「近代オリンピックの父」と称されるクーベルタン伯爵。彼は古代ギリシャでおこなわれていたオリンピックを、19世紀に復活させた人物だ。いわば現在のオリンピックの生み親といってもいい。そのクーベルタンの遺体は、彼が晩年を過ごしたスイス・ローザンヌに眠っている。
しかし彼の心臓だけは、本人の遺言によって別の場所に埋められたことをご存知だろうか。それがギリシャのオリンピアである。この記事では、近代のオリンピックの生みの親ともいえるクーベルタンの雑学についてご紹介する。
【オリンピック雑学】近代五輪の父・クーベルタンの心臓の行方は…
【雑学解説】近代オリンピックの創始者・クーベルタン伯爵の偉大な夢
近代オリンピックを提唱したことで知られるピエール・ド・クーベルタン男爵。 彼は古代ギリシャでおこなわれたオリンピックを19世紀に復活させたことから、「近代オリンピックの父」と呼ばれた人物である。
じつは死後、彼の心臓は遺言によってギリシャ・オリンピア遺跡に埋められたことをご存知だろうか。まずは彼がどんな人物だったか、その経歴を見ていこう。
クーベルタンは、1863年、貴族の家系の三男としてパリに生まれた。彼は当初、軍人や政治家などを目指したが、次第に教育に興味を示すようになった。そして、スポーツにおける教育の力の可能性に目をつけるようになる。
それはイギリスの学生たちがスポーツに興じる姿を見て、彼が感銘を受けたことがきっかけだった。そして、スポーツを取り入れた教育改革に力を入れて、ヨーロッパ各国を巡って、スポーツを通じた国際交流などを重ねていく。
スポーツ教育の理想として「古代オリンピックの復活」を描いた彼の想いは、1894年6月に結実することになる。「パリ万国博覧会」に際して開かれたスポーツ関係者の会議で、 クーベルタンは、オリンピックの復活を議題に挙げたのだ。
その案は満場一致で可決され、オリンピックの第1回大会は1896年に、古代オリンピックが開催されたギリシャで開催することに決まった。オリンピックの郷帰りというわけである。こうして現代につながるオリンピックが開催されることが決定した。
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オリンピックの復活に力を注いだクーベルタンが亡くなったのは、1937年にスイス・ジュネーブであった。遺体はスイスで最も美しい墓地のひとつとされるローザンヌ(都市)の、ボア・ド・ヴォー墓地に埋葬された。
だが、彼の心臓だけは、彼の遺言に従ってギリシャ・オリンピア遺跡の近くにある古代競技場のそばに埋められた。彼の心臓をオリンピアに埋葬する式典には、講道館柔道の創始者であり、1909年に、東洋初の国際オリンピック委員に就任した嘉納治五郎(かのうじごろう)も参加した。
スポーツ教育に可能性を見出したクーベルタンの夢は、オリンピックを開催することで見事に実を結んだのである。
スポーツ教育の力を信じ、オリンピックを開催する大きな夢を描いた彼のハート(心臓)が、オリンピックの故郷ともいえるギリシャの地に埋葬されたことは、なんと美しいエピソードだろう。
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【追加雑学①】五輪のマークは、5大陸をあらわすために描かれたというのは嘘?
オリンピックのシンボルマークとしてすっかり定着している「五輪のマーク」。白地の上に、青・黄・黒・緑・赤と5つの輪を描いたものである。読者の方も、映像や開会式の入場の際に一度は目にしたことがあるだろう。
五輪のマークは、クーベルタンによって考案されたものである。このマークに関してよくいわれるのが、5つの輪は5大陸をあらわすために描かれたとされることである。だが、それはあくまで後に生まれた俗説に過ぎないという説がある。
本当のところは、世界中に使われる国旗の色が白を加えた6つの色で描けることにデザインの理由があるという。あくまで私見だが、クーベルタンのデザインの理由もさることながら、その通説もなかなか理にかなった理由だと思うのは、筆者だけであろうか。
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【追加雑学②】「オリンピックは参加することに意義ある」はクーベルタン本人が言ったものではない?
オリンピックの大会中、こんな言葉を聞いた覚えはないだろうか。「オリンピックは参加することに意義がある」。
これはクーベルタンが、「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することに意義がある」と言ったことに由来があるとされる言葉である。
だがこの言葉は、彼のオリジナルの発言ではないのだ。言葉の由来は、1908年のロンドンオリンピック大会までさかのぼる。大会中アメリカの選手たちが、イギリス人がくだす判定に抗議するなど、両国の関係者のあいだには険悪なムードが満ちていた。
ある日の日曜日、アメリカの選手たちは礼拝のために教会へ行った。そしてアメリカの選手たちを前にして、教会の主教・エセルバート・タルボットが「オリンピックは参加することに意義がある」との趣旨を述べ、彼らを諭したことにルーツがあるのだ。
クーベルタンは オリンピックの理想はスポーツを通して人間を形成することであり、オリンピックの根底には、文化や国籍を超えて、人と人とが理解しあう世界平和の意味が含まれていると考えていた。そのため主教が選手たちを前に諭した、この言葉にとても感動したといわれる。
そしてイギリス政府主催の晩餐会で、この言葉をスピーチの際に紹介した。以後、オリンピックの開催の理念や理想を表現する語句として、クーベルタンの言葉として人々に知られるようになったのだ。
「オリンピックは参加することに意義がある」とは、当初は選手たちを前に教会の主教が諭した説教の一部だったのである。この事実を筆者もまったく知らなかった。友人や仲間の前で、ぜひ披露したいトリビアのひとつである。
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雑学まとめ
「近代オリンピックの父」と称えられるクーベルタンの生涯と、彼にまつわるオリンピックの雑学についてご紹介してきた。
追加雑学②でご紹介したように、オリジナルの基本理念は、スポーツを通じて、人格を形成し、国籍や文化の異なる人々と理解しあうことにある。
当初は教育者になることを志した、クーベルタンらしい基本理念だが、昨今のオリンピックを見ていると、勝利至上主義や商業的成功の如何ばかりが報道されるが、近代オリンピックの基本的な理念をもう一度、私たちは思い出す必要があるかもしれない。