スポーツの世界において記録はもちろん重要だが、記憶に残る戦いのほうが人々の心の中に残るものだ。
1980年代の五輪において繰り広げられた、カール・ルイス(アメリカ)とベン・ジョンソン(カナダ)による「世界最速の男」を決める戦いは、まさに記憶に残る戦いだったといえるだろう。
ルイスの自己ベストは9秒86、ジョンソンの自己ベストは9秒79と、2009年にウサイン・ボルトが出した9秒58に比べると見劣りするのはたしか。
しかし、1988年のソウル五輪での陸上100M決勝の盛り上がりは、五輪史上最高のものだったといえるかもしれない。
今回の雑学では、五輪史上に残る、ルイスとジョンソンの熱い戦いについて語っていきたいと思う。
【オリンピック雑学】カール・ルイスとベン・ジョンソンの戦い
【雑学解説】ロスとソウル、2度の五輪での対決とその残念な結末
ルイスとジョンソンは、ともに1961年生まれの同い年だが、ルイスが長身で長い脚を活かしたストライドで勝負するのに対して、ジョンソンは鍛え上げた筋肉と低い重心からのロケットスタートを武器にしている。
まったく対照的な走りの2人が五輪で初対決したのは、1984年のロサンゼルス五輪のこと。とはいえ、この時点でルイスは陸上界のスターであり、100M・200M・走り幅跳び・4×100Mリレーの4冠を達成して、その強さを示していた。
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一方のジョンソンは、この大会3位に終わっている。動画でも、ジョンソンの名前はほとんど出ておらず、いかにルイスに注目が集まっていたかがわかるだろう。
そして、その悔しさを胸に、ジョンソンはルイスを倒すための武器を手に入れる。その武器とは、鍛え上げられた筋肉だ。その上半身はまるでボディビルダーのように大きくなっており、かつてのジョンソンとは違うことは明らかだった。
1987年に開催された世界陸上において、ジョンソンはルイスを破り、当時の世界記録である9秒83を樹立。その勢いのまま、1988年のソウル五輪に挑むこととなった。
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カール・ルイスvsベン・ジョンソン、2度目の戦い
ソウル五輪の会見では、「ルイスに勝つことが1番の目標だ」と語ったジョンソンに対して、ルイスはジョンソンには触れず「自分のベストを尽くすために参加する」と述べただけ。
そして、迎えたソウル五輪・男子100Mのレースはこちらである。
結果は、ジョンソンが9秒79の世界新記録で圧勝した。ゴール後、ルイスを無視するように勝利をアピールするジョンソンと、憮然とした表情でジョンソンに握手を求めるルイスの姿がとても印象的である。
しかし、ジョンソンの五輪金メダルは、すぐにその手から離れてしまう。レース後のドーピング検査で、ジョンソンの尿からステロイド系薬物の陽性反応が出たのだ。
その結果、ソウル五輪での金メダルと9秒79の世界新記録は剥奪となり、繰り上げでルイスが金メダルを獲得。
失意のなかでカナダに帰国したジョンソンは、当初「薬物を意図的に使用したことはない」としていたが、のちに薬物の使用を認めたことで、1987年に出した世界記録も剥奪となり、2年間の出場停止処分を課されることになった。
しかし、当時において圧倒的な記録だった9秒79は、ギネスブックに「薬物の助けがあったものの、人類が到達した最速記録」として掲載されており、ジョンソンの達成した偉業については一定の評価はされていたようだ。
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2度の戦いの後
出場停止が明けたジョンソンは、1992年のバルセロナ五輪の100Mに参加するものの、全盛期に比べると上半身は小さくなっており準決勝で敗退。
さらにドーピング検査において再び陽性反応が出たために、永久追放という処分がくだされている。
なお、このバルセロナ五輪にはカール・ルイスも参加していたが、走り幅跳びとリレーのみの出場だったため、ジョンソンとの3度めの五輪対決は実現していない。
【追加雑学】ベン・ジョンソンのドーピング発覚は陰謀だった!?
先に述べたように、ジョンソンはドーピングにより金メダルと世界記録を剥奪されたが、のちに「(ソウル五輪の)ドーピング検査は陰謀だった」と語っている。
ジョンソンは、「(ドーピング検査で検出された)スタノゾロールを使用したことはなかった」と説明し、ドーピング検査前に待合室でビールを飲んだ際に、薬物を混入されたとしているのだ。
そして、検査前にビールを一緒に飲んだ相手は、ルイスと親しい元フットボール選手のアンドレ・ジャクソンであったため、「この陰謀には、ルイスが関与している」と主張。
もちろん、ルイス側はこの事実を否定しているが、ジョンソンは、ルイスがソウル五輪の選考会におけるドーピング検査で陽性反応が出たものの、最終的にはソウル五輪に出場したことを引き合いに出し「ルイスは許されて、自分は許されなかった」と、不満を述べている。
さらにジョンソンは、ルイスには大手のスポンサーがついていたため、ルイスを勝たせたいスポンサーが自分を貶めるために陰謀を企てた…とも主張しているのだ。
いずれにせよ、ジョンソンは禁止薬物を使用したことは認めており、上記の主張も悪あがきのようにしか聞こえない。
1度はつかんだ栄光にすがりつきたいという心理から、陰謀論を語らずにはいられなかったのだろうか。
雑学まとめ
いかがだっただろうか? 今回は1980年代に繰り広げられた「世界最速の男」を巡る熱い戦いについての雑学をご紹介してきた。
華やかなスターという光の存在だったルイスと、禁止薬物に手を染めてまで勝利を求めた影の存在だったジョンソン。2人の名勝負が迎えた結末は残念なものとなったが、この光と影の対立関係が明確だったからこそ、多くの人の印象に残ったのではないだろうか。
これからも、五輪史上に残るようなライバル関係の選手が出てきて、世界中の人々を熱くしてくれることに期待したい。
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