クラシックは古典音楽と呼ばれるように、オーケストラの歴史は非常に長いものだ。
多くの場合、オーケストラの起源と称されるのは1607年に初演されたモンテヴェルディの「オルフェオ」というオペラ。この頃から実に400年以上に渡って、西洋の合奏音楽は受け継がれてきたことになる。
しかし世界は広い。ヨーロッパで発足したオーケストラより先に、それと同じぐらい大規模な形態で行われていた合奏音楽が、実は存在する。しかもその音楽はなんと、西暦400年代にはすでに演奏されていたというではないか!
オーケストラが現れる1000年以上前から、時代を先取りしていたというのか…。これはただ事ではないと真相に迫ってみると、世界最古の合奏音楽は、なんと我々日本人の身近に存在していたのだ! 今回はそんな驚きの雑学を紹介する!
【世界雑学】現在もある世界最古の合奏音楽は?
【雑学解説】合奏を最初に編み出したのは日本人?重要無形文化財にもなっている雅楽!
世界最古の合奏音楽と呼ばれているのは、日本の伝統芸能として、ユネスコの重要無形文化財にも登録されている「雅楽」だ。「え! じゃあ日本人が合奏のパイオニアってこと? すげー!」となるが、先駆者という点で考えると中国とするのが正しい。
雅楽の元となる音楽は西暦400年代に中国で生まれ、700年代・奈良時代に日本へ伝来した。そこから日本にもとからあった舞踊や音楽を融合させ、重要無形文化財に認定されるほどの音楽にまで開花させた。
当初は宮廷音楽として演奏され、宮廷には「雅楽寮」という楽団が設立されていた。これ以外にも東大寺や四天王寺などの大規模な寺社では、法要などの儀式においてその演奏が行われたという。
音楽として楽しむというよりは、祈りを捧げるような意味で演奏されていたようだ。
元々は宮廷の中でも殿上人(てんじょうびと)などの身分の高い者や、寺社に所属する者が、楽人(がくにん)と呼ばれる雅楽専門の演奏家として演奏を行っていた。
しかし平安時代末期になると宮廷や寺社の関係者以外からも、楽人が台頭するようになってくる。貴族の間では当初から儀式などに関係なく、楽しむ目的で演奏していた者がいたことから、この頃になって秀でた演奏者も登場するようになったのだろう。
100年ものあいだ途絶えていた雅楽の歴史
室町時代になると、応仁の乱によって楽人たちは地方へ散り散りになってしまう。雅楽シーンの中核を担っていた貴族も大きく衰退し、約100年もの間、雅楽はその歴史を途絶えさせてしまうことになるのだ。
そんな雅楽が再興されたのは江戸時代のこと、江戸幕府は地方に残った演奏の継承者たちを集め、新しく楽団を作った。ここから現代にも受け継がれる雅楽に繋がっていくわけである。
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【追加雑学】雅楽は和製のヒーリングミュージック…篳篥(ひちりき)や龍笛の神秘
雅楽はクラシックやポピュラーのように「鑑賞する音楽」というよりは、ヒーリングミュージックのような「感じる音楽」の性質が強い。
雅楽のそういった精神的な要素を際立たせているのは、「篳篥(ひちりき)」や「龍笛(りゅうてき)」といった、主旋律を担う笛の類だ。笛は人の呼吸をそのまま利用した楽器のため、音色に演奏者の意志が強く反映される。
また篳篥は「人の声を表現する楽器」ともいわれ、男性の声に非常に近い音質をもっている。対する龍笛の音色は「龍の鳴き声」とも例えられる。どちらも他の楽器にはない、神秘的な響きが含まれているのだ。
そしてこの篳篥や龍笛を作れる職人は、現在は数人しか残っていない。元々の宮廷音楽という性質も相まって、あまりこれらの楽器が一般的とされず、伝承が行われてこなかったのが原因だ。
その希少性もまた、これらの楽器の神秘的な印象を高めているといっていい。
大衆向けの音楽のような、わかりやすいノリではないが、耳を傾けてみると、安らかに心を洗われるような感覚になるはずだ。演奏動画もぜひチェックしてみてほしい!
動画を観てみるとわかるが、雅楽はリズムの取り方がかなり独特だ。オーケストラでは指揮者が奏者に合図を送るように、西洋の音楽は拍を感じてリズムを取る。しかし雅楽奏者は、呼吸や他の奏者の雰囲気から、間合いを感じてリズムを取るのだ。
これには相当な経験と技術が必要になってくる…いかにも一筋縄ではいかなそうな音楽だ。
雑学まとめ
世界最古の合奏音楽についての雑学、いかがだっただろうか。日常で耳にする音楽となると、どうしてもポピュラーな音楽になるため「音楽は西洋から伝わったもの」という印象をもつ人は多いだろう。しかし西洋の音楽が伝わる何百年も前から、日本にはオリジナルなものに昇華された雅楽という音楽があった。
これを考えると「音楽の面では海外勢には適わない」という観念も変わってくる。日本人には、日本人にしかない音楽的感性がちゃんと備わっているのだ。