現代でも諸外国の文化を辿ってみると、日本との違いに驚かされることが多々ある。時代が変われば、なおのこと現代とは違った価値観に驚かされるものだ。
そして今回耳に入ってきたのは「イギリスでは自殺未遂者が絞首刑にされていた時代がある」という雑学。未遂ということは、死のうとは思ったが助かったということだ。助かった人をわざわざもう一度殺そうというのか…。
これはなんとも奇妙な考えに思える。真相を辿ってみると、そこには中世ヨーロッパの宗教的価値観が大きく関係していた!
【ルール雑学】昔イギリスでは、自殺未遂をして生き延びてしまった人は犯罪者だった
中世イギリスでは自殺は重罪に値し、死体に対して侮辱刑が行われた。また自殺未遂者も罪に問われていた。
【雑学解説】中世ヨーロッパの多くの国では、自殺は犯罪と見なされていた。自殺未遂もそれと同罪
中世ヨーロッパの多くの国では、宗教的な観点もあり「自殺は人一人の命を奪う行為であり、殺人と同じ」とされていた。つまり自殺者は罪に問われていたのだ。
「罪に問うといったって、死んでしまった人間にどう罪を償えというんだ」という声が聞こえてきそうだが、この罪の償わせ方がこれまたむごいのだ。
自殺で死んだ者は、まず財産を没収される。つまり家族に残すことができない。それだけではなく、侮辱刑を受けた後、きちんとしたお墓には入れてもらえない。
侮辱刑というのは、馬に死体を繋いで市中を引きずり回されたり、杭を突き刺してさらしものにされたりなどだ。
そしてきちんとお墓に埋葬されない死体はどうなるのかといえば、フランスではゴミ投棄所に捨てられる。ドイツだと樽に入れて川に流される…なんてことが行われていたんだとか。
川から死体なんて流れてきたら、桃太郎のおばあさんも真っ青だ。
9世紀のイギリスでは自殺未遂者が死刑に…
死体に対する刑罰にも驚かされるが、9世紀ごろのイギリスではなんと自殺未遂者まで死刑になっていたのだ。
現代で考えれば、自殺して助かった人を前にすれば「助かってよかった!」という言葉が第一に出てくるだろう。しかし9世紀のイギリスでは、「けしからん!」といって首をくくらせていたのだから、宗教的観念とはある種恐ろしいものだ…。
ちなみに死刑まではいかずとも、1961年に法律で「犯罪ではない」とされるまで、イギリスの自殺未遂者は投獄されていた。そんなに昔の話でもないことを考えると、現代にもまだまだ驚かされるような文化の違いは残っていそうだ。
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【追加雑学】自殺が犯罪になったのは4世紀、キリスト教信者たちの死が相次いだことが原因
自殺が犯罪となったのは、キリスト教が自殺を強く否定しているからだ。
4世紀のローマでは、キリスト教が認められておらず、信者たちは迫害を受けていた。つまりキリスト教を信仰しているがゆえに、死刑にされてしまうこともあったのだ。
これを受けて司教を務めていた聖アウグスティヌスは、信者たちの死に対する問題意識を強めていく。問題は自殺というよりも信者たちが殺されてしまうことにあったのだが、いずれも死んでしまうことに変わりはない。
これを経てアウグスティヌスは、「自らの命を奪うことは、人一人を殺すことと同じだ」とし、それが旧約聖書・モーゼの十戒に書かれている「汝、殺すなかれ」という言葉に反していると説いた。
これをきっかけにキリスト教において自殺は重罪と見なされることになる。
しかし、アウグスティヌスもきっと、死体が馬に引き回されるような事態になるとは、思ってもみなかったのではないだろうか…。
雑学まとめ
今回はかつてのイギリスの、驚きの雑学をご紹介した。「人一人の命を奪う自殺は、殺人と同じだ」という観念には、ある種納得できる部分もある。他人への害意こそないが、「自分の意志で死ぬのだから自分の勝手」では済まない。周りの人間からすれば、殺されたのも同然である。
かといって、死体にまで罪を償わせようとするのはさすがにやりすぎだが…。歴史を辿ってみれば、今回のような信じられないことが、常識としてまかり通っていることもあるのだ。
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