「パトラッシュ、ぼくはもう疲れたよ…」
この台詞を聞いただけで思い浮かぶあの名作…そう、「フランダースの犬」。原作を読んだことがなくとも、アニメのラストシーンは日本人なら誰もが知っているであろう。
貧しいネロ少年が夢半ばで力尽き、愛犬パトラッシュと共に天に召される場面は涙無しでは語れまい。物語に感動して聖地を一目見たいと願う日本人が、毎年大勢ベルギーを訪れるという。
しかし! 日本からの熱狂的な支持に、現地の人々は首をかしげているという雑学を耳にした。本当だろうか? まさか…あんな感動的な物語に心動かされない人間が存在するというのか?
半信半疑で 聖地であるベルギーの反応を調べてみると…驚愕の事実が判明した!
【面白い雑学】本場ベルギーでは「フランダースの犬」は人気がない
【雑学解説】日本で人気の「フランダースの犬」だがベルギーでは…
ベルギーの都市アントワープにあるノートルダム大聖堂は、ネロ少年が愛犬パトラッシュと共に天に召された場所…「フランダースの犬」 の聖地である。
だが観光に訪れた日本人は皆がっかりするという。現地の人々がまるで興味がないのを目にするからだ。
それもそのはず、「フランダースの犬」 はイギリス人によって書かれ、ベルギーの公用語であるオランダ語に翻訳されたのはつい最近だというのだ! 現地のほとんどの人が知らないのも無理はない。
多くの日本人からの問い合わせに観光課が動いた結果、一応聖地らしい気遣いは見える。ルーベンスの絵画の前には日本語で書かれた看板。さらにはヘンテコな日本語がつけられたお土産が街のいたるところで売られている。そうじゃない、そうじゃないんだ…。
ネロ少年とパトラッシュが旅立ったとされる村にはふたりの銅像が建てられているのだが、このパトラッシュ…小さっ! 子供の頃にその大きな背に乗ることを夢みたパトラッシュとは似ても似つかぬ小型犬だ。
どれもこれも、現地の人の知識のなさがよくわかるテキトーっぷり。ベルギーで 「フランダースの犬」 が人気がないのは、悲しいことに事実である。
【追加雑学①】「フランダースの犬」を観光にちゃっかり利用しているベルギー
「なんだかわからないけど日本人がいっぱい来て、絵を見て勝手に泣いている。」
現地の人々の正直な感想はこれだ。とは言え、観光業界にとっては日本人は大事な金づる…いや、お客様である。
そのことを示すように、ノートルダム大聖堂のあるアントワープには、Tシャツや絵はがきなどフランダースの犬グッズがあふれている。
アントワープを訪れる日本人は、年間でなんと6万人。おおいに地元を潤わせているのだ。思惑はどうあれ、歓迎ムードであることは間違いないようだ。
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【追加雑学②】「フランダースの犬」からわかる、ヨーロッパと日本の人生観の違い
そもそも 「フランダースの犬」 は、ベルギーはおろかヨーロッパでほとんど読まれていないという。それには欧米人と我々日本人の人生観の違いにも原因がある。
自立が早く、人生を自分で切り開く生き方が理想とされるヨーロッパ。彼らの目には、運命に翻弄されるがままのネロ少年はあまり好ましく映らないのだ。
いっぽう我々日本人は、主人公が悲劇的な結末を迎える可哀想なお話が大好き。運命を受け入れる諦観こそが物語を美しくすると思っている節がある。
ここまで価値観が正反対だと、人気に差が出るのもなるほど納得である。ネロ…日本に生まれていればよかったね…。
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"フランダースの犬"の日本語版にはネロとパトラッシュが登場しない。
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【追加雑学③】アメリカ版「フランダースの犬」はハッピーエンド
ここで雑学をもうひとつ。
アメリカで出版された「フランダースの犬」は、ラストが改変されているらしい。
ネロは夢を叶え、もちろん死ぬこともなく、パトラッシュと共にたくましく生きる物語になっているのだ。改変の理由は 「可哀想だから」 。うーん、じつにシンプル! そうだね! 可哀想だからハッピーエンドにしよう!ってなわけか…。
釈然としない気持ちはあるが…可哀想な少年と犬はいなかったのだから喜ばしいことではないか!(と、自分に言い聞かせる筆者である。)
「フランダースの犬」雑学まとめ
というわけで、ベルギーでは「フランダースの犬」の人気が低いことはおわかりいただけただろうか?
たしかに、期待して聖地を訪れたらがっかりしてしまうことだろう。こんな悲しい雑学は知りたくなかった…。
しかしフランダースの犬を知らなくともルーベンスの絵画の価値に変わりはない。アントワープの歴史ある町並みも素晴らしい。たっぷり観光を楽しんで、お土産に地元の銘菓 「INU」 を買って帰ろうではないか。