大昔の日本、戦国時代はその名のとおり、日本国中の大名が自分の領土を増やそうと奮闘し、合戦を行なっていた時代であることは、皆様もご存知のはず。
戦国時代が小説に映画やドラマ・ゲーム化までされるのは、戦国武将たちの生き様に、ドラマ性があるといった魅力を感じる人が多いからであろう。
特に合戦となれば、敵と味方の駆け引きが勝敗を左右する熱い戦いが繰り広げられていた…と、想像するのではないだろうか?
実は戦国時代の合戦は、ただ敵を倒そうと戦っていたわけではなく、しっかりとルールや作法があったらしい。しかも、われわれが想像している戦と現実の戦はかなり違うとか…。
今回の雑学では、実際の戦国時代の合戦がどのように繰り広げられていたかを解説していくぞ。
【ルール雑学】戦国時代の合戦にはルール・作法がちゃんとある
【雑学解説】合戦が始まったら突撃~!…ではなく悪口!?
実際に合戦を始めるとして、いくら殺したいほどにムカつく相手であっても、いきなり大量の兵士を連れて城へ攻め込む…などということはしない。しっかりと事前に準備をしてから合戦に出るのである。
準備というのは合戦をするための出陣する日にちや、武具や兵士の調達、出陣のための儀式といった段階を踏んでしっかりと下準備をするのである。ただ下準備をするだけではなく、日本人の“さが”であろうか、縁起の良さを特に重要視していたのだ。
合戦に関する縁起担ぎに関しては追加雑学にて詳細を書きたい。
さて、準備が終わればいざ戦場へ! 陣形を組んで敵と向かい合ったら突撃ー! 敵の大将の首を取れー! ………じゃないんだなこれが。なんと最初に行うのは悪口合戦だというのだ!
「鬨(とき)の声」という味方の士気を上げる掛け声を行なった後に、まずは敵の悪口を言うのである。まさか「バーカバーカ!」ではないと思うが、恐らくはお互いの総大将の悪口を言っていたものと思われる。…小学生かよ!
悪口合戦で味方のテンションがアップしたところでやっと合戦が始まる。合戦が始まる際は、まず鏑矢(かぶらや)という放つと音がなる矢を合図に、敵陣に向けて一斉に弓矢を放つ「矢合わせ」というものを行う。
矢合わせには、事前に敵の兵士の数を一気に減らすという目的があった。矢を放った後は、お互いに槍を持って歩み寄り、槍で叩き合うのだ。この最中にどんどん陣形にほころびが出てくるので、騎馬隊などを導入し、どんどん状況に合わせて戦法を変えていったということらしい。
ちなみにドラマでの合戦などでは、戦国武将が馬にまたがり格好良く戦場を走り回っているが、実際の戦では最初は馬から降りて戦っていたのだ! 馬にまたがりっぱなしで戦うことは皆無だったらしい。
そして、最終局面に至っては大体取っ組み合いのケンカになって脇差で刺していたという…。結構恐いかもしれないなそれ。敵の大将を討ち取るか、降伏の宣言などがあればそこで合戦は終わりである。後は味方の武功をホメたり、敵の処罰へと続く。
これが合戦の大まかな流れだ。思ってたものとなんか違うな…と、お思いの方もいるかもしれないが実際の武将がサラブレッドじゃなくてポニーに乗ってたとかそういう話もあるわけで、やはり我々が知っている戦国時代は少々美化しすぎているのかもしれない。
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【追加雑学】ゲン担ぎは大事!あらゆるところに縁起を意識していた
合戦の準備の際に縁起を意識していたと前述したが、実際にどのようなところを気をつけていたかを一部ではあるが紹介しよう。
出陣すると縁起が悪い日がある
我々の日常生活で「仏滅に結婚式」とか「友引に葬式」はアウトであるといったことはご存じの方も多いはずだが、合戦の日付も絶対に出陣してはいけない日というものがあったのである。
それが「往亡日」(おうもうにち)という、陰陽道では凶日といわれている日で、1年のうち12日は往亡日なのだという。この日だけは縁起が悪いため、どの大名も避けていたとか。
縁起の良い食べ物を食べて必勝祈願
これは現代の我々でも思い浮かぶが、受験生がカツ丼を食べて合格するとかその類の意味を、合戦に出陣する武士たちも意識していたのだ。
縁起の良い食べものを口にすることを「三献の儀」(さんこんのぎ)と呼ばれ、武士は合戦の出陣前に「打鮑」(あわび)・「勝栗」・「昆布」の3種類を「打ち(鮑)勝ち(栗)喜ぶ(昆布)」という語呂からゲン担ぎとして、酒とともに食していたという。
出陣までの3日間は女性との接触はNG
合戦に出る男性は、出陣日の3日前から女性との接触はNGだったそうだ。
その理由は現代だったら非常にまずいものであるが、当時の日本では女性は不浄であるとされ、合戦に出る前に接触することは非常に縁起が良くない…というトンデモ理由から、出陣前は自分の嫁さんですら顔を合わせなかったそうだ。
妻といることで、合戦への決心が揺らいでしまうことを避けるため、という説もある。
右への落馬は吉
合戦へ出陣する際、道中で落馬をしてしまった場合、右への落馬は吉、左の落馬は凶というものもある。どこでも縁起を気にしていたのだ。
実際に落馬しそうになったときに「ヤバッ! 右じゃないと縁起悪い!」とか意識してたのだろうか?なかなか忙しい気もする。
【追加雑学②】「えいえいおー!」は合戦で使われていた掛け声
集団でなにか物事を成し遂げようといった、団結するときに「えいえいおー!」という掛け声をあげることがあるが、実はこの掛け声は合戦で使われていたものなのだ。
前述した「鬨の声」をあげるときに、武士たちは「えいえいおう!」と叫んでいたという。動画で確認をしてみよう。
イケボな長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の声に合わせて、「えいえいおう!」と鬨の声を挙げている様子がわかるだろう。実際の合戦の際も、このように味方の士気を上げるために、声を合わせていたはずだ。
大将が「えいえい」と言ったら、のこりの者が「おう」と合わせて声を出すのだ。「えいえいえい」と、3回繰り返していたパターンもあったらしいぞ。
「えいえいおう」の由来には諸説あるが、そのひとつに「鋭鋭応」という、精鋭や鋭意といった「鋭い」を意味し、大将の掛け声に応答する部下たちの「応」であったというものがある。合戦い前の気合を入れる鋭い掛け声、という感じなのだろうか?
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【追加雑学③】合戦が終わった後も作法はある。首実検とは?
人気ゲーム「戦国無双」では、敵の武将を倒すとキャラクターが「敵将、討ち取ったり!」と喋るが、実際の「討ち取ったり」の証拠は相手の首を取って、生首を持ち帰ることだったという…今やったら即110番だ!
もちろん敵将の首をもって帰ってきたものにはものすごいボーナスが入るわけだが、その前に「本当にこの首が敵将のものか」を見定めるために査定をするのだ。この首の査定のことを「首実検」(くびじっけん)と呼ぶ。
ネットもなかった時代、武将がインスタに自撮りを上げているわけもないので、首が本物かどうかを見定めるために複数人で討ち取った本人の証言や、場合によっては敵軍の捕虜などの証言を参考に、しっかりと見定められたとか。
この首実検にも作法があり、首にはまず死化粧という化粧を施し、乱れた髪はきれいに結い直される。敵であってもの死者は丁重に扱うという、武士らしい作法のひとつだ。死化粧をするのは武家の女性たちの仕事である。
化粧を施された首は台に置かれ、いよいよ首実検が始まるが、みんな甲冑に槍という武装した格好で行なっている。その理由は首の奪還のための敵襲を警戒してのことと、生首が怨念で襲いかかってきた際に対応するためだという…。
首実検は、家臣が一人ずつ総大将の前に首を差し出し、証言していくという流れで進められる。検証が済んだ首には木札が掛けられ、階級によってランク分けされる。ここまで行うことでボーナス判定がされるのだ。
首実検が行われた後の首は、敵の城へ返送したり、場合によってはさらし首にされ、雑兵の場合はそのまま埋められたりもしたという。合戦が終わった後も、このような儀式が行われていたのだ。
アニメ「忍たま乱太郎」には首実検に関係する委員会がある
さて、このような恐ろしい首実検ではあるが、子供向けアニメの「忍たま乱太郎」にも首実検に関するネタが盛り込まれているのだ。
物語の舞台である忍術学園には委員会というものがあり、生徒たちが委員会ごとに役割をもっている。たとえば会計委員会なら委員会の予算管理が仕事で、たまに予算が欲しい他の委員会と衝突することもある。
他には生物委員会に保健委員会、図書委員会などと、一見普通の委員会ばかりと思いそうだが。その中に作法委員会という委員会がある。名前からして茶道や華道などをイメージしそうであるが、この委員会は合戦の作法に関するものを管理している委員会である。
何を管理しているかといえば、なんと首実検の演習で使用する生首のフィギュアだ。さすがにアニメでは首実検をしている描写は出ておらず、生首フィギュアのお手入れをするシーン程度の描写であるので安心してもらいたい…。
それどころかこの生首フィギュア、バレーボールのボールにされたりと扱いが酷かったり、会計委員会委員長の潮江文次郎を模した「もんじろくん」という生首まで作られるなど、フィギュアとはいえ生首でかなりブラックなギャグをかましている。
しかし忍者の卵とはいえ、乱太郎たち一年生は10歳、委員長である最高学年の立花仙蔵ですら15歳の少年だ。そんな彼らがアニメでは見えないところで首実検やら死化粧の演習をしているのだろうかと思うと、なんとも恐いものがある気もする…。
雑学まとめ
戦国時代の合戦ルールについての雑学をご紹介した。
合戦には細かいルールが存在しており、それは、出陣から合戦の行い方に至るまで、綿密に考えられた作法や儀式だったのだ。
たとえ合戦とはいえ礼儀を忘れず、縁起を強く意識するというのは、律儀な性格の日本人特有のものなのだろうか?
文化や生活風景が変わっても、今の時代も合戦を行なっていた時代もやはり中身は同じ日本人なのだなと実感した。