己の肉体のみをぶつけて勝敗をつける日本古来のスポーツ「相撲」。昨今では相撲人気の再来で、若い人でも興味を持つことも多いようだ。
相撲と言えば勝敗がとても分かりやすいのだが、引き分けになることは滅多にない。そして、勝敗や引き分け以外にも判定があるのをご存じだろうか?
今回はそんな相撲の判定についての雑学を紹介していくぞ!
【スポーツ雑学】相撲には「痛み分け」という判定がある
【雑学解説】相撲の「痛み分け」ってどういう判定?
相撲ではどちらが勝ったか微妙な軍配の時には、土俵下の審判員(または土俵下の力士)が「物言い」をつけて、判断がつかないときは「取り直し(再試合のこと)」を行い、決着をつける。
しかし、相撲は怪我がつきもののスポーツ。土俵から落ちたときや投げられたときに相手に乗っかられたりして、もう一番とることのできない怪我を負うこともある。
「取り直し」になったとしても片方あるいは双方が怪我をしてしまい、相撲ができなくなったときに「痛み分け」と判定され、双方に白星0.5個分の星が与えられるのだ!
「痛み分け」と「引き分け」との違いは?
痛み分けは前述したように「相撲が取れなくなったとき」に発生するものであり、引き分けは「相撲が長引き決着がつかないとき」に発生するのだ。
引き分けに明確な基準はないようなのだが、勝負が長引いたときに「水入り」という小休止を力士に与える。
水入り後も相撲が長引き、再度水入り。そうなると、二番後に水入り前と同じ形で取り直しをする。
その再開後の相撲でも二回水入りが発生してしまうと、そこで初めて「引き分けが」採用されるようだ。ただし、両者の体力などによっては引き分けまでの水入り回数は変わってくるようである。
【追加雑学】相撲で痛み分けはいつあった?
調べてみたところ、十両以上の取り組みでは1958(昭和33)年9月場所の若葉山(東前頭13枚目)対鳴門海(西前頭18枚目)を最後に出ていない。
幕下以下でも1999(平成11)年以降出ていない。幕下で20年、十両以上では60年以上出ていないのであれば、ほとんど聞かないのも納得だ。
痛み分けにはならなかったが…
1987(昭和63)年3月場所8日目。事件は起こった。
当時のライバルである小錦(関脇)と北天祐(大関)の一番。小錦の突きと寄りで土俵際まで一気に追い込まれる北天祐。逆転の突き落としを狙ったが…。
小錦の全体重(約220キロ)が、北天祐の左膝にモロに乗っかってしまったのである! 軍配は北天祐にあがったが、物言いがつき、両者同体と見て取り直しという結果に…。
8分あたりでは北天祐は左足を引きずり、まともに相撲をとれる状態ではないが、取り直しを行うことに…。結局取り直しの一番では小錦の寄りに呆気なく土俵の外へ。
勝った小錦も心配そうであり、「痛み分けでもよかったのではないか!」と批判を浴びる一番であった。あの状態で再度相撲をとらせるのは本当に厳しい…と少年相撲経験者の筆者も思う。
雑学まとめ
今回は相撲の判定についての雑学を紹介した。
ほとんど聞くことのない判定であるが、それに近い事象が起きることはある。
無理をして再度相撲を取らせるのか、痛み分けを行い無理をさせないのか。判断が難しいところではあるが、力士の将来をつぶすことだけはしてほしくないと思うものである。