今では街の至る所にある百円ショップこと100均。そこには生活雑貨・清掃用具・文房具・おもちゃ…他にも「こんなのも売ってるの!?」というくらいに多くのアイテムを販売していて、利用した事がない人はいないと言っても過言じゃないだろう。
例えば、ボールペンや乾電池などは筆者も正直100均で買ってしまう事がしばしばだ(筆者は別に100均の回し者ではないし、ものによってメーカー既製品の物が良い時もある)。
近年では度重なる地震災害対策にも目を向けてか、非常食や防災グッズも売っているし、100均の商品も時代に合わせ増えていくばかりで、ほんとに恐れ入る。
時代と共に台頭してきた100均だが、実は昔の日本にも同様のお店が存在していた! それは現在の100均のように多くの商品を揃えて売っていた商売だ。
もちろん価格均一で売っている所も共通している。だが現在の100均とは微妙に細かい違いがあるので、今回はその昔版・100均の雑学や現代との違いについて触れてみた。
【歴史雑学】江戸時代にも100均があった!?
【雑学解説】江戸時代の100均寸劇!ここで一寸した昔話を。
ここからは雰囲気を伝えるために、店のことを会話している夫婦の様子を昔話風にお送りしよう! 江戸っぽい? 空気を楽しみながら、気軽に見て欲しい。
むかーし昔、華の大江戸城下町に権兵衛(名前はごんべえ・仮名)という面倒嫌いな男がおったそうな。権兵衛は生来の面倒くさがりで、最近は出来るだけ物を探し歩かずに買い物をするにはどうしたら良いかと、都合の良い思考を巡らせておった。そんなある日…。
権兵衛の嫁「♪~♪~」
権兵衛「なんだい、鼻歌なんか歌って、何かいい事でもあったかい」
権兵衛の嫁「それがね、今日買い物に出かけたら良い店があったんですよ」
権兵衛「へえ、聞くのも面倒だが、一応聞いてやるよ、それってどんな? 」
権兵衛の嫁「まァ、これを見てくださいよ、櫛に手鏡、それと書き物用の筆と墨、お前さまのキセルも古くなったでしょうから、これも買ってきましたよ、しかも全て十九文なの」
権兵衛「こりゃまた一貫性のない揃い踏みだ、平時なら色んな店を尋ねまわらきゃなくて面倒だろう、ところでそんなに色々なもんが同じ値で、いっぺんに出揃う都合の良い店があるのかい? 」
権兵衛の嫁「ええ、値段のまんまで十九文屋という名前なのよ、地べたにあれこれと品を置いてたりもして露店みたいな感じだったけれど、安くて色々なものが置いてあったわ」
権兵衛「へえ、いっぺんでそこまで物が揃えれるなら、オイラみたいに歩き回るのが嫌いな面倒くさがりには丁度良い、他に何が置いてるんだい? 」
権兵衛の嫁「ええと…ハサミに剃刀やちり紙、子供に遊ばせるおもちゃなんかもあったわ、でもね、他にもたくさんあったのよ」
権兵衛「そいつぁいい、ちょうど剃刀も切れなくなった所だ、面倒だがオイラもその十九文屋とやらを今からちょっくら覗いてくるよ」
こうして権兵衛は、嫁が行った十九文屋を訪ねてみたそうな。そして嫁の話に聞くよりも多くの雑貨が置いてあることに感心したという。それからというもの、権兵衛はたいがいの品がいっぺんに買える十九文屋をすっかり気にいったそう。
権兵衛の嫁「でもねお前さま、何でも面倒と言うけれど、お買い物はほぼ私がやっているんですからね」
権兵衛「こいつァ、失敬」
と、いった具合で十九文屋は何でも同じ値段で揃う店として、城下町の民衆からたいそう重宝がられたそうな。
正確には100均ではない!幾らで何を売っていた?
さて、ここから本題だが、上記のお話の夫婦が利用した十九文屋は享保(1716年~36年)から文化(1804年~18年)時代、均一価格で何でも揃う店として江戸の町に存在した。
しかし8代将軍・徳川吉宗が発布した享保の改革により税金が増え、質素倹約が庶民の生活に浸透したことで消費が減った時期があり、店は一時的に廃れたが文化時代辺りにまた流行り出したのだ。
ちなみに店構えとしては、ゴザを引いてその上に商品を並べる新しいスタイルの店が多かった。その様相からも物珍しい安物販売の店として人気になったのだそうな。来歴はおおまかにこんな感じだが、ここで記述したいのが店の名をして十九文屋。
値段は大体このくらい!
名の通り、商品一品につき19文均一で売っている店の事を指す。なお、1文はこの時代の頃だと約12円だ。通貨価値は時代により差があり、約12円というのはこの年代辺りのおおよその通貨レートになることを付け加えたい(江戸初期~後期の間には十数円以上の差があったりする)。
では、この金額で十九文屋の商品を円換算してみると、一品19文×12円=228円となる! 簡単な計算だが、何を買っても228円というわけで、若干高めの価格均一ショップといった形だ(1文10円としても190円)。
100均と比べて全然安くねーじゃん! と思うだろう。しかしだ、考えてみると現代の様に機械技術がまだ発展していない中、物を製造する行程はほぼ手作業だろう。こんな風に品物が安定供給されない時代に、100均の感覚で生活用品が揃う店はすごく貴重であったのではないか?
ちなみに十九文屋が売っていた商品だが、保存が効かない魚介類・生鮮食品以外の生活雑貨をメインに取り揃えている。前項の夫婦が会話していた他に、三味線道具・裁縫雑貨・将棋の駒など、本当に様々な雑貨を幅広く扱っていたのだ。
現代の100均と共通する部分は?
ところで19文という中途半端な金額も気になるだろう。これは今の価格でも見るような「200円よりも198円!」「1000円よりも980円とかの方がお得!」って感じがする心理を利用していると推測する。
だから「20文じゃなく19文!」といった価格設定をしたのだろう。だとすれば、昔の人も売り買いに抱く感覚は現代人とたいして変わっていないんじゃないか。
けしからんことに設定価格を満たしていないレベルの商品もどさくさにまぎれて売っていたらしい。このアバウトさは現代でもありそうなので、仕方なしとしておこう。
他にはこんな共通点がある
なお、雑学の付け足しとして、4文・13文・38文のように、十九文屋を真似? した均一価格店が派生型として増えていったそうだ。他店の業態を真似るのは、現代の商売事でもよく有りそうなことだ。
いずれの店舗も多品種を薄利多売(一つ辺りの品物の利益が少ない分、たくさん売って利益をおぎなう)で売る方法をとっているが、多くの雑貨商品を売っている辺りは今の100均とほぼ同じってこと。
現代の100均と共通する部分も多い、この江戸版100均を庶民は大いに利用したのだ。
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【追加雑学】100均以外にもあった!?江戸時代のユニークな商売
十九文屋の他にも、江戸にはいろいろと変わった商売があったようだ。たとえば家々を訪ね歩き、髪の毛を拾って集め、かつら・つけ毛を製造する業者に売る仕事などがあった。
これはリサイクルも兼ねているので、まだ分かりそうなもんではある。しかし他には、少し汚い話になるがお小水(おしっこのこと)を集めて畑の肥料とする仕事もあった。お小水をくれた人には交換物として大根1本を渡したりしたのだ。
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更にミニトリビアだが、猫屋なんてのもあったらしい。厳密には猫をペットショップみたいに販売するのではなく、猫を人に貸す仕事だ。これは猫好きの飼い主が福を呼び込む動物として他の民家に貸し出すというものである。
しかし江戸当時の人も実に色々な商売を考えつくものだ。
雑学まとめ
今回は、江戸版100均「十九文屋」に関する雑学を紹介した。十九文屋以外にも様々な仕事があったことを考えると、商魂逞しい人々が江戸時代にも多く存在したのがわかる。
ともあれ、高い100均だと思ってしまう十九文屋が、たとえ現代換算の100円で物を売ってなかろうと(売っていたら町人もなお助かるとは思うが)江戸の人には何も関係ない話になるだろう。
というのも、給料や物価だってそもそも違うのだから、利便性も良くいろいろ売っている十九文屋は、やっぱり画期的で多くの人が利用しやすい店の形態だったわけだ。
我々だって百円均一というものが生活に知れ渡り身近なわけで、同じく便利な店として利用する。たとえ100円でないにしろ、店までの移動の手間や面倒を考えると、品物が揃っている所で多少高くても買い物を済ましてしまうのは皆もあることだろう。
ところで、十九文屋はこんな多種の商品をどういうルートで仕入れていたんだ? 十九文屋を営んでいる主人に実際会って話を聞けるのなら、どうやって商品を仕入れているのかぜひ聞いて見たい。
あくまで想像だけれども、主人が毎晩夜なべをして一個一個仕上げている(ハサミとか人形とか…)のをイメージすると少しホラーな感じがするのは気のせいだろうか。