徳川家康。どんな勉強嫌いでもさすがに聞いたことはある名前だろう。そう、関ヶ原の戦いで勝利し、見事天下統一を成し遂げた戦国武将である。
なんと、徳川家康は医者が真っ青になるくらい医療の知識をもっていたといわれている。果たして、どれほどの知識があったのだろうか?
そこで今回は、徳川家康の薬や医療の知識についてのトリビアを紹介していこう。徳川家康のイメージが変わること、間違いなしだ。
【歴史雑学】徳川家康は、実は相当な知識を有する名医だった?
【雑学解説】徳川家康は自分で薬を調合するほどの医学通だった
徳川家康は健康志向を通り越して、超がつくほどの健康オタクだったといわれている。
徳川家康が生きた時代の平均寿命は30~40歳。そんななかで、75歳で亡くなった家康はかなりのご長寿である。これも、日ごろの健康志向の賜物といえるだろう。
なぜ、徳川家康はこれほどまでに健康オタクになったのか?
それは、天下統一をなしとげるため。
徳川家康と同時期には有名な戦国武将、織田信長・豊臣秀吉・武田信玄・今川義元と多くのライバルたちがいた。天下を取るためにはこのライバル達よりも長生きすることが必要だと考えた。
実際に、秀吉があと5年長生きしていれば、徳川家康の天下はなかったのかもしれないといわれている。この天下統一への執念から徳川家康は、薬剤の専門書『和剤局方』を肌身離さず、なんとその内容を暗記していたといわれている。
自分が病気になったときも医者ではなく、自分で症状に合わせた薬を調合していたというのだから大したものだ。こういった執念がなければ、天下統一は無理だったのだろう。我々も見習いたいものだ。
【追加雑学①】徳川家康が健康オタクに目覚めたきっかけ
徳川家康の健康オタクは生まれたときから…そんなわけはない。徳川家康が健康オタクに目覚めたきっかけは、1584年の小牧・長久保の戦いで負った傷ではないかと考えられている。
え? 小牧・長久保の戦いを知らないって? そんな人のためによく分かる動画を用意したから、これを見て頭に入れてほしい。
なんとなくお分かりいただけただろうか? とにかく、このとき徳川家康は背中に細菌感染による腫瘍・癰(よう)ができてしまった。このころはなんとか膿を絞り出そうとするが全く効果はなく、最終的に家臣が持ってきた薬を使い、回復したといわれている。
この出来事をきっかけに、徳川家康は薬の必要性に気づき、健康オタクに目覚めたのではないかと考えられている。
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【追加雑学②】死因はまさかの天ぷらの食べ過ぎ!?
戦国時代ではびっくりするほと長寿だった徳川家康。実は、天ぷらの食べ過ぎが死因ではないかという噂がある。
まさか…、と思った君。安心してほしい。
天ぷら食べすぎ説もあったらしいが、調べてみると胃がん説が有力といわれている。当初、徳川家康は腹部の腫瘍を寄生虫による寸白(すんぱく。サナダムシのこと)と判断し、当時万病に効くといわれていた「万病丹」というモノを飲んでいた。が、実はこれが毒薬だったのだ。
医師は止めたが徳川家康は全く聞かず、医者を遠くに飛ばす始末。その後も毒薬を飲み続けて身体が憔悴していき、ついに亡くなってしまったという。
やはり、医者の言葉は聞いたほうがいいということだろう…。
【追加雑学③】徳川家康は薬作りが趣味
徳川家康といえば鷹狩・囲碁といった多趣味でも知られているが、そのなかに薬作りも含まれていたという。
薬作りは特に熱心で、合戦の合間に薬の専門書を持って行き、薬草を育てるために薬園を作って自分で薬を調合したほどだ。実際にその医学の知識が役立ち、合戦場では感染症を防ぐためにけがをした兵士たちに石鹸で傷口を洗わせていたというから大したものだ。
ちなみに、鷹狩が好きだったといわれているが、この鷹狩も楽しむためではなく、体を鍛え内蔵の働きをアップさせるためだったらしい。全てのことを健康につなげていくこの執念。もはや尊敬に値する。
日本初の減量療法を取り入れたのも家康だった
天下統一をした将軍と考えると、さぞ毎日豪華な食事だったのではないかと思うが、実は徳川家康の食事は麦飯・豆味噌をベースにした非常に質素なものだったという。質素というと栄養バランスが心配になるが、健康オタクらしく副菜を加えたバランスのよい献立で、好き嫌いもなかったという。
当時の武将たちは徳川家康ほど食事に気を使っていなかったため、肥満体型が多くそれがもとで短命につながっていた。この徳川家康のバランスのとれた食事が後々注目を集め、肥満を解消し健康的になる減量療法へとなっていったというわけだ。
健康の基本はいつの時代も、食事から。我々現代人も、徳川家康の食事を見習ったほうがいいかもしれない。
雑学まとめ
天下統一のため徹底的に健康にこだわり、自ら薬を調合していた徳川家康。このトリビア、学校のテストには絶対に出ないが知っているだけで歴史上の人物を身近に感じることができるのではないだろうか。
ちなみに養命酒のロゴマークをつけたのも、徳川家康といわれている。養命酒を飲む機会があったら、徳川家康のように天下統一をした気分になってみるのもいいかもしれない。
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