世の中に有益な貢献をした人物に送られる「ノーベル賞」。この名誉な賞をつくった人は、いうまでもなく発明家「アルフレッド・ノーベル」その人だ。
ノーベル賞のおかげで、彼の名を知らないという人はほとんどいないだろう。しかし、発明家といっても、なにを発明した人かを知っているだろうか?
彼が発明したのは、ダイナマイトだ。
ダイナマイトは戦争に利用され、多くの命を奪うことになった。しかしノーベルはそんなことを望んでいたわけではない。
彼がダイナマイトに求めたのは、なんと人助けである。今回はそんなノーベルとダイナマイトの雑学をお届けしよう。
【歴史雑学】ノーベルがダイナマイトを作った理由と経緯とは?
【雑学解説】ノーベルがダイナマイトを発明!しかし戦争兵器へ…
ノーベルがダイナマイトを発明した当初、その目的は戦争の道具ではなかった。彼は建設・土木の作業用の爆薬として、ダイナマイトを発明したのだ。
トンネルの掘削などの際にダイナマイトは活躍し、実に手早く安全に工事作業を進められる道具として広く需要があった。
ノーベルのダイナマイト発明の経緯
ダイナマイトのなにが優れていたかというと、実はその安全性である。爆弾が安全? どういうこと? となるところだが、簡単にいうと「爆弾を扱いやすくした」わけだ。
ダイナマイトのもととなる爆薬「ニトログリセリン」は、少しの振動で爆発してしまうデリケートな性質をもっており、製造や使用する過程での爆発事故が絶えなかった。
そこでノーベルが目を付けたのが、ニトログリセリンの輸送用の箱に敷き詰められた「珪藻土(けいそうど)」だ。
水分の吸収に優れた珪藻土に液体ニトログリセリンを吸わせれば、振動に強くなり、安全性が高まることを彼は発見したのである。
このように、ニトログリセリンの事故の起こりにくい爆薬が、ダイナマイトの原型だったのだ。
理屈としては簡単に思えるが、実用品として完成するまでは幾度にも渡る実験が繰り返された。爆薬を使う人々の安全のため、ノーベル自身が危険を冒すことを買って出たわけだ。
実際1864年には、実験に協力していた弟のエーミールが爆発事故で命を落としている。さらに通行人や隣人にも被害が出たため、出身地であるスウェーデンでの実験を禁止されるなどの非難にもさらされた。
ダイナマイトは、そんな紆余曲折を経ての発明だったのだ。
このときのノーベルは、なんとまだ30代前半。若き天才である。
若くして画期的な爆薬を発明してみせたことをきかっけに、彼は生涯を通して点火用の雷管、ゼリグナイト・バリスタイトといった発展形の爆薬の開発にも身を投じていくことになる。
ちなみに「ダイナマイト」はギリシャ語で「力」を意味する。本来は人々を助けるための力であったはずなのだが…。
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ノーベルの想いとは裏腹に、ダイナマイトは戦争の道具へ…
こうして1871年にダイナマイトは開発されるにいたったわけだが、混乱の時代にあった世間はその威力を見逃さなかった。
従来品の5倍の威力をもったダイナマイトは、戦争兵器として利用されるようになっていくのだ。
ノーベルは人を助けるためにダイナマイトを作ったわけだから、もちろん戦争利用には反対である。
しかし時代の流れには逆らえず…戦争の需要に応じて生産工場は増え、特許をもつノーベルは望まない形で莫大な資産を築くことになったのだった。
当時は、ダイナマイトを作った彼に「死の商人」という異名まで付けられた。
兄のリュドビックが亡くなった際には、ノーベルが亡くなったと勘違いされ、まるで吉報を知らせるかのように「死の商人死す」という見出しが新聞の一面を飾る始末…。
これを見たノーベルは、自分が世間からどういう目で見られているのか、また自分の発明が世界に与えてしまった影響を実感することになる。
爆薬を開発したというのは、戦争の手助けをしているのと同義だと捉えられていたのだ。自身は戦争での利用に反対してたにも関わらずこの扱い…どれほど心苦しかったことだろう。
なお、ノーベル自身もダイナマイトを発明したとき「ひょっとしてこれは、戦争で利用されるんじゃないか?」と予測をしていたそうだ。
いざフタを開けてみるとその通りで、彼はダイナマイトの製造を続けながらも、より早い戦争の終結を望んでいたという。
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世界平和を祈る気持ちからノーベル賞を設立
やはり望まない形で得た富で豊かになるというのは本意ではなかったのだろう。晩年、自身の死期を悟ったノーベルはこんな遺言を残す。
「自分が遺したお金は良い有価証券に投資し、それで儲けたお金を使って、世界のために何か立派なことをしてくれた、もしくはモノをつくった人のために使ってほしい」
この遺言をもとに、1895年に「ノーベル財団」が設立された。1901年の第一回授賞式より、世界に多大な貢献をした人物に、ノーベルの財産を運用した利益が「賞」として与えられることとなったのだ。
複数の賞の中に「平和賞」が設けられているノーベル賞。これはノーベルの平和を願う気持ちの表れともいえるだろう。
【追加雑学①】ノーベル経済学賞はノーベル賞ではない?
ノーベル賞には全部で6つの部門がある。
- ノーベル物理学賞
- ノーベル化学賞
- ノーベル生理学・医学賞
- ノーベル文学賞
- ノーベル平和賞
- ノーベル経済学賞
しかし、このうちノーベル経済学賞だけは、ノーベル財団によって「ノーベル賞ではない」と公言されている。どういうことかというと、ノーベル経済学賞は、スウェーデン国立銀行の設立300周年を祝って制定されたものなのだ。
賞が設立されたのも1968年である、他の部門より何十年もあとの話。賞金もノーベルの財産ではなく、スウェーデン国立銀行が用意したものが贈られる。
つまり「経済学の分野で功績を残した人も、同じように表彰されるべきだ」というスウェーデン国立銀行の計らいがあっての賞なのだ。
経済界で働く人たちだからこそ、その分野で功績を残すことの素晴らしさもわかるということだろう。
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【追加雑学②】若くして天才だったノーベルのエピソード
ダイナマイト発明の経緯を辿ってみると、いよいよノーベルがどんな人物だったかが気になってくる。ここで彼の来歴を簡単に紹介しておこう。
- 誕生日:1833年10月21日
- 死没日:1896年12月10日(63歳没)
- 出身地:スウェーデン(ストックホルム)
ノーベルが生きた時代というのは、日本でいえば明治維新を経て西洋化が加速していく激動の時代である。そんななかでノーベルもまた、自他国問わず戦争に大きく関わる、激動の生涯を送っていたわけだ。
ノーベルは幼少期からかなりの才児で、言語に関しては母語のスウェーデン語をはじめ、フランス語やロシア語にいたるまで、実に5ヵ国語をマスターするほどだった。
学習スピードの速さに、親兄弟や家庭教師も舌を巻いていたのだとか。
特に工学、とりわけ爆発物の研究に強く興味をもち、父親からも教えを受けていたのだそう。ダイナマイトの発明にいたったのは、この経歴があったからかもしれない。
さらに、わずか24歳でガスメーターの特許も出願している。このとき人生初の特許取得にいたったわけだが、24歳って…日本の企業なら新卒2年目だぞ…。
【追加雑学③】ノーベルの父も兵器を作った
ノーベルの父であるイマヌエルもまた、優秀な建築家で発明家だった。何を隠そう、ホームセンターで普通に見かける「合板(ごうはん)」という建築資材を発明したのは彼である。
イマヌエルには、戦艦を爆発で沈める兵器「機雷(きらい)」を大量に製造したエピソードもある。実際に爆発物を作っている父からノーベルは教えを受けていたのだ。
この機雷は1853~1856年のクミリア戦争で主に利用され、イマヌエルはかなりの収益を上げた。スウェーデンに住む家族を出先のロシアに呼び寄せ、裕福な暮らしをしていたというぞ。
息子のノーベルにも複数の家庭教師をつけ、いわば英才教育を施していたそう。彼がのちに天才と呼ばれるようになったのは、父親の影響によるところも大きいのだ。
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苦悩の晩年を送ったイマヌエル
しかし、イマヌエル自身は機雷の製造にたずさわって以降、あまり良い人生を送れなかった。
戦争終結とともに機雷の需要はなくなり、二度の破産を経験。息子のノーベルが活躍している裏側で、多くの苦悩を重ねていたのだ。
イマヌエルの晩年は行き詰まり、その息子ノーベルは富を得たものの、罪悪感にさいなまれる晩年を送った。やはり戦争はどんな結果をもたらそうとも、結局人を不幸にしてしまう…。
【追加雑学④】ノーベルだって結婚したかった!
発明に明け暮れる生涯を送ったノーベルは、生涯独身だった。しかし彼だって、「発明が恋人!」という感じではなく、結婚したいと考えたことがあったのだ。
ノーベルにはなんといっても、「稀代の発明家」「超絶金持ち」「5ヵ国語を話せる」という推しポイントがある。
実は、ノーベルは自分が話せる5ヵ国語で女性秘書を募集したことがある。いわば特技をフル活用した婚活である。
たしかに…ずっと引きこもって研究ばかりしていたら出会いもないだろうし…。
実際ノーベルは、このとき採用されたオーストラリア人秘書のベルタ・キンスキーのことが気になっていたという。しかし彼女には婚約者がおり、ノーベルはあえなく失恋…。
渾身の力を注いだ婚活は、結局実を結ぶことがなかったのである。
ちなみにベルタは、1905年にノーベル平和賞を受賞している。名誉なことではあるが、ちょっと複雑じゃないかそれ…。
「ノーベルとダイナマイト」の雑学まとめ
今回はノーベルとダイナマイトについての雑学をご紹介した。
ダイナマイトは現在もさまざまな爆薬の元となっている。それだけ革新的な発明だったということだ。
ノーベルは「天才発明家」「死の商人」「大金持ちの実業家」など、名誉を問わずあらゆる称号を手に入れた。しかしその実、生涯独身。パートナーには恵まれなかったのだ。
彼に資産目当ての嫁がいたとしたら、ノーベルの死後、その財産は賞設立に使われていなかったかもしれない。ただ…その目まぐるしい人生を思うと、せめて良い奥さんと出会って欲しかったな…と思わされるぞ…。
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