日本で一番高額な紙幣単位である一万円札。そんな一万円札だが、「諭吉さん」なんていわれることもある。これは、一万円札に福沢諭吉の肖像が描かれているからだ。
福沢諭吉は「学問のすすめ」を著し、日本近代化に欠かせない存在の人物だった。まさに、一万円札にふさわしい人物だといえる。
一万円札の福沢諭吉は凛々しく精悍(せいかん)な顔つきであり、貫禄すら感じるが、この福沢諭吉は56歳のときのものであるらしい。今回は、一万円札に描かれている福沢諭吉についての雑学をご紹介する。
【歴史雑学】一万円札の「福沢諭吉」の年齢は56歳
一万円札に描かれている福沢諭吉の肖像画は、明治24年(1891年)、福沢諭吉56歳のものであるといわれている。
【雑学解説】明治24年、福沢諭吉56歳のときの顔
「福沢諭吉辞典」によると、一万円札の福沢諭吉の肖像は、明治24年(1891年)の頃の写真のようだ。
福沢諭吉は1835年生まれであるから、56歳のときの肖像ということになる。56歳のときの諭吉は、ちょうど子どもたちが次々と結婚を迎えた頃で、親としての喜びをかみしめていた時期だといわれている。
たしかに、一万円札の穏やかな表情からは、人生が上手くいっているのだなと感じる。
諭吉の肖像画には明治32年、1899年に刊行された『福翁自伝』の口絵になっているものもある。こちらは、一万円札の肖像の頃よりさらに円熟味を増して、多くの人から好まれているようだ。
福沢諭吉といえば、慶應義塾大学の創始者で「天は人のうえに人を作らず」という言葉で有名。性格を想像するに、高潔な人格者のイメージがある。子どもの頃からエリート街道を突っ走ってきたのだろう。
…と思っていたが、実は苦労も多かったようだ。子ども時代はいじめられっ子で、外に出るのを嫌がり、いつも家の中で遊んでいたらしい。
そのせいでストレスが溜まっていたか、10代から大酒飲みとなってしまう。さらにタバコにも手を出すなど、若い頃はかなり荒んだ生活を送っていたとのこと。
人格的にも、高潔かと思いきや、実は荒々しい一面があったようだ。娘が結婚相手として連れてきた男に「うちの子と結婚するなんて身分違いだ!」と怒鳴ったこともあったのだそう。
「天は人の上に人を作らず」という言葉を作った人物にあるまじき言葉ではないか…。
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【追加雑学】福沢諭吉は銀行の考え方を日本に伝えた
上記のように、プライベートでは問題ある一面をのぞかせた福沢諭吉であるが、数々の偉業を成し遂げたすごい人物であることは間違いない。
慶応義塾の創始者であることは知っている人も多いが、実は銀行の考え方を日本に伝えた人物でもある。何度も海外に留学していて、海外で学んだ制度や文化を積極的に日本に取り入れる取り組みも行なっていたのだ。
その中の一つとして、中央銀行の考え方や制度を伝えている。日本銀行の設立にも関わっており、さらに複式簿記の考え方までも伝えたのだ。
簿記を少しかじったことがあるなら、帳簿・借方・貸方などの言葉を知っているだろうが、これらの言葉も福沢諭吉が訳した言葉なのだ。
今や日常生活に欠かせない存在となっている銀行だが、福沢諭吉がいなければ今の銀行制度はなかったかもしれないともいえる。会社の経理で広く使われている複式簿記についても同様だ。
さらに、福沢諭吉が海外から伝えたものは銀行だけでなく、保険制度も伝えている。万が一の事態に備える保険だが、福沢諭吉は「生命保険」「損害保険」「火災保険」の3つを紹介しているのだ。
保険も人々の生活において、なくてはならない存在である。
このように、福沢諭吉が伝えた制度は、100年以上経った現代でも変わらず使われているものばかり。いかに彼がすごい人物であるか、お分かりのことだろう。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。一万円札に描かれている福沢諭吉は、56歳のものなのだ。56歳といえば、現代日本では、定年を間近に控え、今までの人生を振り返る人も多い年代だろう。
今までの人生が見た目に色濃く表れる年頃である。一万円札に描かれている福沢諭吉の表情からは、数々の功績を成し遂げてきた人生を反映しているのか、達観した雰囲気すら感じる。
私も福沢先生のような偉大な人生を送りたいものである。そのためには、これからも精進しなければならない…。
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