テトリスといえば、上から降ってくるブロックを上手く積み重ねていき、消していくゲームだ。とても有名なゲームで、その名を知らぬ大人はいないだろう。落ちてくるブロックには色々な種類があり、ただブロックを消すだけといってもなかなか奥が深い。
そんなテトリスだが、元々は教育用ソフトとして作られていたという噂を聞いた。本当なのだろうか? 今回は、テトリスの誕生についての雑学を紹介していくぞ!
【サブカル雑学】「テトリス」は教育用ソフトとして作られていた?
【雑学解説】ソ連が作った教育ソフト「テトリス」
テトリスは軍人教育用ソフトウェアとして、旧ソ連(現在のロシア)によって開発された。テトリスによる訓練で動体視力を高めようとしたらしい。開発したのは、ソ連科学アカデミーに勤めていたアレクセイ・パジトノフという人物で、1984年6月6日に開発されたといわれている。
その後、テトリスはゲームとして応用されて広まっていく。しかしゲームとして普及するのにはしばらく時間を要したようだ。まだこの時点ではゲームとしてのシチュエーションが整えられていなかったことが大きな要因だと考えられている。
また、当時のソ連は冷戦という戦争の真っただ中であり、厳重な機密体制が敷かれていた。そのため、テトリスの情報がなかなか外に出回らなかったのも、ブレイクに時間がかかった要因であろう。
しかし一度ブレイクしたらその勢いはすさまじく、世界的な流行を見せた。あまりにも流行したので、こんな噂もささやかれた。「テトリスは、西側諸国の生産性を低下させるために、ソ連が送り込んだソフトウェア兵器なのではないか?」と…。
たしかにテトリスは中毒性が強く、一度やり始めたらなかなか止められない。1ゲームにかかる時間も短いので、仕事の休憩時間にサクッとやるのに適している。しかし、そのまま休憩が終わってもテトリスをやり続けてしまった労働者が数多くいたのかもしれない。
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【追加雑学①】テトリス日本導入の経緯
日本にはじめてテトリスが海外から導入されたのは、1988年末のこと、海外のパソコン版を移植する形で、「テトリス」PC版と当時人気を博していた家庭用ゲーム機「ファミコン」バージョンが発売された。しかし、先述のようにゲームとしてのチューニングがされておらず、あまり人気が出なかった。
日本国内でテトリスの人気が出たのは、ほぼ同時期にセガ・エンタープライゼスから発売されたアーケード版(ゲームセンターに置かれているゲーム機)のテトリスだった。
ゲームとしての操作性が増したため人気が爆発し、若者はもちろん、会社の昼休みに抜け出し背広を着たサラリーマンも楽しんでいたほどだ。
【追加雑学②】テトリスの由来は?
テトリスとなにげなく発音しているが、この言葉の由来はどこから来ているのだろうか? テトリスは「テトリミノ」と「テニス」を組み合わせて作られた言葉だ!
ギリシャ語で数字の「4」のことをテトラと呼ぶのだが、4つの正方形を並べた多角形のことを「テトリミノ」と呼ぶらしい。ちなみに複数の正方形からなる多角形のことを「ポリオミノ」という。
そのテトリミノの語尾に「テニス」をつけて、テトリスというわけだ。テニスをつけたのは、テニスという言葉の響きがいかにもゲームを連想させる響きだったためだ。これがテトリスの由来となっている。
【追加雑学③】テトリスだけじゃない!UFOもソ連の兵器?
未確認飛行物体UFO。実はUFOもソ連が作りだした兵器なのでは、と噂されている。レーダーに映りにくいステルス型の飛行物体として、中に人体改造をされた人間が乗っていたというのが噂の内容だ。
当時のソ連があまりにも情報を統制していたので、こうしたにわかには信じがたい噂が広まったのだ。本当かどうかは明らかになっていない。
雑学まとめ
今回は、テトリスについての雑学を紹介させてもらったが、いかがだっただろうか。
テトリスはゲームのイメージしかないので、教育用ソフトといわれてもイマイチぴんとこない。
ゲームに応用し、発展させた開発者たちのアイデアには頭が下がる。当時のセガのアーケード開発部門の技術者はそんなアイデア力と凄腕の技術をもっていたのだろう。
しかし、あまりに流行るゲームを作ってしまうと、熱中しすぎて仕事にならなくなってしまうという問題も生じる。開発者にとってはうれしいだろうが、国益のためにはならないのではと危惧してしまう。
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