街中のふとした場所にたたずんでいるお地蔵さん。穏やかな顔で、いつも私たちを見守っている。
しかし、このお地蔵さん、実はもう1つの顔がある。それは、閻魔大王だ! そう、あの「嘘をついたら舌を引っこ抜いてくる」あの閻魔大王だ。
穏やかな顔のお地蔵さんと、厳しい顔の閻魔大王には、何のつながりも感じられないのだが…。いったいどういうことだろうか? 今回は、そんな雑学を紹介しよう。
【歴史雑学】お地蔵さんは閻魔大王と同一人物
【雑学解説】民間信仰でつながった閻魔大王とお地蔵さん
お地蔵さんといえば、街中にたたずんでいる。子供の成長や交通安全などを祈願して祀られ、仏さまとして信仰されてきた存在だ。
そして、閻魔大王といえば、地獄の裁判官。亡くなった人を裁判を通して、天国と地獄のどちらに送るべきか決める存在である。いつも恐ろしい顔をしているので、子供が見たら怖くて泣いてしまいそうだ…。
しかし、この2つの存在は同一人物である。これは、仏教の言葉をまとめた辞典『望月佛教大辞典』にも記載されている。『望月佛教大辞典』の「十王(じゅうおう)」の項目を見てみると、「閻魔王は地蔵菩薩」と書かれているのだ。
なぜ二人が同一人物になったのか?
2人が同一人物になった原点としては、民間信仰が挙げられる。
7世紀ごろの中国では、死後の世界を恐れる風習があった。その恐れを和らげるために、「お地蔵さんは、死後の恐れから助けてくれる救世主だ」という考えが説かれるようになる。この考えが民衆に広く伝わり、やがて日本にもその考えが渡ってきた。
日本では、死後に地獄へ入った信者の救済をお地蔵さんに願うことで、「お地蔵さんが地獄の苦しみから助けてくれる」という考えが広まった。「地獄に行ってしまったあの人を救ってください」と手を合わせることで、お地蔵さまが地獄から助けてくれるという感じだ。
この民間信仰がいつしか、「お地蔵さんに手を合わせれば、お地蔵さんが閻魔大王になって救済してくれる」という解釈に行きついたのである。
「死後の恐怖から助けてくれる」という考えから、「地獄に落ちた者の救済」へと変わり、最終的に「手を合わせればお地蔵さんが閻魔大王になって助けてくれる」という変化を遂げた。
あの厳しくて怖い印象の強い閻魔大王だが、お地蔵さんと同一人物で「手を合わせることによって救済してくれる」という民間信仰を考えれば、怖いだけの存在ではないのだなと思える。
やはり閻魔大王も仏教のメンバーの1人…見た目は恐ろしくも、慈悲の心はあるのだろう。
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【追加雑学】実は10人いる地獄の裁判官!
『望月佛教大辞典』で、閻魔大王が地蔵菩薩と同一人物であることが示されているのは「十王」という項目だ。このことについて、トリビアを1つ紹介しよう。
実は、地獄の裁判官は閻魔大王1人ではない。閻魔大王を含めて10人いるのだ! それが十王である。閻魔大王はその十王のリーダー的存在だ。
日本の仏教では、亡くなった人は経過した日に応じて、十王の裁判にかけられる。どの日数で誰が裁判を担当するのかは、以下のとおりである。
死後からの日数 | 担当する十王 |
7日目 | 秦広王(しんこうおう) |
14日目 | 初江王(しょこうおう) |
21日目 | 宋帝王(そうていおう) |
28日目 | 五官王(ごかんおう) |
35日目 | 閻魔大王 |
42日目 | 変成王(へんじょうおう) |
49日目 | 泰山王(たいざんおう) |
100日目 | 平等王(びょうどうおう) |
2年目 | 都市王(としおう) |
3年目 | 五道転輪王(ごどうてんりんおう) |
さて、この表で何かピンとくるものはないだろうか? 実は裁判の日は法要(決まった日に故人を供養すること)と重なっている。初七日をはじめとして、最大で3回忌まで裁判があるのだ。
法要で故人を供養することは、故人に善を送る行為と仏教では見なされており、送られた善によって極楽へ行けるように手伝うことができると考えられている。
私は「法要ってどういう意味があるんだろう? 亡くなったあとは閻魔様のところに行って、裁きを受けて終わりじゃん」と思っていた。
しかし、たくさんある裁判や裁判の日にちが法要と重なっていることを考えると、法要というのは亡くなった人に対して、残された人たちができる唯一の方法なのだと思える。
それにしても、10人も裁判官がいることには驚きだ。亡くなった後は、閻魔大王の他にもお世話になる裁判官がたくさんいるのか…。
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雑学まとめ
閻魔大王とお地蔵さんは同一人物であるという雑学をご紹介した。一見すると何のつながりも感じられないのだが、民間信仰を経て、同一人物だと考えられるようになった。
生前の罪に応じて行き先を判断する閻魔大王。その顔はとても恐ろしいのだが、お地蔵さんのように慈悲の心があると思うと、怖いだけの存在ではないように思える。まるで、強面(こわもて)の先生でも、優しい一面があるようなものだ。
少し、閻魔大王の印象が変わる雑学である。