夏目漱石といえば、明治を代表する教師・作家で、旧千円札の肖像画になったことで国民の多くになじみのある人物だ。最近は旧札を見かける機会が減って、存在感も薄れつつあるが…。
肖像画の小難しそうなイメージ通り、漱石は基本的に、多くを語らず淡々と物事をこなす堅物といった感じの人だったという。教師としても作家としても高い評価を得ていたのは、その勤勉さからだろう。
しかしそんな漱石は、堅物とは真逆の一面も持ち合わせていた。そう、彼は甘党も驚くほどの超甘党だったのだ!
【歴史雑学】夏目漱石は超甘党だった
【雑学解説】イギリス留学のストレスから夏目漱石を救ったイチゴジャム
夏目漱石といえば、肺結核、イギリス留学の際の神経衰弱、晩年の胃潰瘍や糖尿病など、人生の半分は病気がついてまわった印象がある。そしてその病気の多くは、彼が度を超えた甘党だったことが一因ではないかといわれているのだ。
漱石の逸話を辿ると、彼が甘いものに目覚めたのはイギリス留学中だということがわかる。この時期に神経衰弱を患ったことが有名なように、漱石はイギリスでの生活に多大なストレスを抱えていた。
彼は英文学の研究のために留学を命じられたが、本人は英文学を学ぶことに疑問を感じており、そもそも前向きじゃなかったのだ。
そんな彼のストレスのはけ口が甘いものだった。漱石はイギリスで出会ったイチゴジャムにハマりにハマって、1ヶ月で8缶を消費するほどだったのだとか。
なんでもパンに塗って食べるのではなく、スプーンですくって直接舐めていたという。…プリンか何かと勘違いしていないか?
この生活で甘党を極めた漱石は、帰国後の食生活にも洋風の甘いものを反映。パンや紅茶には大量の砂糖が欠かせないし、頂き物のお菓子などがあると家族に黙って1人で食べてしまう、子どものような側面もあった。
いかにも堅物そうな漱石だけに、こういう話を聞くとなんだかギャップ萌えである。
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夏目漱石の病気のほとんどは甘党が原因?
甘いものを猛烈に食べ続けた漱石は1908年ごろ、ついに糖尿病を患ってしまう。このころ「医者に診てもらったら、尿に糖分があると言われたよ。参ったね~」という手紙を友人に送っているのだ。
1910年の「療養のために伊豆の修善寺へ出かけ、旅館で800グラムもの血を吐いた」という逸話が強烈なため、胃潰瘍のほうが目を引くが、これにしても糖尿病の弊害とする見方がある。
糖尿病の患者は胃にピロリ菌を保有していることが多く、ソイツが胃潰瘍の原因になるというのだ。つまり漱石の病気のほとんどは甘党が災いしたものということになる。
神経衰弱に陥るほどのストレスで甘党になり、そのせいで糖尿病や胃潰瘍を患う…。こう見ると超悪循環である。
そしてドクターストップがかかっても漱石は甘いものをやめなかったため、晩年は奥さんにお菓子を隠されてしまう始末。「お菓子はどこだ…」と戸棚中を探し回る彼の姿は、やはりギャップ萌えである。
【追加雑学】夏目漱石は公務員の月収分のジャムを舐めていた?
代表作『我輩は猫である』に登場する主人公「珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)」も、ジャムを舐めすぎてお金がなくなり、奥さんにチクチク小言を食らっている。漱石の人物像は作品のなかにもふんだんに盛り込まれているのだ。
このとき苦沙弥は奥さんに「ジャム代はせいぜい5、6円程度の話だろ」と言い返している。今聞いてもピンとこないが、当時の5、6円はだいたい学校の先生の一般的な月収ぐらいだという。
作家時代の漱石の月収はだいたい200円ほどだったというから、「5、6円程度」と言えるのもわかるが、一般人からすれば月の給料のほとんどをジャムに使うようなものだ。明らかに感覚がおかしい…病気にもなるはずである。
ちなみに漱石は教師なりたてのころにしても月収80円と、校長先生より高い給料をもらっていたエリートオブエリート。今の時代じゃ考えられない待遇である…。
雑学まとめ
夏目漱石は1ヶ月でイチゴジャムを8缶も空けてしまうほどの超甘党。そして彼の持病のほとんどは、その甘党の弊害である。
金額にして一般公務員の月収分ほどもジャムをたいらげてしまうのだ…。漱石の意外な一面を知れると同時にその羽振りの良さから、やはりとんでもない偉人であることを再認識させられる。