みなさんはキューバという国についてどれだけ知っているだろうか。名前くらいは聞いたことがあっても、その歴史や国柄は日本人にあまり馴染みがないかもしれない。
そんなキューバで長年に渡って、日本でいう総理大臣や各国の大統領のような立場にいたのが、フィデル・カストロ議長だ。2016年に亡くなってしまったが、キューバの歴史を学ぶうえでは欠かせない存在である。
そんなカストロ議長だが、動乱の多い時代をトップの立場で生きていたがために、何度も暗殺されそうになったという。しかも、その回数が半端ないらしい。
今回は、カストロ議長についての雑学を詳しくまとめてみたので、ぜひ最後まで読んでもらえると幸いだ。
【歴史雑学】キューバ革命の指導者カストロ議長は638回暗殺されそうになった
【雑学解説】カストロ議長は暗殺されそうになった回数でギネスに載った
最初に注意してほしいのが、ここでのカストロ議長はフィデル・カストロ氏ということである。実は弟のラウル・カストロ氏も兄の引退にともなって、国家評議会議長(キューバの最高指導者)となった時期がある。
ふたりとも同じ「カストロ議長」という呼び方…。今回は、兄のフィデル・カストロ氏のことなので、混同しないように気をつけてほしい。
さて、肝心の兄のカストロ議長が暗殺されそうになった回数だが、なんと驚愕の638回である。その回数も驚きだが、それだけ暗殺を仕掛けられて生き延びたことがすごい。
カストロ議長はなぜそんなに暗殺されそうになったかというと、彼が主導して行われた「キューバ革命」が関係している。
キューバ革命とは1950年代にカストロ議長をはじめ、「チェ・ゲバラ」らが中心となって行った当時のキューバ政権への闘争だ。チェ・ゲバラとはアルゼンチン出身の革命家であり、複数の国に渡って政治運動やゲリラ活動を行っていた人物。
そんなチェ・ゲバラたちと革命を成功させたカストロ議長は、それを契機に長期に渡ってキューバの最高指導者としての立場を得たのである。
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暗殺しようと狙われまくるカストロ議長
ただし、このことからキューバへの影響力が強かったアメリカとの仲が悪くなってしまった。そのため、カストロ議長はアメリカの中央情報局・通称CIAから命を狙われることに。
これは噂などではなく、実際に暗殺計画があったことをアメリカ政府が公表している。その数をカストロ議長の護衛を務めていた人物が推測した結果「638回」という数字が出たらしい。
そこで驚くべきことにギネス記録に「暗殺されそうになった回数が最も多い人物」として、カストロ議長の名前が掲載されたそうだ。あまりに現実味のない話なので、筆者にはそれが名誉なことなのかはわからない。
また、イギリスでは「カストロ殺害638の方法」という物騒なタイトルでドキュメンタリー映画が放映された。このことからみても、世界中から関心が寄せられていたのは間違いない。
ちなみに、カストロ議長は2016年に亡くなっているが、死因は高齢や病といわれている。このころはすでに90歳を迎えていたので、おそらく本当だろう。カストロ議長は危険な人生を渡り歩きながら、天寿をまっとうしたのだ。
仮に自分がそのような立場だったら、命を狙われているかもしれないというストレスで長生きできないだろう。政治思想の話になるので、カストロ議長の功績には触れないが、プレッシャーに耐えながら長生きした点は素直にすごいと思う筆者であった。
【追加雑学】カストロ議長は野球好きだった
世界的にはキューバの長年の指導者として知られるカストロ議長だが、生前は野球愛好家という人間味のある話もある。たとえば、日本の野球界に好意的な発言を行っていたり、キューバの野球代表選手が国際試合から帰ってくると自ら出迎えたりといった感じだ。
あまり知られていないが、カストロ議長は学生のころはバリバリの野球選手で、かなりの実力だったようだ。革命を起こすほどの体力や精神力は野球で培われたのかもしれない。
日本のプロ野球でも近年ではソフトバンクホークスのデスパイネ選手、中日ドラゴンズのビシエド選手など、キューバ出身のプレイヤーが活躍している。
野球が好きな人はキューバのスポーツをはじめ、その歴史や文化も学んでみるといいだろう。
雑学まとめ
今回はキューバの指導者、カストロ議長についての雑学をお届けした。何百と暗殺計画を仕掛けられる人生とは一体どのようなものなのだろう。一般人には想像もつかない世界だ。
キューバを含め、中南米の歴史や著名人は日本ではあまり馴染みがないので、機会があればこれからも調べてみようと思う。その際はみなさんにもご紹介するので、ぜひ読んでほしい。
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