日本史

波乱万丈の人生。日本人最高齢の医師は日野原重明・105歳だった

雑学カンパニー編集部

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日本人最高齢の医師は日野原重明・105歳だったという雑学

世界一の長寿国といわれる日本。長寿大国である理由には、和食に代表される日本独自の食文化や、充実した医者制度を挙げることができる。

また定期的に検査をおこなう「人間ドック」も、病を早期に発見できることから、長寿の理由のひとつに数えられている。ところで、この人間ドックを提唱した人物が、実は日本人最高齢の医師だったことをご存知だろうか。

この記事ではそんな、2017年まで日本人最高齢だった105歳の医師の雑学をご紹介する。同時にその医師の波乱万丈の人生を垣間見ることになるだろう。

【歴史雑学】日本人最高齢の医師は日野原重明(105歳)だった

信長さん
2017年7月まで、日本人最高齢の医師は105歳の日野原重明(ひのはらしげあき)氏だったんだぞ。
秀吉くん
え?!まさかの100歳越えのお医者さんがいたんっすか?!

【雑学解説】波乱万丈な人生をおくった日野原重明

波乱万丈な人生をおくった日野原重明氏についてのトリビア

2017年7月18日、日本人最高齢だった一人の医師が世を去った。日本で最も有名な医師といえる日野原重明(ひのはらしげあき)氏だ。享年105歳である。

日野原氏は、聖路加(せいるか)国際病院名誉院長で、現在では広く認知されている「生活習慣病」という言葉や、「人間ドック」の導入を提唱した人物だ。長年、医療界に多大な貢献をしてきたことが認められ、平成17年には文化勲章も受賞している。

信長さん
日野原氏は『予防医学』の必要性を訴えてきた人物なんだ。

日野原氏は、明治44年に山口県山口市で生まれた。京都帝国大学・医学部を卒業後、昭和16年に聖路加国際病院の内科医に就任。以後、同病院に勤務しながら、長年医療界に携わってきた。

東京大空襲の際には、被災した人々の治療に従事したこともあったという。100歳を超えてもなお、エッセイの執筆や医療現場でも活躍し、バイタリティーあふれる人物だった。

ここで、生前に収録された日野原氏のインタビューを紹介しておこう。少し長い動画だが、長生きできる秘訣が聞けるかもしれないぞ!

秀吉くん
相当な歳だと思うっすけど…シャキッとした感じっすね~!

1995年に東京メトロで発生したオウム真理教サリン事件では、日野原氏は外来患者の診察などの業務をほぼ中止し、聖路加国際病院を開放して大勢の患者に対処した話も有名だ。

この他にも、2001年に出版された『生きかた上手』というエッセイがミリオンセラーを記録するなど 日本人の生き方について積極的に発言してきた人物でもある。

2017年には心不全のために亡くなってしまったが…彼は現在の日本の姿をどのように見つめているのだろうか。

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【追加雑学①】日野原重明はミュージカルの脚本を執筆している

ミュージカルの脚本を執筆しているというトリビア

日野原氏は医療界のみならず、さまざまな分野でも活躍した人物として知られている。音楽好きが興じて、88歳のときには、なんとミュージカル「葉っぱのフレディ」の脚本を手掛けているのだ。

2000年に上演されたこのミュージカルは、日野原氏本人も出演しており、子供たちと一緒に舞台にも立ったという。このミュージカルは、アメリカの教育学者「レオ・バスカーリア」という人物の同名絵本をもとに制作された。

一枚の葉っぱが生まれて大地に還るまでを描いた話である。

日野原氏はこの舞台で企画・原案も担当し、また2006年に舞台が再演された際には、上皇后・美智子さまも観劇された他、2010年8月には、アメリカのブロードウェイでも公演された。

当時のニュース映像にてその模様が紹介されているので、ご覧いただこう。

秀吉くん
ブロードウェイで上演って…めっちゃすごいことじゃないっすか?!しかも上皇后まで観劇してるとか…こりゃ本人も感激もんだったと思うっすよ!
信長さん
才能にあふれた人物だったんだな!

ミュージカル好きが興じて、本場のブロードウェイで舞台が上演されるとは…「好きこそものの上手なれ」を地でいくエピソードである。

【追加雑学②】日野原重明は有名ハイジャック事件にも遭遇していた

105歳まで生きたとなれば波乱万丈もつきまとう。それを物語るように、日野原氏はハイジャックの現場にも居合わせている

1970年、日本赤軍派によって飛行機がハイジャックされた「よど号ハイジャック事件」である。この事件は、赤軍派の政治家たちが、羽田発福岡行きの飛行機に乗り込み、乗客129人を人質にとって、北朝鮮の政治亡命を希望した事件だ。

日野原氏は、学会に出席するため福岡県へ向かう際に、このハイジャック事件に遭遇した。そして韓国の金浦空港(きんぽくうこう)で解放されるまで、人質となっていたのだ。

当時はまだハイジャックという言葉が一般的に広まる前だったため、日野原氏は犯行グループにかわって、その目的を乗客に説明したとのエピソードが残されている。

また事件の際、日野原氏だけが犯人らから本を借りて読んだとの逸話もあるぞ。その本はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』だったという。

秀吉くん
犯行グループと接触するとか…なかなかの肝っ玉の持ち主だったんっすね…!

日野原氏は新聞のインタビューに答えて、ハイジャック犯が爆発物を体に巻き付けていることを知り、恐怖に脅えたと当時を振り返っている。

日野原氏が有名ハイジャック事件の人質のひとりだったとは…。それにしても事件時の行動力に驚かされる。

雑学まとめ

波乱万丈の人生。日本人最高齢の医師は日野原重明・105歳だったという雑学まとめ

105歳まで現役で医療現場に立ち続けた日野原氏は、医師や人生の先輩としての立場から、多くの人々の支えとなってきた。彼の功績を数えても、現代の医療界はその存在のうえに成り立っているといっても過言ではないかもしれない。

また日野原氏はミュージカルなどの現場でも、多岐に渡る行動力を示している。長生きの秘訣は、彼のように人生を楽しむことにもあるのだろう。

信長さん
俺の時代には『人生50年』といったものだが…その倍以上生きていたとはあっぱれだな…。
秀吉くん
僕でも60過ぎで死んでるんっすからね…。それにしても、生涯現役ってこんな人のこというんっすね~!

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