日本史

千利休が発案!お好み焼きの原型は戦国時代にできていた

お好み焼きの原型を作ったのは千利休という雑学

千利休

お好み焼きは言わずもがな、我々日本人に親しまれる鉄板焼き料理の1つだ。家族や友人たちと家で作れる手軽さもありつつ、お好み焼き専門の店も日本全国にたくさんある。

もちろん、縁日などお祭りの屋台においても外せない定番の食べ物だ。それほど馴染みが深いこのお好み焼きが、歴史上に初めて現れたのはいつだと思ったことはないだろうか?

イメージだと少し昔の関西、とりわけ大阪や広島あたりで発祥したと考えるのが自然なのかもしれない。

しかし、歴史をさかのぼること安土桃山時代茶人・千利休(せんのりきゅう)がこのお好み焼きの元祖となった食べ物を考えたという説が存在した!

ここでは伝説の茶人・千利休が考案したその食べ物のことや、そこから派生していった可能性のある食べ物のことも合わせ、雑学として記載したぞ!

千利休のエピソードとしても大変面白い雑学なので、ぜひご覧いただきたい。

【歴史雑学】お好み焼きの原型を作ったのは千利休

信長さん
お好み焼きの原型は『麩の焼き(ふのやき)』という茶菓子らしいが、千利休が考案したらしいぞ。
秀吉くん
え?アイツがお好み焼きの元になる料理を考えたんっすか?!

【雑学解説】原型は茶会の和菓子説

実は麩の焼きが、お好み焼きそのものの元になったという説には確実性がない。しかし、お好み焼きをふくめた現在のさまざまな「鉄板焼き」の元となったというのは有力な話なのだ。

ちなみに麩の焼きとは、水で溶いた小麦粉を薄く伸ばし焼いたものに、砂糖・味噌・山椒などを塗り、芥子の実(けしのみ)を入れて巻いた和菓子といわれている。

見た目は、春巻きのような感じをイメージしてもらいたい。千利休は、この菓子を考案し茶の席で出していたそうだ。

本人もこの麩の焼きを大変好み、茶会で出した回数はほかの茶菓子に比べてもかなり多かったという。

客人が「利休さん、また麩の焼きですか…」と思っていたかどうかは定かでないが、それほど利休自身にも愛されていた茶菓子なのだ。

秀吉くん
麩の焼き…確かに美味かったっすけど、しょっちゅう茶会で出すから一種の嫌がらせかと思ってたっすよ。

話を聞く限りでは大変美味しそうなスイーツにも思える。しかし、現在のお好み焼きと比較すると、まったく違うことがわかるだろう。

現在のお好み焼きは、豚肉・エビ・イカ・キャベツなどの具材を使用して作られるため主食イメージが強く、お菓子とはかけ離れてしまうのだ。

麩の焼きがなにかの元となったならば、発展型はクレープっぽい気もするのだが、あれは海外のものなのでやはり無理が生じる。

ただ、この茶菓子が鉄板焼き系・粉物のルーツとする見方があるのはたしかなようで、「水溶きの小麦粉を焼いた」というところにお好み焼きとの共通点があるといえよう。

さらに歴史がたつと、この麩の焼きが発展した可能性のある焼菓子が、江戸時代に存在したことが解った。次のトリビアでくわしく記述しようと思う。

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【追加トリビア】麩の焼きの進化型?

江戸時代では、麩の焼きに作り方が似通った焼き菓子があった。名前は「助惣焼(すけそうやき)」と呼ばれるもので、同じく小麦粉を薄く伸ばし焼いたものに、こちらは餡(あん)を巻いて食べるのだそうだ。

信長さん
おお、アンコ入りか…さらに美味しそうだな。

この助惣焼は「お好み焼き」そして、あの「どら焼き」の原型にもなったといわれている。上記の作り方を見るに、前述した麩の焼きの影響を強く受けていることが考えられるだろう。

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時代が進むと…

大正から昭和初期にかけ、東京ではもんじゃ焼きから派生した「どんどん焼き」が流行した。これも今のお好み焼きと同様、縁日の屋台などで人気があった粉物で、現在でも山形県などの一部地域ではソウルフードとして好まれているとのこと。

同じく大正時代の近畿地方では「※一銭洋食(いっせんようしょく)」という呼び名で、庶民や子供たちに親しまれた今の鉄板焼きにあたる粉物フードもあった。※ソースが一銭で買えたことからこの呼び名が付いた。

信長さん
大正時代あたりで、お好み焼きに非常に近い物が出来上がったといっても良さそうだな。
秀吉くん
この時代でやっとソース味になったんっすね!

これをベースとして、現在の広島風お好み焼きが作られるようになったという話もある。この2つの粉物も麩の焼き、助惣焼と同じく小麦粉を焼いてつくるという流れを組んでいる。いっぽうで具材はネギや肉などを使用し、ソースを掛けて食べるようになっていたのだ。

ここまでくるとお好み焼きまで大分近くなった形となる。もっともその大もととして、粉物の元祖とされる麩の焼きがあったことが無関係とは到底思えないため、これがお好み焼きの元になったという説の真実味はより増してきただろう。

トリビアまとめ

今回は、千利休とお好み焼きに関する雑学を紹介した。お好み焼きの元祖となったのは麩の焼き、あるいは助惣焼であったかもしれないが、原料が一緒なだけで実はさほど大差がないのかもしれない。

たとえば、小麦粉を伸ばし焼いただけのものが目の前にあったとしたら、そこに肉や野菜を巻くか、はたまたフルーツやクリームを巻いてクレープみたいにするか、食べようとする人間によって千差万別の形へ変わっていくだろう。

お好み焼きも、上記の時代のどこかで「これ乗せたら美味いんじゃないか?」くらいの感覚で完成したものだろうと思えてくる。

もっとも「侘び寂び」をモットーとする利休からすれば、現在の粉物は異様に映るのかも知れない。しかし、あなたの考えた麩の焼きは工夫されてここまで進化しましたよ、と言葉を付け加えた上で実際にお好み焼きを食べてもらい、ぜひともその感想を聞きたいものである。

秀吉くん
今度、アイツの墓前にお好み焼きでも供えてやろうかと思うっす。
信長さん
墓場であの匂いはただの嫌がらせだと思うぞ?お前、千利休に切腹を命令しただけでなく、死んでもなお嫌がらせをするとは…。

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