京都の人気観光スポットといえば、金閣・銀閣は外せない。インパクトのある名前だし、歴史的価値も高い。ここでクイズ。京都には金閣・銀閣の他に「銅閣」も存在している? ○か×か?
実はこのクイズ、過去に日テレのクイズ番組で出題されたことがある。番組の答えは×だった…が番組終了後にツイッターなど、ネット上が炎上! 実は京都には「銅閣」が存在していたのだ!
京都の一人旅で回ってみました!
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今回はそんな、銅閣に関する雑学をご紹介していこう!
【歴史トリビア】金閣と銀閣だけでなく、銅閣も存在していた
【雑学解説】銅閣寺は織田信長・信忠親子の菩提寺として建立された
金閣寺・銀閣寺の他に銅閣があるなんて、なんだか冗談のように聞こえるかもしれないが、銅閣寺は1587年(大正15年)に織田信長・信忠親子の菩提を弔う寺として、京都の二条御所跡に建立されている。正式名称は「龍池山大雲院」という。
しかし、この大雲寺、金閣寺・銀閣寺に比べて歴史もやや浅めなうえ、やたらと移転している。豊臣秀吉の都市政策により、四条寺町に移されたのち、昭和に入ってからは現在の東山に再移転。すこし歴史的威厳に欠けているような…。
さらに、銅閣自体は1928年に、当時の大倉財閥設立者である大倉喜八郎男爵によって建立された建物なのだ…って、それ昭和3年だよ! 歴史浅っ。つまり、つい最近建てられた「銅閣」の場所に、龍池山大雲院が移転してきて、晴れて「銅閣寺」となったわけだ。
まあ、金閣寺・銀閣寺も、正式名称は「鹿苑寺 金閣」・「慈照寺 銀閣」なのだから、「龍池山大雲院 銅閣」で「銅閣寺」としても何ら問題はない。銅閣寺の銅閣は、登録有形文化財に指定されていることだし、れっきとした歴史的建造物だと認めてあげよう。
【追加雑学①】なぜ「銅閣」と呼ばれているのか?
歴史的建造物として印象の薄い銅閣だが、実際の見た目はなかなかのインパクトがある。大雲院の中にある祇園閣という建築物が「銅閣」なのだが、祇園祭の鉾(ほこ)を模したデザインで、高さは36mの三階建て。屋根が銅板葺(どうばんぶき)であることから「銅閣」と名付けられたのだ。
わざわざ銅板を使ったのは、建立した大倉喜八郎男爵の野望があったから。「金閣・銀閣があるんやから、銅閣作ったらええんとちがう?」という考えで、京都の新名所を狙ったのだ。金閣を建てた足利義満や、銀閣を建てた足利義政と並ぼうと思ったのだろうか?
それにしても、やはり「銅」って…。きらびやかな金閣寺やシックな銀閣寺と比較すると、どうにも後付け感が否めない。しかも、歴史の流れの中で価値のある建物が銅でできていた、というわけではなく「これ、銅閣って呼んでおくれやす!」なんて承認欲求が透けて見えるのが何とも面白い。
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【追加雑学②】なぜ銅閣はマイナーなのか?
そもそも存在自体があるのか、ないのか? というクイズになるほどマイナーな「銅閣」だが、なぜせっかく作ったのに周知されていないのか? 最も大きな原因は、やはり基本的に非公開だからだろう。中に入った人が非常に少ないのでは、世間に情報が広がらないのは当たり前だ。
しかも建立した大倉喜八郎男爵の野望とはうらはらに、現在は宣伝する気がまったくなさそうだ。特徴的な姿をした背の高い銅閣を、「あれなに?」と見上げる観光客はいるかもしれないが、なにも説明書きがないため、スルーされてしまうのだ。
もうひとつ、損をしているのは銅閣寺の立地だ。すぐそばに京都を代表する大人気観光スポット、八坂神社があるのだ。そのため、大勢の観光客が銅閣寺の前を通り過ぎるのだが、みんな八坂神社へまっしぐら! まったく足を止めてもらえない…。
【追加雑学③】銅閣の一般公開はレア
銅閣は通常非公開なのだが、実は夏に特別拝観が行われ、一般公開されるのだ! しかしなんと日程は未定…。京都市観光協会のサイトなどで告知されるので、そのチャンスを狙うしか境内に入ることはかなわないのだ。
大雲院の境内には、織田信長親子の墓や、石川五右衛門の墓があるとか。また、銅閣内部の壁には、世界遺産でもある中国の「敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)の壁画」が模写されている。
動画を見る限り、手入れの行き届いた見応えのある寺じゃないか! なぜもったいぶっているんだ? もっと公開して周知をはかればいいのに。
雑学まとめ
銅閣に関する雑学をご紹介してきたが、いかがだっただろうか。「金閣・銀閣」を意識して「銅閣」を作った、大正時代の男爵のテンションとは逆に、現在は「実はある」という扱いになってしまっている「銅閣」だが、間違いなく存在している。しかも、立派な有形文化財だ。
マイナーである理由は広告意欲の少なさと、立地の悪さだけではないような気がする。やはり、建立時期が決定的に違うのだ。歴史の重みが違うというか、あれだけ歴史的建造物が立ち並ぶ京都において、やはりインパクトに欠けるのではないだろうか。
そこで、文化財が少なくて立地の良い、観光客が立ち寄ってくれそうな場所に、もう一度引っ越してみるのはどうだろうか。
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