マンガの神様手塚治虫は、異常な量の漫画を描き続けたことで知られている。生涯に書いた原稿の数は15万枚を超えるという。これは1日に7ページ描いても、60年かかってようやく完成する量だ。1日の睡眠時間は3時間から4時間ほどといわれており、ガンの闘病中にも漫画を描き続けた。
なんと晩年にも3作の漫画を描いている。そんな手塚治虫だが、医師免許を所持しているという。しかも在学中にプロの漫画家になっており、大卒ではないともいわれている。一体どういうことなのだろうか? 手塚治虫の医師免許に関する雑学をご紹介しよう。
【サブカル雑学】マンガの神様・手塚治虫は医師免許をもっていた
【雑学解説】手塚治虫は大阪大学附属医学専門部を卒業して医師免許を取得した
漫画の神様手塚治虫は、無免許の天才外科医を主人公にした漫画ブラックジャックを描いているが、実際に医師免許を所持していることでも知られている。手塚治虫は旧制浪速高等学校の入学試験に不合格になり、その年の7月に大阪帝国大学医学専門部の試験を受験し合格している。
医学専門部入学は1945年で戦時中のことだったが、手塚治虫は翌年の1月に四コマ漫画「マアチャンの日記帳」の連載を開始し、在学中に漫画家としてデビューしている。手塚治虫は5年制の医学専門部を1年留年し、1951年に卒業した。
あの「ジャングル大帝」の連載を開始したのも在学中である。入学した当初は漫画家ではなく医師になるつもりだったが、授業中でも漫画を書き続けていた。
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そのため、大学の講師に「このまま続けてもろくな医者にはなれないから、諦めて漫画家になれ」と忠告されたこともあるという。専門は外科だが血を見るのが苦手なため、医師になるのを諦めたともいわれている。
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【追加雑学①】手塚治虫は医師免許をもっているのに大卒ではない?
前述のように手塚治虫は高校入学に失敗して大学の医学専門部に入っている。戦時中のことなので現在とは学校の制度も異なるが、中学から直接大学の医学部に入学することはできない。医学専門部は大学の中に設置されているが、大学の学部ではなく専門学校という扱いになっている。
つまり、手塚治虫は医師免許をもってはいるが、大学を卒業しているわけではないのだ。このことを手塚治虫は隠していたわけではなく、デビュー当時の紹介では帝国大阪大学医学専門部卒業とされていた。
しかし、1980年代になると旧制浪華高校や大阪大学医学部予科に入学したという、事実とは異なる経歴が記載された書籍が出回った。このせいで手塚治虫は「学歴詐称をした」といわれたことがある。また、同時期に正確な学歴を記載した書籍が出回っていたことも分かっている。
一部の書籍で誤った学歴が紹介された理由については、現在も明らかになっていない。漫画家の地位向上のため、大学の医学部を卒業したことにしたと一部でいわれているが、すべては憶測にすぎないのだ。ちなみに、旧制浪華高校と大阪大学医学部予科は実際には存在しない。
手塚治虫は年齢や血液型も正確に記載されておらず、親しい漫画家も亡くなるまで本当の年齢を知らなかったという。
【追加雑学②】手塚治虫は死後に医師免許を返還しなかったせいで問題になった
手塚治虫は在学中からプロの漫画家として活動を続け、職業医師としては活動したことはない。しかし、医師免許は返還する必要がなく終身有効なため、生涯所持し続けていたという。手塚治虫の死後も医師免許は、遺族が所持していた。
宝塚手塚治虫記念館で開催された「『ブラック・ジャック』のDNA」で、手塚治虫の医師免許が展示されたこともある。下の動画は、手塚治虫記念館の様子を映したものだ。
医師免許は本人が死亡した場合は、返納する制度になっている。2003年11月20日にこのことが指摘され、問題となった。
厚生労働省で対応が協議されたが、一度返納した後に遺族に譲渡する特例措置がとられることになった。遺族が所有する手塚治虫の医師免許証には、「抹消」の赤印が押されているという。
雑学まとめ
手塚治虫の医師免許に関する雑学についてご紹介した。手塚治虫は常に作風が変化し続け、晩年まで漫画家として成長し続けたといわれている。しかし、医学の勉強をしているときまで漫画を描いていたというのは驚きである。
結局、漫画家以外になれない人物だったのかもしれない。医師免許を取得しても医師として活動することはなかった。ブラックジャックを無免許医にしたのは、この辺りのことが関係しているともいわれている。
学歴に関しても様々なことがいわれているが、本人が亡くなり永遠の謎となってしまった。
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