五輪の歴史

"パラリンピック"という名称を付けたのは日本!【動画あり】|オリンピック雑学

パラリンピックと名付けたのは日本という雑学

オリンピック後に開催されることで知られる、障がい者アスリートの祭典「パラリンピック」。いまや人々のあいだですっかり定着した「パラリンピック」だが、実はこの名称は、1964年の東京大会から付けられたことをご存知だろうか。

いわば日本が名付け親とされているのだ。この記事では、日本が名付けたとされる「パラリンピック」の名称のトリビアについてご紹介する。

【オリンピック雑学】パラリンピックを名付けたのは日本

1964年に開催された東京大会は、下半身が麻痺した「パラプレジア(Paraplegia)」選手が行う「オリンピック」という意味合いから、「パラリンピック(Paralympic)」と名付けたとされる。

【雑学解説】「パラリンピック」という名称は、1964年の東京大会に付けられた

障がい者スポーツの祭典として、オリンピック後に開催される「パラリンピック」。日本パラリンピック委員会のHPによると、パラリンピックの名称が初めて使用されたのは、1964年の東京大会からだという。

1964年の東京大会は、2部構成で開催された。第1部は、下半身が麻痺した車いす利用者に参加資格が与えられる「国際ストーク・マンデビル大会」として。第2部は、障がい者すべての人々を対象にした日本人選手のみ(海外の招待選手を含む)が参加できる国内大会としてである。

パラリンピックが開催される以前の名称は、上記したように「国際ストーク・マンデビル大会」といわれていた。これは、パラリンピックの生みの親とされるドイツ人医師「ルートヴィヒ・グットマン卿」が、イギリス・ロンドンに勤めていた病院名から取られている。

「グッドマン卿」は、1944年ロンドン郊外にあった「ストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センター」の所長に就任したことをきっかけに、入院患者を対象とした競技大会を開催した人物だ。これが後に国際大会へ発展し、現在の「パラリンピック」の原型となった。

実際の雰囲気を感じてもらうために、リオパラリンピックで日本選手たちがメダルを獲得したハイライト動画をご覧いただこう。

私たちに馴染みのない競技を知れることも、パラリンピックの大きな魅力のひとつといえるだろう。2020年の東京大会では選手たちがどんな勇姿を見せてくれるか、楽しみでならない。話をもとに戻そう。

1964年の東京大会で中心的な役割を果たした2人の日本人

東京でパラリンピックが開催される2年ほど前、国内で「国際身体障がい者スポーツ大会」の準備委員会が設立された。その委員長に就任したのが、元厚生省の官僚で、当時、社会福祉事業振興会会長だった「葛西嘉資(かさいよしすけ)」である。

大会の準備は葛西のほかに、パラリンピックの生みの親とされるドイツ人医師「ルードウィッヒ・グットマン卿」に師事していた「中村裕(なかむらひろし)」らが中心となって進められた。

「準備委員会」は大会を開催するにあたり、すべての身体障がい者が大会に参加できる「国際身体障がい者スポーツ大会」の開催を思い描いていた。それまでの大会は、身体が麻痺した車イス使用者に限られていたからだ。

こうして1964年の東京大会では、それまでの「国際ストーク・マンデビル大会」とともに、すべての身体障がい者が参加資格をもつ「パラリンピック」が、国内限定の大会として開催されたのである。

大会の愛称は「パラプレジア(英:Paraplegia)」と呼ばれる、下半身が対麻痺(ついまひ)した選手が行う「オリンピック」という意味合いから、「パラリンピック(Paralympic)」と名付けたとされる。

正式に「パラリンピック」が大会名として用いられるようになったのは、1985年のことである。さかのぼること約25年前、1964年の東京大会において、すべての身体障がい者を対象としたパラリンピックが開催されていたことになる。

なお、国際パラリンピック委員会は、後年、第1回のパラリンピック大会を、1960年のローマ大会と定めている。その理由は定かではないが、ご紹介してきた内容と齟齬が生じてはいけないので、付記しておく。

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【追加トリビア①】車イステニス界のレジェンド・国枝慎吾

健常者と同じように、身体障がい者のスポーツ界でもレジェンドが存在する。それが車イスのプロテニスプレーヤー「国枝慎吾」である。ユニクロのCMにも登場したことがあるので、ご存知の方も多いのではないだろうか。

彼の凄さは、その戦績を見れば一目瞭然である。彼は2007年に男子シングルスで、初のメジャー4大大会(全豪・全仏・全英・全米オープン)を同一年にすべて制覇した人物で、これまで「シングルス」では年間グランドスラムを計5回達成し、「ダブルス」ではグランドスラムと4大会連続優勝を果たしている。

メジャー大会のシングルスの優勝回数だけでも26勝を誇る。またシングルスの連勝記録は107を数える、とてつもない記録の持ち主である。

また、2004年のアテネパラリンピックでは、齋田悟司と組んだダブルスで金メダルを獲得したことを皮切りに、2008年の北京、2012年のロンドン大会でも金メダルを獲得した。日本が誇る世界的なプロテニスプレーヤーなのだ。

【追加トリビア②】パラリンピックのシンボルマークとは?

オリンピックのシンボルマークは、白地に5つの色の輪が描かれたデザインである。では、パラリンピックのシンボルマークをご存知だろうか。

そのシンボルマークは、赤・青・緑の3つの色で描かれた三日月のような形の「スリー・アギトス」と呼ばれるものである。

「アギト(agito)」とは、ラテン語で「私は動く」という意味である。日本パラリンピック委員会のHPによると、このデザインが選ばれたのは「困難なことがあってもあきらめずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現したもの」と紹介されている。

またデザインに赤・青・緑の3色が選ばれたのは、「世界の国旗に最も多く使用されている色」との理由があるという。これはオリンピックのシンボルマークに、5色の輪のデザインが採用されたことと同じ理由になっている。

2020年の東京パラリンピックが開催される前に、ぜひ知ってほしいシンボルマークだ。

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トリビアまとめ

以上、1964年の東京大会で「パラリンピック」と名付けられたトリビアと、日本が世界に誇る車イステニスプレーヤー・国枝慎吾および、パラリンピックのシンボルマークのトリビアについてご紹介してきた。

いまやオリンピック後に開催されることがすっかり定着した、障がい者のスポーツの祭典「パラリンピック」。その歴史をひも解けば、「パラリンピック」は、1964年の東京大会から名付けられたものだった。

オリンピックの正式種目となった日本発祥の競技には「柔道」や「ケイリン」があるが、実はパラリンピックという名称は、日本が名付けたものだったのである。2020年では、その母国でパラリンピックが開催される。どんな日本人選手が活躍するのか、その日を楽しみに待ちたい。

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