健康志向の影響や受動喫煙などの問題もあって、世間は喫煙者に厳しい目を向けている。だが、日本の歴史をひも解けば、そうした兆候はすでに江戸時代から始まっていた。
そう、なんと江戸時代には禁煙例が出されていたのだ。この記事では、2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)が日本で初めて出した禁煙例についての雑学をご紹介する。
【歴史雑学】日本で初めて禁煙令を出したのは徳川秀忠
【雑学解説】親子2代、たばこにまつわる日本初の記録をもつ「家康」と「秀忠」
江戸幕府の創始者・徳川家康と2代将軍・秀忠の親子は、たばこにまつわる日本初の記録をもっている。その経緯を以下にご紹介しよう。
そもそも、日本にたばこがもたらされたのは、鉄砲とともに伝来したとする「南蛮貿易説(1543年)」と、秀吉・家康の世に伝来したとする「慶長年間説(1596年~1614年)」のおもに2つの説がある。
だが、現存する資料や記録によると、慶長時代の1596年前後に、ポルトガルやスペインから入ってきたとする説が有力のようである。
日本の喫煙に関する最も古い記録は、1609年、戦国時代から江戸時代前期の皇族・歌人だった八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう)が記した『煙草説』。
江戸時代初期の日本で宣教活動を行なった、フランシスコ会のスペイン人修道士が記した『ブルギーリョスの報告書』などがある。
一方、たばこの種子を日本で初めて受け取ったとされる人物が、徳川家康である。1601年、スペインのフランシスコ会の修道士「ヘロニモ・デ・ヘスス」から、「たばこ」の原料葉とその種子を献上されたのだ。
当時の喫煙方法は、現在の「葉巻たばこ」とは異なり、葉を火皿に詰めて吸引する「煙管(キセル)」が一般的で、非常に高価な薬品とされていた。そのため、喫煙できるのは裕福な武士か商人に限られていた。
こうした時代に禁煙令を出した人物が、2代将軍・秀忠である。
2代将軍・徳川秀忠が公布した禁煙令
この時代の前後から、たばこは庶民のあいだに広まっていた。だが、秀忠が将軍職に就いた1605年以降、たばこにまつわる取り締まりが行われるようになった。
というのも秀忠が禁煙令を出したのは、家康のおひざ元である駿府城内で、不審火による火災が度々発生したからだといわれている。
事態を重く見た秀忠が、1609年に禁煙令を出しことを皮切りに、以後、幕府はたばこの耕作や売買の禁令を公布し、罰則を設けたとされる。
だが相次ぐ禁令にもかかわらず、喫煙者は増え続け、「たばこ」に税を課す藩もいたほどだった。徳川3代将軍・家光の代に入ると、「たばこ葉」の耕作は各地へ広まり、やがて5代将軍・綱吉の時代以降は、「たばこ」は庶民を中心に嗜好品として親しまれるようになった。
日本に入ってきた当初、たばこは禁煙令をはじめ、多くの規制が幕府によって設けられていたことがわかった。理由はともかく、たばこを毛嫌いする状況は現在と変わらなかったようである。
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【追加雑学①】江戸時代の反体制勢力のシンボルはたばこだった?
幕府が喫煙やたばこの耕作を人々に禁止したのは、当時のたばこに対する世間のイメージや幕府の財政事情にも理由があった。
当時、江戸や京の町には「かぶき者」と呼ばれる集団がたびたび出没していたという。かぶき者とは、派手な身なりで、金品を強奪したり、人々に乱暴をはたらく者たちのこと。彼らがそうした行動をとった理由は、世間や権力への反発としての意味合いがあったといわれる。
現代でいう「暴走族」や「不良」のような存在だったといえばイメージしやすいだろうか。彼らは南蛮からもたらされた「たばこ」を愛好し、集団のシンボルとなっていたため、幕府は喫煙や「たばこ葉」の耕作の規制に乗り出したといわれている。
年貢米の確保の点からも、たばこ葉の耕作が禁止された
次に、幕府の財政事情によるところも大きいといわれている。人々に喫煙が広まったことによって、たばこを栽培する人々は、それまで幕府に収めていた年貢米に代わって、現金収入を得られる方法を得た。
その影響もあってか、「たばこ」を栽培する農家が急増し、幕府は年貢米の確保に危惧を覚えるようになったという。そのため幕府はこれまで通り、年貢米を確保できるように「たばこ」の栽培を禁じたとされるのだ。
こうした規制は先にご紹介した通り、2代将軍・秀忠の時代から将軍が変わるごとに公布されていたが、5代将軍・綱吉の時代に入ると、たばこに関する禁令は一切出なくなったとされる。幕府もついに、時代の流れに負けたといえばいいだろうか。
【追加雑学②】あの有名な武将も喫煙者だった
当時は南蛮から渡来したたばこの物珍しさもあってか、私たちにお馴染みの、あの有名武将や人物も喫煙者だったといわれている。
まずは、独眼竜の異名をもつ伊達政宗である。当時のたばこは薬用として愛好されていたことから、政宗は、朝・昼・夜と1日3回ほど吸っていたとされる。彼の遺品には、愛用の煙管(きせる)が見つかっているのだ。
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つぎに、豊臣秀吉の正室・淀殿(よどどの)である。彼女も喫煙者だったといわれている。彼女が居城とした伏見城からは、彼女が愛用した「黄金の煙管」が見つかったという。
彼女がタバコを吸い始めたのは、秀吉の影響からといわれている。それに関連して、日本の女性で初めて喫煙した人物が淀殿、同じく日本で初めて喫煙した人物が秀吉と紹介されることがあるが、今回調べた限りでは、その真偽のほどは分からなかった。
なお、日本たばこ産業株式会社(JT)のホームページには、幕府の歴代将軍のなかで、初めて禁煙した人物は、徳川家10代将軍・家治(いえはる)と紹介されている。後の時代になって、取り締まりを行う側の幕府の人間も、喫煙を行っていた逸話が残っている。
雑学まとめ
以上、2代将軍・秀忠が日本で初めて禁煙令を出したという雑学と、当時のたばこ事情にまつわる雑学をご紹介してきた。現在では世間から厳しい目が向けられる喫煙者。
日本にたばこが伝えられた当初は、たばこは薬用として、武士や商人といった一部の階級の人々に嗜好されていた。皮肉なことに現在値上がりを続けるたばこは、日本に伝えられた当初のように、庶民には購入できないものになるかもしれない。
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