唐突だが、筆者は言ってしまえばオタクである。歴史であったり、絵であったり…文学も好きだが宮沢賢治には特に力を入れている。
雑学カンパニーでも、いくつか賢治関連の記事を書いてきたが、実のところ賢治の魅力を伝えられるネタはまだまだあると思っているのだ…。
宮沢賢治といえば『銀河鉄道の夜』や『雨ニモマケズ』といった、幻想的ながらどこか現実味のある童話や詩を書いた作家で、そんな賢治自身もオタク体質の人物である。
鉱石・天文学・植物…はたまた演劇に浮世絵(しかも春画)コレクター…彼の愛したものを挙げるときりがない。またクラシックにも興味があり、ベートーベンは特に気に入っていたそうで、その入れ込みっぷりがハンパない!
いつもは真面目に書くことが多い宮沢賢治のトリビアだが、今回はベートーベンオタク・宮沢賢治のおちゃめなエピソードを解説していこう。
【歴史雑学】宮沢賢治は極度のベートーベンオタク
【雑学解説】宮沢賢治は完全なガチ勢!ベートーベンを真似したポーズで写真も
宮沢賢治のクラシック好きは、賢治ファンにはよく知られている。彼は花巻の片田舎出身ながらレコードをたくさん所有しており、その中でも特にベートーベンに熱を入れていたのだ。
彼の童話には影響を受けたであろうクラシックの名曲が沢山登場する。たとえば『セロ弾きのゴーシュ』の童話の中では「第6交響曲」という曲を演奏するシーンがあり、これはベートーベンの交響曲第6番『田園』のことではないか? と、いわれている。
また詩集・『春と修羅』は、ベートーベンの『運命』に影響を受け、「このような作品を書きたい」と賢治が奮い立って書き始めた作品だ。
賢治のベートーベン好きがわかるものは、このようなレコードコレクションや、童話などに登場させる以外にもまだまだある! …まずはこちらの写真をご覧いただきたい。
帽子とコートをまとい、うつむき加減に野を歩く宮沢賢治…誰もが知る有名な写真だ。彼は何を思っているのだろう? 童話の構想? 田畑のあれやこれやの心配?
いやいや、この賢治はベートーベンのマネをしてポーズを撮っているのだ! そのマネをしたとされる元の絵がこちら。
角度は違うものの森の中を手を後ろに、うつむき加減に歩くこのベートーベンの絵は、ユリウス・シュミットという画家によって描かれたもので、時期的には田園交響曲が人気に湧いていた頃のものだそうだ。
賢治は写真の腕が良い知人にお願いして、バッチリ最高の一枚を、敬愛するベートーベンのマネをして撮影してもらった。この写真は賢治本人も気に入っており、焼き増ししてみんなに配っていた…という話もあるとか。宮沢賢治のブロマイド…ほしい。
わざわざマネをしてまで写真を撮る賢治…本当にベートーベンが大好きなのだろう。その証拠に、彼がベートーベンを語った貴重なエピソードも残されている。
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宮沢賢治、ベートーベンを語る
このエピソードは宮沢 幸三郎という賢治の母方のいとこにあたる人物が、賢治亡き後に発行された本の中で語ったものである。
レコードをコレクションしている賢治は、誰にでも気軽にレコードを貸していたという。幸三郎もその一人で、始めこそは退屈な曲だと思っていたものの、次第にその魅力に取りつかれ、賢治と一緒によくレコードを聴いていたようだ。
幸三郎が一緒にベートーベンを聴いていたとき、賢治がテンション高めに「ホーホー」と感嘆の声を上げながら聴いていたことが、印象に残っているそうな。好きなものを聴いたり見たりして、声を出すほどテンションが上がる気持ちはわかる。
ただ賢治の実弟である宮沢清六の話によると、賢治はレコードを聴いているときにテンションが上がると、踊りだしたり、蓄音機のラッパに頭を突っ込んで聴いたりと、不思議な行動をしていたという。…ま、まあ、愛し方は人それぞれということで…。
あるとき『第九』の譜面を賢治と幸三郎が見ていると、賢治はそれを見ただけで驚き飛び上がり、「おお、怖い怖い」「手に手に異様な獲物を振りかざして、おそいかかる悪鬼迫る幻想」…と、感想を述べたとか。
このように賢治は、耳で聞いたものを言葉や文章にすることが得意だと幸三郎に話していた。そのスキルこそが童話作りに役立っていたのではないだろうか。また、その他にも次のようにベートーベンのことを話した。
ゲーテも偉いには偉いが、文学史上に於けるゲーテの地位は音楽史上に於ける、ベートーベンの燦然たる地位には到底比すべくもない、全くベートーベンに匹敵する様なものは文学史上未だに見当たらぬ。
今でこそ著名な作家となった賢治だが、当時はいち一般人だ。そのコメントとして「ゲーテも偉いには偉いが」と言える度胸がすごい。オタクの賢治からすれば、ベートーベンは何よりも最高の作品を生み出した存在だったというわけだ。
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【追加雑学①】これが宮沢賢治はが聴いていたベートーベンのレコードの音だ!
賢治がどれほどベートーベンが好きなのかは、おわかりいただけただろう。さて、賢治は当時どのようなレコードを聴いていたか気にならないだろうか?
賢治関連の著書で『宮沢賢治の聴いたクラシック』という本が、小学館から発売されている。この本は、資料を元に賢治がどのようなレコードを持っていたかをリストアップしたもので、そのリストを見ても圧倒的にベートーベンの比率が多い。
そのリストの中にジョセフ・パスターナックが指揮をした『運命』のレコードがある。以下の動画で、賢治が聴いていたレコードと同じ演奏を聴くことができるぞ。
今のようなクリアな音ではないが、賢治の時代のレコードとはこのようなものか…と感じられる、趣ある音だ。実際にこの音を聴きながら賢治は『春と修羅』の構想を練っていたのかもしれない。
【追加雑学②】クラシックマニア・宮沢賢治。音楽にまつわるエピソード
さて、ここではベートーベンオタク・宮沢賢治ではなく、クラシックオタク・宮沢賢治の面白いエピソードを2つ紹介しよう。どちらも「こんな人だったの?」と驚かされるような逸話だ。
宮沢賢治がレコード収集のために大量購入していたら…
前述したように、賢治はベートーベンオタクで、ベートーベンを始め、さまざまなレコードを収集した。その収集量がハンパないものであったことが伺えるエピソードがある。
あるとき花巻の片田舎で、ものすごい頻度で大量のレコードが購入されていることを知った、発売元であるイギリスのレコード会社。
もちろんこの大量に購入しまくっていた人物は我らが宮沢賢治だ。尋常でないペースで購入してくれるので、レコード会社も気になりだし、ついには売上に貢献をしてくれたと、花巻のレコード店に感謝状まで送った…という話がある。
しかし海外からわざわざ感謝状を送られるということは、生半可な量ではないはずだ。賢治はその大量のレコードを部屋に保管していたのか? というとそうでもなく、幸三郎の手記にこのように書かれている。
賢さんはレコードのコレクションを大分持っておられた。然し賢さんのレコード収集は非常に要領がよくその鋭い感覚と理解力からして真の意味の名曲だけを選び残し、其他のものは片っぱしからどんどん思ひきりよく手離しては、新らしいレコードを買っておられた。
気に入ったものだけを残し、他は手放す…このような方法で集めていたため、購入ペースが早くても、レコードに埋もれるということはなかったのだろう。
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音質にこだわりすぎて自分でレコード針を開発!
音楽マニア・宮沢賢治の勢いはレコード収集だけでは止まらない。レコードにこだわれば蓄音機にもこだわる男であった。続いては幸三郎の手記に書かれた、賢治のレコード針に関するおもしろエピソードだ。
賢治はレコードを傷つけないよう、いつも大切に扱っており、そのためレコード針は傷がつきにくいビクターの竹針を使用していたという。
大正9年のある日、家に来ていた大工が竹を切り、小糖(オリゴ糖の類)で炒って釘を作っているところを見た賢治はピンとひらめいた。竹を小糖で炒ると丈夫になるという性質は釘だけでなく、レコード針にも使えると考えたのだ。
さっそく竹を集めてきた賢治。もともと器用な人だったため、レコード針を作るのも容易だったらしい。小糖で炒ってできあがったレコード針をさっそく使ってみると、ビクター製のものより遥かに音質が良くなったという! …すごすぎだろうそれ。
あまりに出来が良すぎて喜んだ賢治は、このことを米国のビクター社に伝えるべきだと思った。そして弟の清六と一緒に辞書とにらめっこをしながら、製法を英語に翻訳し、製品のサンプルを同封して送ったのだ。
ビクター社からの返事
手紙を送ってから2ヶ月後…賢治の家にビクターから返事が返ってきた! タイプライターで打たれた手紙は、「まず卓越した竹針の製法に驚いたと称賛を述べ、わざわざこのような手法を教えてくれたことに感謝する」というとても丁寧な返事であった。
しかし、この手法では実際に大量生産をしても採算が取れなかったのだろうか、この製法での竹針の生産は推奨しない、ということが書かれていたと幸三郎は語っている。
この返事に対し賢治は「ビクターは金属の針をじゃんじゃん売って、レコードを痛めつけたいんだろうな」という冗談を言ったという。
雑学まとめ
極度のベートーベンオタク・宮沢賢治のトリビア。いかがだっただろうか。
レコード店に感謝状が送られてくるレベルの彼のレコード収集癖にも驚くが、蓄音機の針への情熱も凄まじかった。
そこまでのベートーベン熱があったからこそ、『春と修羅』は生まれたし、その他の童話も存在しているのかもしれない。宮沢賢治を熱くしたベートーベンという存在は、やはり音楽界には欠かせない人なのだろう。