みなさんはお寿司が好きだろうか? 私は好きだ。回転寿司に家族でときどき行ったりする。
マグロ・イカ・はまち・赤貝・たまご・いくら…。小さなサイズながら見た目にも鮮やかでいろいろな味が楽しめるお寿司。日本が誇る食事の一つであろう。そんなお寿司の中には握り寿司をはじめ、巻物や軍艦巻きといったものがある。
今回の雑学では、この軍艦巻きが登場した由来をご紹介しよう。
【食べ物雑学】軍艦巻きが生まれた由来とは?
【雑学解説】軍艦巻きの由来は客の要望から
お寿司の歴史を紐解いてみると、実はかなり昔から存在していたことがわかる。現在は日本食の代表ともいうべき食事だが、発祥は紀元前4世紀ごろだ。
東南アジアの山地民族の中で生まれた。もともとは川魚の保存方法として登場したもので、コメなどの穀類と魚を一緒に漬けて保存したといわれている。
日本に伝わったといわれるのは718年ごろ。今の形に近い握り寿司の形になってきたのは1829年の江戸前寿司と呼ばれるものだ。
1897年ごろからは製氷技術の発達により生魚を利用することが多くなる。江戸時代にポピュラーだった大きなサイズのお寿司から今のサイズに近いものに変わってきたのだ。
そして少しずつお寿司が全国に広まってきた1941年のこと、東京の銀座にある寿司店「久兵衛」の常連でもあった一人の客の言葉から軍艦巻きが登場することになる。
「いくらの寿司が食べたい」
その客は「いくらの寿司が食べたい」と注文を付けたそう。しかし当時は握り寿司が主流。
横にこぼれてしまうようないくらやうにを使ったお寿司は存在しなかった。久兵衛の店主である今田寿治さんがその客の要望に応えるべく考案したのが軍艦巻きだ。
横にこぼれるのを防ぐため、のりを巻いてその上にいくらやうにを乗せる、今では当たり前のように見るお寿司だ。
軍艦巻きはゲテモノ扱いだった
しかし当時はかなり批評されたそうだ。NHKのラジオ番組でも「ゲテモノ」といわれるほど。どの時代も新しい発明や想像を超えたものにはなかなか手厳しいものだ。
はじめこそ嫌煙された軍艦巻きだが、徐々に受け入れられるようになり、少しずつバリエーションが増えていくことになる。
ちなみにこの「軍艦巻き」の名前の由来は、そのままの通り「軍艦」に見た目が似ているというところからだ。
現在の回転寿司などはメニューの3分の1くらいが軍艦巻きだったりするところもあるだろう。私も大好きだ。特にかにかまやツナサラダなど。
当時の寿司職人に見せたら気絶モノの組み合わせだろうなと思う。
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【追加雑学】いくらの軍艦巻きにキュウリが付いている理由とは?
ところでこのいくらやうにの軍艦巻き、よくキュウリが一緒に添えられているのはご存じだろう。
このキュウリ、いったい何のためにあるのだろうか。色合い? 量増し? いやいや、実はもっと実用的な理由があったのだ。
みなさん、寿司を食べるときの仕草をしてみてもらいたい。通常の握りなら問題はないが、いくらなどの軍艦巻きは醤油をつけようとななめにするとネタが零れ落ちてきてしまう。かといって、シャリの方に醤油をつけたのであってはしょっぱくなりすぎてしまう。
この問題を解決するのが、このキュウリなのだ。
キュウリの先の部分に醤油をつけるとキュウリをつたって、いい具合に醤油がいくらの方に流れてくる。キュウリはそんな粋なはからいでいくらやうにと一緒に乗せられていたのだ。
軍艦巻きの由来|雑学まとめ
いかがだっただろうか。今回は軍艦巻きについての雑学をご紹介した。
寿司寿司と何度も書いていたので、無性にお寿司が食べたくなった。明日の夜は回転寿司に行こう。そして粋にキュウリに醤油をつけて軍艦巻きを堪能してこようと思う。
みなさんも美味しいお寿司を味わってみてほしい。手先の器用さに自信がある方はぜひ動画を参考に自分で作ってみるのもいいかもしれない。
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