ピエール・ド・クーベルタンはギリシャで行われていた古代オリンピックに感銘を受け、現代にオリンピックを創設した。そしてクーベルタン男爵が魅せられたのは、各国が競技で競い合うことが戦争の抑止力になったという点である。
そして今も彼の名言として残り続ける言葉に「勝つことではなく、参加することに意義がある」という言葉がある。
クーベルタン男爵がオリンピックに求めたことは、国同士の歩み寄りだ。参加することはすなわち歩み寄ることであり、その言葉の通り、オリンピックの意義は参加することにあるといえる。世界平和への願いが込められた素晴らしい言葉だ。
…と、感心していたら、思わず耳を疑う情報が飛び込んできた。なんとこの「勝つことではなく、参加することに意義がある」は、クーベルタン男爵の言葉ではないというのだ。
どういうことだ!? ゴーストライターがスピーチを考えていたのがバレたのか!? それはそれでバカっぽくて笑えるが…。
今回はそんなクーベルタン男爵の名言にまつわる雑学に迫っていく!
【オリンピック雑学】「勝つことではなく、参加することに意義がある」と言ったのは誰?
【雑学解説】「参加することに意義がある」は、キリスト教大主教の激励
結論からいうと「勝つことではなく、参加することに意義がある」という言葉は、ロンドンのセント・ポール大聖堂にて、大主教のエセルバート・タルボットが語った言葉だ。
事の発端は1908年、ロンドンオリンピックが行われた際のこと。当時アメリカとイギリスは仲が悪く、ロンドンに滞在していたアメリカの選手たちは、これでもかと嫌がらせを受けた。
国同士が歩み寄る行事のはずが、国同士の関係悪化に拍車をかけてしまっている状況だったのだ。
意気消沈したアメリカの選手たちは、気晴らしにとセント・ポール大聖堂を訪れる。その際にタルボット大主教がアメリカの選手たちに掛けた言葉が「勝つことではなく、参加することに意義がある」だったのだ。
アメリカの選手たちはこの言葉に勇気付けられ、気力を取り戻した状態で大会に臨むことができた。
クーベルタン男爵はその事実と、自分がオリンピックを創設した真意を捉えたこの言葉に感動し、各国の関係者との晩餐会のスピーチで紹介したのだ。
結果的に世界へこの言葉を伝えたのはクーベルタン男爵だった。その結果、「勝つことではなく、参加することに意義がある」が彼の名言であると勘違いされた。とりあえず、ゴーストライターじゃなくて良かった…。
ただ彼はこの言葉に「大切なのは成功そのものではなく、成功するために努力することだ」と付け加えた。クーベルタン男爵の解釈を経て、言葉の意義深さがさらに強まっていることがわかる。
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【追加雑学】アメリカ、イギリスの不仲はイギリスの嫉妬から
どうしてアメリカとイギリスはそんなに仲が悪かったのか、気になった人も多いだろう。簡単にいえば当時力を付け始めていたアメリカに、イギリスが嫉妬したのだ。
アメリカの歴史は、元を辿ればイギリスの植民地から始まった。ようするに、イギリスがあったからこそ、今のアメリカがあるといえる。いわばアメリカはイギリスの弟分のような存在だった。
当初イギリスが優位に立っていたのだが、この頃になるとアメリカもスポーツなどの各分野で力を示し始める。これは兄貴分のイギリスとしては面白くない。「二番煎じは大人しくしとけや!」といった具合である。
今となってはアメリカは世界が認める大国だが、昔の情勢はまた違っていたのだ。世界史を辿ってみると、各国の意外な一面が垣間見えるのも興味深い。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。「勝つことではなく、参加することに意義がある」はクーベルタン男爵の名言ではなかった。
彼はこの言葉を聞いて、その意義深さを世界に伝えたかっただけなのである。しかし伝えられたその言葉には、また彼なりの解釈が加えられている。
彼によって言葉がさらに昇華されたのだから、これを「クーベルタン男爵の名言」とするのも、あながち間違いではないともいえる。
タルボット大主教の言葉にしても、クーベルタン男爵の言葉にしても、その意義に優劣はないだろう。