとボールをあしらった記念碑が建てられている。また日本初のボウリング場が開設された日を記念して、1972年に日本ボウリング場協会は、6月22日を「ボウリングの日」として制定している。
ちなみに、当時使用していたボールは指を入れるための穴がなく、両手で投げていたとされる。またその材質は木製でつくられていたという。その点が現在とは異なっている。
私たちがボウリングをプレイできるのも、この歴史があるからこそ。筆者がボウリングをしたのはすっかり昔の話だが、これだけは声を大にして言いたい。
ありがとう、オランダ人。ありがとう、長崎!
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【追加雑学①】えっ…マジ?近代ボウリングのルーツは、ドイツの有名宗教家にあった!
ドイツの宗教家「マルティン・ルター」。中学や高校の授業などで、一度は聞いたことのある名前ではないだろうか。じつはルターは、ボウリングに大きな影響を与えた人物なのだ。
ヨーロッパにおいてボウリングは、もともと災いや魔を払う宗教色の強いものだった。たとえば、中世以前のドイツやオランダでは、ボウリングはピンの形から、ドイツ語で円錐(えんすい)の意味をあらわす「ゲーゲル」と呼ばれ、ピンを多く倒すと罪を清められると信じられていた。
そのため、宗教的な儀式として人々に認知されていたのだ。だが、当時の「ゲーゲル」のルールは、ピンの本数をはじめ、ピンの配列や形状なども地域や国によって違いが見られたという。そのルールを統一したのが、16世紀のドイツの宗教家として知られるマルティン・ルターだった。
ルターは9本のピンをひし形に置くように統一するという基本的なルールを作ったとされる。この遊びは、現在でもヨーロッパを中心に「ナインピンズ」として人々に親しまれている。下の動画は、「ナインピンズ」の大会の様子だ。
映像を観ると、ボウリングのピンがひし形状に、9本置かれていることが確認できる。この「ナインピンズ」が、17世紀にオランダ人によってアメリカへもたらされたが、国内でこの遊びが賭け事の対象となったために、一時廃止された。
そして19世紀に現行の10本のピンを倒す、「テンピンボウリング」として新たに生まれ変わったのである。これが我々がプレイするボウリングのルーツとなった。
なお、先にご紹介した、長崎・出島のオランダ人居留地に設けられた「インターナショナル・ボウリング・サロン」で行われていたのは、この「ナインピンズ」だったと推定される。
歴史をひも解くと、ルターとボウリングには深いつながりがあったのだ。ルターさんは、やっぱり偉い人だった!
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【追加雑学②】ボウリングだけじゃない!長崎・出島は、外国の最先端な文化が集まる世界の見本市だった!
長崎・出島で生まれたスポーツは、ボウリングのみならず他にも存在する。そのスポーツのひとつがバドミントンである。バトミントンは長崎が発祥とされるスポーツなのだ。
バドミントンは、江戸時代にオランダの商館に住む人々が「ウーラング」と呼ばれるハネを「ラケット」で打ちあう遊びとして日本に持ち込まれた。当時の絵図や記録には、バトミントンに興じる人々の様子が記されているほど。
これを記念して、昭和54年に長崎県バドミントン協会は、「バドミントン伝来之地」の記念碑を長崎・出島に建てた。長崎・出島はボウリングだけではなく、バトミントンの発祥地でもあるのだ。
それだけに留まらない。オランダの商館長の日記に記録されている「ビリヤード(玉突)」や、中国から長崎に伝わったと記録に残された「けん玉」なども、長崎県・出島を発祥とするスポーツ(遊具)なのだ。
江戸時代、国内で唯一、外国との交易がなされていた長崎・出島。この地は、鎖国時代の日本にあって、各国の文化が集まる「世界の見本市」のような場所だったのかもしれない。
雑学まとめ
日本初のボウリングが江戸時代の長崎で開設された雑学と、長崎・出島にもたらされたスポーツをご紹介してきた。江戸時代に外国との交易を許されていた長崎県・出島。
そこには、現在の私たちにもなじみ深い、ボウリングやバトミントンといったスポーツが、外国の人々によって持ち込まれていたのである。
江戸時代といえば、鎖国のイメージが強いが、この時代に入ってきた現在のスポーツの普及ぶりを思うと、新しい物事や文化を取り入れることの重要性をあらためて思い知らされる。
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