人間だれしも、年をとっても失いたくないのが髪の毛と歯だ。虫歯や加齢により入れ歯が必要になるのは昔の人も同じだったようで、江戸時代にも入れ歯があったという雑学が歴史書に記載されている。実は徳川家康も入れ歯だった!
それにしても、江戸時代の入れ歯とはどのようなものだったのだろう? 日本昔ばなしに登場するおじいさんには、見た感じ歯がなさそうだ。現代でも合わない入れ歯をカタカタさせているご老人がいるのだから、江戸時代の入れ歯はどの程度のものだったのか…。
【歴史雑学】江戸時代にも入れ歯はあった
【雑学解説】江戸時代の入れ歯のクオリティがすごい!
江戸時代にも入れ歯が存在していたことは記録にも残っているし、現物も残されている。その現物を見たらきっと驚くに違いない。ハイクオリティなのだ! 素材こそ木を使っているが、現代の入れ歯とまったく遜色ない作りなのは衝撃だ。
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作り方も、現代と同様に型をとり、素材を削るという方法だ。型は木ロウで取り、ツゲの木を削り、入れ歯を作った。ツゲは髪の毛を整えるクシにもよく使われる木で、緻密で固く、抗菌作用があるため入れ歯にするのには最適だった。
入れ歯の調整の仕方も驚きで、食紅を使って、当たったところを少しずつ削るというもの。実は現代でも調整の際には赤い紙をカチカチと噛んで、色のついたところを削って調整する。江戸時代の知恵や技術が的を得ていて実用的だった証拠だ。
昔の入れ歯はガクガクと外れそうなイメージだが、入れ歯の裏側に水で濡らした和紙を貼り、入れ歯安定剤のような役割を果たしていた。これは痛みや違和感の軽減にも役立った。
また、前歯には自分の歯や他人の歯を絹糸でツゲの台にくくり付け、奥歯には金属の釘を打ち付けて噛む力を補強するなど、歯の場所によっても入れ歯の作り方を工夫してあった。さらに、入れ歯の裏側に金箔を貼って、殺菌効果で消臭するような入れ歯まであった! 至れり尽くせり。
【追加雑学①】ヨーロッパの入れ歯より優れていた江戸時代の入れ歯
江戸時代の入れ歯は、想像以上に気の利いた入れ歯だったことがわかった。これは他の技術同様、海外から学んだ技術かと思いきや、実はそうではない。古代日本の入れ歯技術は海外よりずっと進んでいたし、優れたものだった。
江戸時代の日本でハイクオリティな入れ歯を使っていた頃、ヨーロッパではなんと、ものを噛むことのできない、見た目を回復するためだけの「使えない」入れ歯しか存在していなかったのだ。意外だ!
ヨーロッパの入れ歯に使っていたのは、動物の歯や骨で作ったフェイクだが、固定方法がこわい。なんとバネ! スプリングで入れ歯を上下の顎に押し付けて口の中に固定していたのだ…。油断するとビヨ~ン! と口の中から入れ歯が飛び出すことも。想像すると、ものすごく笑える。
しかも、使っていた動物の歯がセイウチやカバだったようで、とてつもなく臭かった! ものを噛むことができない不便な入れ歯を使い着飾っていたと思うと、気の毒になってくる。その点、日本の入れ歯は噛むことを目的として作られており、上下の顎にしっかりと吸着することができた。
ヨーロッパでものが噛める入れ歯が登場するのは、18世紀になってから。日本では、実は16世紀には現代と同様の入れ歯が存在していた! なんと入れ歯に関しては、ヨーロッパより200年もすすんでいたということになる。
出土した最古の入れ歯は尼僧のもの
現存している日本最古の入れ歯は、和歌山市の願成寺を開山した「仏姫(ほとけひめ)」と呼ばれる尼僧が使っていた総入れ歯。なんと室町時代のもので、奥歯がすり減った状態で発掘されたことから、実際に使用していたようだ。
この入れ歯は、現代では再現不能なほど精密な作りだというから驚きだ。決して大きくはない紀州の寺の尼さんが、このような優れた入れ歯を使っていたことから考えると、日本ではこの時代すでに入れ歯が全国に普及していたことがうかがえる。
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【追加雑学②】入れ歯を作り始めたのは仏像職人
仏姫の入れ歯は非常に精密な作りで、この入れ歯を作ったのは当時の仏像職人だったようだ。戦国時代、仏像彫刻の注文が激減して困っていたところ、貴族から入れ歯のオーダーを受けて、はじめは「どうせ暇だしな」と手慰みに始めた事業らしい。
それが、徐々に入れ歯を専門に作る集団ができはじめ、現代でいう「歯科技工士」である「入れ歯師」が江戸時代に登場する。虫歯などの治療を行う者は「口中医」や「歯医者」であり、入れ歯師はあくまで入れ歯を作る職人だった。
彼らの技術は修行で身に着けたもので、「秘伝」とされていた。江戸時代の町人の生活を描いた絵には入れ歯を作る場面が描かれたものがあるが、秘伝がバレるような部分に柱を描いて隠すほどだったのだ。焼き鳥屋やラーメン屋で、たれやスープを作る画をカットするような感じだ。
入れ歯師には「名人」が存在していた。エレキテルで知られる多芸多才の人、平賀源内は名人作の入れ歯を使っていた。
国学者の本居宣長(もとおり のりなが)も知人あての手紙に「入れ歯致し申候。口中心持わろくもなき」と入れ歯の感想が書かれていて、やっぱ江戸のカリスマ入れ歯師最高! といったところだ。
雑学まとめ
江戸時代の入れ歯についての雑学を紹介した。時代劇・水戸黄門では、黄門様が「わっはっは!」と大きな口を開けて笑うシーンがあるが、黄門様はあのお年であんなに健康な歯が残っていたのだろうか。黄門様ならあり得る。あんな風に元気に長生きするためには、やはり歯の健康に気を遣わなければ。
江戸時代にも虫歯菌や歯周病菌がいて、昔の人々もやはり歯の悩みと戦ってきた。歯がなくなると、ものを噛めなくなる。生きていくうえでの基本なのだ。
江戸時代に、現代の入れ歯に通じるような立派な入れ歯を作っていた日本の技術に驚くし、なんとも丁寧に生きようとする様に、日本人らしさが感じられるではないか。