平成の歌姫といえば、安室奈美恵・浜崎あゆみ・宇多田ヒカルなどの名前が挙がるが、昭和の歌姫といえば、美空ひばりであろう。
9歳で舞台デビューし、12歳のときにはレコードデビューするなど、幼少の頃から52歳で生涯を終えるまで一線級で活躍し続けた美空ひばり。
そんな美空ひばりであるから、素人の大会では優勝ばかりしていたに違いない…と思いきや、NHKのど自慢大会では鐘が1つも鳴らないという屈辱を味わっているのだ!
美空ひばりほどの実力者がなぜそんなことになったのか? 今回はそんな不思議な雑学を紹介していくぞ。
【サブカル雑学】美空ひばりはNHKのど自慢で落選していた
【雑学解説】美空ひばりがNHKのど自慢に落選した理由
美空ひばりがNHKの「のど自慢素人音楽祭」に出場したのは、1946年(昭和21年)の12月、9歳のときのこと。その予選で「悲しき竹笛(「リンゴの唄」という説もある)」を歌い、本人も合格を確信していたが、なぜか鐘は1つも鳴らない。
不思議に思う美空ひばり母子に対して、審査員は「上手すぎて子どもらしくない」・「(そのとき着ていた)赤いドレスとは何ごとか」・「子どもが大人の歌を歌うのは非教育的」という、もはやイチャモンに近い理由を述べたという。
しかし、翌年の1947年(昭和22年)に横浜で開かれた「市民によるのど自慢大会」に出場した際、審査員を務めていた作曲家・古賀政男に対してアカペラで古賀が作曲した「悲しき竹笛」を歌ったところ、「君はもう、のど自慢の段階じゃない。立派にできあがっている」と絶賛されたそうだ。
その後も、若すぎる年齢から活躍する美空ひばりに対しては数多くのバッシングがあったものの、それをバネにして活躍したのはよく知られている。
まさに「出る杭は打たれる」状態だった美空ひばりだが、生涯通じてその才能が本物だったことを証明したといえるだろう。
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【追加雑学】美空ひばりにまつわるエピソードの数々
生涯をつうじて大スタートして生きた美空ひばり、のど自慢落選以外にも数多くの伝説的なエピソードを残している。ここでは、そのエピソードのいくつかを紹介していきたい。
美空ひばり伝説①バス転落事故からの生還
美空ひばりが9歳のとき、巡業のために乗っていたバスがトラックと衝突。バスは崖の下に転落するところだったが、バスが桜の木に引っかかったために転落を免れた。
この事故で美空ひばり自身も仮死状態に陥るほどの重傷を負ったものの、奇跡的に一命を取りとめる。事故後、父親から「歌手を辞めろ」と言われたが「歌手を辞めるなら死ぬ!」と反発したそうだ。
美空ひばり伝説②「オールナイトニッポン」を番組ジャック!
息子がファンだったことから、とんねるずと親交があった美空ひばりは、1986年(昭和61年)に「とんねるずのオールナイトニッポン」にサプライズゲストとして登場。
美空ひばりの出演を知らなかったとんねるずの2人は驚き、大いに怖がっていたという。
美空ひばり伝説③タクシー料金を歌でお支払い!?
美空ひばりがタクシーで友人宅へ向かったが、降り際に財布を忘れたことに気づいた。運転手に「私は美空ひばりというものですが、友人に借りてくるから待ってほしい」とお願いするが、夜中でスッピンだったために信頼されてなかったという。
そこで「リンゴ追分」を歌ったところ、運転手は感動し、タクシー料金を受け取らなかったそうだ。
まさに才能が身を助けるという逸話であり、歌姫らしいエピソードだといえよう。
番外編!あのジャニーズ歌手が美空ひばりを「おばさん」扱いしていた!?
伝説のスターである美空ひばりだが、とあるジャニーズ歌手から「おばさん」扱いされたことがあるという。
そのジャニーズ歌手とは、マッチこと近藤真彦。当時15歳だった近藤真彦が、歌番組のリハーサルで歌っている美空ひばりの姿を見て「あのおばさん、歌が上手いねー」と言ったようなのだ。
もちろん、これは近藤真彦が失礼だったわけではない。当時の歌番組のリハーサルでは代役の歌手を立てることが多かったが、そのときは美空ひばり本人が歌っていたために勘違いしたことが真相のようである。
その後、謝罪に来た近藤真彦に対して、美空ひばりは「15歳の少年が聞いて、うまいと言ってくれたことが嬉しかった」と話したとのこと。美空ひばりがいかに大きな器の持ち主だったかを表すエピソードである。
雑学まとめ
あの大スター・美空ひばりであっても、一度ならず挫折を経験しているというのは驚きである。
今回の雑学から、順風満帆なことばかりが成功の理由でないことがわかっていただけただろうか?
もしアナタが挫折を経験してへこんだとしても、美空ひばりの生き様を思い浮かべて、歌をきいてみてほしい。