五輪のスゴい人

スポーツで世界平和!近代オリンピックの父"クーベルタン"の挫折と情熱。

雑学カンパニー編集部

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近代オリンピックの父・クーベルタンの挫折と情熱に関する雑学

ピエール・ド・クーベルタン

1894年6月23日のこと、パリにて行われたスポーツ競技者連合の会議にて、IOC(国際オリンピック委員会)の設立が決定された。当時、委員会を構成した人数はわずか16名。

ここから「オリンピックを通してスポーツに注力した教育改革を展開し、世界平和に貢献する」という、ピエール・ド・クーベルタンの掲げた夢は始まった。

古代ギリシャにて行われた競技会をモデルに生み出された近代オリンピック。彼はどのようにして、その開催を思いいたったのだろうか。経緯を辿ってみると、そこには若かりしクーベルタン男爵の挫折…そしてスポーツ教育にかける限りない情熱が浮かび上がってきた。

今回はそんなクーベルタン男爵についての雑学をご紹介していくぞ。

【オリンピック雑学】近代五輪の父・クーベルタンの挫折と情熱

近代五輪の父・クーベルタンに関する雑学

新人ちゃん
近代オリンピックを作ったのってクーベルタン男爵っすよね?何が彼を突き動かしたんっすか?

マッチョ課長
士官学校を退学して路頭に迷ったクーベルタン男爵は、スポーツを取り入れたイギリスの教育に感動し、オリンピック開催の夢を広げていったんだ。

【雑学解説】「スポーツを取り込んだ教育を世界へ」というクーベルタンの想い

クーベルタン男爵はオリンピックの開催を掲げて、今でこそ近代のスポーツ界の話題に欠かせない存在となっている。しかし青年期の彼は、スポーツとは無縁の生活を強いられていた。

彼がスポーツ界の申し子となったことには、そのころの挫折と、挫折を経験した際にイギリスに渡り、スポーツの素晴らしさを体感したことが深く結びついているのだ。

クーベルタン男爵は名門貴族の三男として生まれ、当時フランス貴族のほとんどが歩む道だった軍人や政治家を目指すため、士官学校へ通っていた。

しかしこの学校での、型にはめた大人に育てようとする教育は、彼の肌には合わず、クーベルタン男爵はわずか数ヶ月で退学。貴族が歩むべきとされる道を断念してしまった。

退学したはいいが、何か他にやりたいことがあったわけでもない。彼は目標を見失い悶々とした日々を送っていく

新人ちゃん
今も昔も若者ってあんまり変わんないんっすね。私もそんな時期あったっすよ。

当時のフランスは普仏戦争の敗戦を引きずっており、どこか諦めているような、重たい空気があった。そんな環境に置かれて、クーベルタン男爵はなかなか自分の道を見出せずにいたのだろう。

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クーベルタンに転機をもたらした、スポーツとの出会い

クーベルタンとスポーツの出会いに関する雑学そんななか、彼はフランスの哲学者イボリット・テーヌの書いた『イギリス・ノート』という書籍に出会う。クーベルタン男爵はその中で引用されていた、イギリスの小説家トマス・ヒューズ著作の『トム・ブラウンの学校生活』という小説に衝撃を受ける。

描かれていたのは、当時のフランスの教育からは想像もつかない、学校生活の中でスポーツに励む主人公の姿だった。

そこから彼はイギリスの教育に興味をもち、数年後に渡英する。そしてイギリスのパブリックスクールにて、青少年たちがスポーツに励む姿や、その教育環境に大いに感動したのだ。

ここから彼は「ただ知識を詰め込んで、型にはめるだけのフランスの教育を変えるには、スポーツが必要だ」と思いいたる。

マッチョ課長
ちなみに愛国心の強いクーベルタン男爵は、渡英するまではイギリスが嫌いだったそうだが、この経験を経てイギリスびいきになったんだ。

それからクーベルタン男爵は世界各国へ渡って、スポーツ分野の視察や海外の選手を積極的に自国へ招待するなど、スポーツに対する見識を深めていく。

そしてこの時期、ドイツの考古学者がオリンピアの遺跡を発掘し、古代オリンピックの存在が明らかになった。

クーベルタン男爵の中で、古代オリンピックが戦争の抑止力となっていた事実と、スポーツを取り入れた教育の力を体感したことが重なったのだ。

これによって彼は「オリンピックを通してスポーツに注力した教育改革を展開し、世界平和に貢献する」という夢を描くようになったという。

新人ちゃん
これがクーベルタン男爵のオリンピック開催計画のスタートだったんっすね。

【追加雑学】クーベルタンが影響を受けた小説とは?

前項で特に注目が向くのは、クーベルタン男爵に転機をもたらした小説『トム・ブラウンの学校生活』だろう。この作品には、イギリスのスポーツを取り入れた教育のリアルが詰まっている。

作品は、著者がイギリスの「ラグビー校」というパブリックスクールに通っていたころの実体験をもとに作られた。そもそも著者が自身の息子に読ませるために書いていたものだというが、今や「学校物語の古典」と呼ばれるほどの名作とされている。

息子のために書いたものだからだろうか、小説だからといって綺麗事では済まさず、当時のラグビー校の教育における良い部分、悪い部分が包み隠されることなく表現されている。物語としても面白いが、まるで教育現場を覗いているような感覚にさせられる作品である。

結果としてクーベルタン男爵を、オリンピック開催へと導いた『トム・ブラウンの学校生活』。一読の価値ありだ!

ちなみに小説の舞台となったラグビー校は、ラグビー発祥の地ともいわれている。ラグビーワールドカップの公式YouTubeでは、ラグビー校での逸話を題材にした映像作品も公開されている。

新人ちゃん
ラグビーって反則から生まれたスポーツだったんっすかー。

授業の一環として行われていたスポーツから、新しいスポーツが生まれ、それが今や世界に広がっている…それだけスポーツを熱心に取り入れていたイギリスの教育に、クーベルタン男爵が出会ったのも、また運命だったのだろう。

雑学まとめ

ピエール・ド・クーベルタンについての雑学まとめピエール・ド・クーベルタンについての雑学、いかがだっただろうか。

クーベルタン男爵は、当時のフランスの教育に未来を見出せず、そこからスポーツの素晴らしさへと辿り着いた。彼が説いたスポーツを取り入れた教育の重要性は、オリンピックが発展してきた歴史を見れば明らかだろう。

身体を使って何かを達成しようとすることは、強い精神を磨くのと同義だ。また凝り固まった頭をほぐすのにも、スポーツは最適だといえる。仕事や勉強だけに集中するよりも、適度な運動習慣をもっている人のほうが、成果も残しやすいのではないだろうか。

マッチョ課長
オレが筋トレに励むのも、仕事で成果を残すためという理由もあるんだぞ。新人ちゃんも一緒に体を鍛えないか?!
新人ちゃん
あー、私は遠慮しとくっすわ。

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