1964年に開催された東京オリンピックのハイライトのひとつといえば、日本女子バレーボールチームの大活躍が挙げられる。大松博文(だいまつひろふみ)監督が率いる日本女子バレーチームは、金メダルをかけた決勝戦でソ連代表を破り、見事に金メダルを獲得した。
東京オリンピックの金メダルを獲得する過程には、当時、世界最強とうたわれたソ連代表を破るための猛練習や秘策があったとされる。
この雑学記事では、東京オリンピックで金メダルを獲得した、日本女子バレーボールチームから生まれた流行語と、それに関連するトリビアについてご紹介する。
【オリンピック雑学】1964年東京五輪の女子バレーのスゴさとは?
【雑学解説】東京オリンピック女子バレーで生まれた流行語はおもに5つある
オリンピックや世界大会で、日本の選手やチームが好成績をおさめた際は、選手やチームにまつわる言葉が流行語になるという現象は珍しくない。
たとえば、1964年の東京オリンピックで、金メダルを獲得した日本女子バレーボールチームも、その例にもれなかった。
1964年の東京オリンピック大会で、日本女子バレーボールチームは優勝決定戦で、当時、世界最強とうたわれたソ連代表を見事に破り、金メダルを獲得した。時系列でオリンピックに挑むまでの出来事を追いながら、5つの流行語をご紹介しよう。
流行語①:鬼の大松
1つ目が「鬼の大松」である。日本女子代表チームを率いたのは、大松博文(だいまつひろふみ)監督である。日本女子バレーボールチームが東京オリンピックで金メダルを獲得できたのは、なによりも大松監督の激しいトレーニングよって培われた。
当時の世界バレーボールの世界最強チームは、当時、世界選手権を3連覇していたソ連代表だった。自国の大会で金メダルを獲得するミッションを達成するために、ソ連を打ち破ることが最大の課題とされたのである。
大松監督は選手たちに激しいトレーニングを課した。そのトレーニングは過酷を極め、いつしか「鬼の大松」とまでいわれるようになった。その成果は徐々にあらわれていく。
流行語②・③:スパルタ練習&オレについてこい!
2つ目と3つ目が「スパルタ練習」と「黙ってオレについてこい!」という言葉である。大松監督の「スパルタ練習」は、徐々に成績に反映されていく。代表チームはオリンピックが開催される前年に、ヨーロッパ遠征をおこなった。
当時、世界最強とうたわれたソ連をはじめ、東ドイツなどの強豪チームを相手に、代表チームは破竹の22連勝を記録した。こうした「スパルタ式」の厳しいトレーニングを積み重ねるなかで、試合に必要となる精神力や技術を磨きあげていったのだ。
大松監督は、厳しい練習に明け暮れる選手たちに「オレについてこい!」と声をかけ鼓舞したとされる。この言葉は反響を呼び、自身の本のタイトルになったほか、オリンピックの翌年、堀川弘通監督によって映画化もされている。
流行語④:東洋の魔女
4つ目が「東洋の魔女」である。日本代表チームは第4回世界選手権で、見事にソ連代表チームを破り世界の頂点に立った。
当時、あまりの強さに日本の女子代表チームは「東洋の魔女」と呼ばれ、世界の注目を集めるほど力をつけていった。
こうして、日本女子代表チームは、東京オリンピックの大舞台に挑んだのである。
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流行語⑤:回転レシーブ
5つ目が「回転レシーブ」である。現在では世界中に広く普及している回転レシーブは、敵チームの強烈なスパイクによるポイントを防ぐため、打ち込まれたボールに選手が飛びつき、レシーブした後に回転をすることで素早く体勢を整えるプレーのこと。
このプレーは、大松監督がソ連に対抗するために生み出したものである。自国開催のオリンピックで金メダルを獲得するためには、こうした厳しい練習と、選手たちを鼓舞する監督の強烈なリーダーシップが背景にあった。
そして、いよいよ東京オリンピックの本番をむかえた。
総当たり戦で行われたオリンピック本番の試合において、日本女子代表チームは順調に勝ちを積み重ね、最終戦となる優勝決定戦で、ソ連代表を見事に破って金メダルに輝いたのである。
ここで彼女たちの試合映像をご覧いただこう。
現代では「スパルタ式の練習」は、世間から問題視される傾向が強い。その賛否はともかく、大松監督が厳しい練習を選手たちに課したのも、自国のオリンピックで金メダルを獲得することを至上命題と捉えていた証かもしれない。
【追加雑学①】決勝戦の日本vsソ連戦の映像は、ハイライト映像しか残っていない
東京オリンピックで金メダルを獲得した日本女子バレーボールチーム。それは同時に、日本のオリンピック史上、日本女子団体スポーツが初めて獲得した金メダルでもあった。ソ連との歴史的な一戦は、当然ながら放送局が試合映像を保管していると思っていないだろうか。
じつは、放送局には試合のハイライト映像しか残っていないのだ。東京オリンピックが開催された当時は、テレビが普及した直後にあたり、映像を記録するためのカメラテープが非常に高価だったとされる。
そのため、試合を中継する放送局ではテープを上書きするかたちで使用するのが一般的だったという。
したがって、中継を担当したNHKには、試合の一部を収めたハイライト映像しか現存していないとされる。つまり、ソ連との優勝決定戦の試合は、長らく幻のテープだったのである。
しかし、2012年6月、一般家庭から試合映像を収録したビデオが見つかり、ラジオの音声を重ね合わせ、2013年1月に伝説の名勝負「東洋の魔女 世紀の金メダルロード」として、NHK BS1で放映された。
筆者はかつて、VHSテープに録画した映画を間違って上書きした経験があるが、このエピソードはその話のレベルとはまったく違う、テレビ放送の黎明期ならではのエピソードである。
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【追加雑学②】放送メディア初の勝利インタビューは大松監督
現在では、スポーツ競技で必ずといっていいほどおこなわれる勝利監督インタビュー。じつはこの勝利監督インタビューを初めて放送メディアがおこなったのが、東京オリンピックで金メダルを獲得した日本女子バレーボールチームの大松監督だったのをご存知だろうか。
日本は、ソ連を相手にセットカウント3-1で見事に勝利する。試合が終了した直後、放送を中継した放送局による大松監督の勝利インタビューがおこなわれた。
当時のルールでは、新聞などの活字メディアが先にインタビューをする慣例があったようだが、この試合では、放送局が試合直後の大松監督の勝利インタビューをおこなった。
つまり、日本で初めて活字メディアより先におこなわれた、放送メディアによる試合直後の勝利監督インタビューだったのだ。
ソ連との金メダルをかけた歴史的一戦は、スポーツ中継としては歴代最高視聴率となる66.8%を記録した。
日本中が固唾を吞んで見守ったこの視聴率は、いまだに破られてない不滅の記録である。自国開催のオリンピックにおいて、まさにこの一戦は、記録にも記憶にも残る歴史的なものとなった。
2回目の東京オリンピックでは、この歴代視聴率が破られるかにも注目が集まる。
雑学まとめ
以上、1964年東京オリンピックの女子バレーにおける5つの流行語と、女子バレーボールチームに関連する雑学をご紹介してきた。
オリンピックで、日本女子団体スポーツで初めて金メダルを獲得した女子バレーボチームの快挙の裏には、メディアの歴史にも残る出来事が隠されていた。
日本中が固唾を吞んで見守った東京オリンピックの歴史的な一戦は、同時にメディア史にも刻まれた貴重な大会でもあった。黎明期の放送局を思わせるエピソードの数々ではないだろうか。
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