プロ野球の試合では、トランペットを筆頭とした、楽器を使った応援が行なわれている。「鳴り物応援」と呼ばれるこの応援スタイルは、メジャーリーグにはない日本のプロ野球独特のものだ。
活躍した選手には個人の応援歌が作られ、チャンスが来たらチャンステーマを歌い、ヒットが出たらヒットマーチで声を張り上げ盛り上がる。
球場全体で一体感を味わえる鳴り物応援は、もはやプロ野球の風物詩のひとつ。ファンにとっても、なくてはならないものである。
各球団が競い合うように毎年進化し続ける鳴り物応援だが、果たしてこのスタイルを最初に採用した球団はどこだったのだろうか。今回はそんな雑学に迫る!
【スポーツ雑学】プロ野球でトランペットの応援を最初にしたのはどの球団?
【雑学解説】トランペットを最初に吹いたのは熱狂的カープファン!
実は、学生野球やアマチュア野球では戦前から存在していた鳴り物応援。
プロ野球では1950年代に、国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)の応援団長であった岡田正泰が、フライパンを太鼓代わりに叩くなど、鳴り物応援に近い応援は行われてきたが、戦後しばらくまで、応援の中心は拍手や声援、野次だった。
そうしたなかで、ある日、広島東洋カープのファンが球場にトランペットを持ち込み、コンバットマーチを演奏しだしたのだ。
プロ野球の鳴り物応援の始まりである。1975年頃のことだった。
その後、1978年には、当時の広島カープの中心選手であった山本浩二の打席で、「コージコール」が演奏されるようになる。これが選手の個人応援歌の始まりだ。個人応援歌で応援された選手の第1号は山本浩二だったのだ。
おすすめ記事
-
MLBにも"スラィリー"が!?広島カープのマスコットは双子だった…?
続きを見る
【追加雑学①】ジェット風船も広島カープが元祖!?
現在では「ラッキーセブン」で恒例の、ジェット風船。
7回の攻撃前に球団歌を歌い、ジェット風船を飛ばす。各球団のチームカラーで染まった風船が空いっぱいに広がるさまは、壮観だ。
いまでは多くの球場で見ることのできる景色だが、なかでもジェット風船が名物として有名なのは甲子園だろう。
甲子園が発祥の地とされているジェット風船。それを聞くと「阪神ファンが元祖?」と思うが、実はこのジェット風船の始まりもカープだという。
ジェット風船の起源には諸説あるが、カープの応援団のメンバーが、甲子園での阪神タイガース戦の最中、カープの選手のホームランが出るたびにジェット風船を飛ばしたことが起源であるとする説が有力だ。
スポンサーリンク
【追加雑学②】ヤクルトの定番応援グッズ「傘」の由来とは?
球団ごとに様々な個性が光る応援。
カープの「スクワット応援」や千葉ロッテマリーンズの「ジャンプ」など、試合に出向けば、各球団が独特の進化を遂げた応援を繰り広げている。
そのなかでも群を抜いて個性的な応援といえば、ヤクルトスワローズの応援グッズ「傘」だろう。
ヤクルトファンは神宮球場で、とにかく傘を振り回す! 雨でも晴れでも振り回すのだ。ライトスタンドで咲き乱れる傘の花。とっても楽しそうな光景だが、見慣れぬ人には異様にも映るだろう。
なぜ傘なのだろうか…。これには悲しい理由がある。
ずばり、人がたくさんいるように見せるためだ。
東京を本拠地とする球団とはいえ、同じ在京球団である読売ジャイアンツと比べるとファンの数が少ないヤクルト。この状況を打破すべく奮闘した人物が、当時の応援団長であった岡田正泰だ。トランペット応援が普及する前に、フライパンを叩いた人である。
国鉄スワローズファンであった彼は、客席がまばらな神宮球場を見て「少しでも席が埋まったところを選手に見せたい」と、球場に集ったファンたちに傘を持ち込むことを呼びかけた。
「ヤクルトおじさん」と呼ばれた彼は、傘やフライパンの他にも、いまや神宮球場の名物である「東京音頭」を応援歌として浸透させたり、どの球場でも見ることができる「メガホン応援」を生み出したりと、現代につながる数々の応援スタイルを作りだしたのだ。
雑学まとめ
今回の雑学ではプロ野球における「鳴り物応援」の歴史を紐解いた。
現代では当たり前になった応援スタイルも、ファンの熱狂的な思いで始まったことがわかった。
毎年熱いペナントレースが行われるプロ野球。これからも外野席で精一杯声を張り上げたい。
おすすめ記事
-
巨人と阪神の因縁…でも応援歌の作曲者は一緒だった!
続きを見る