ドラえもんの声優が大山のぶ代から水田わさびに交代してから、長い時間が経過した。若い世代には大山のぶ代のドラえもんの声を知らない人も増えてきたという。
それでも、ドラえもんの声は大山のぶ代というイメージはまだまだ根強いようだ。しかし、大山のぶ代の前にドラえもんを演じていた声優がいた、ということはあまり知られていない。
初代ドラえもんの声優はなんと男性であった。初代ドラえもんの声優にまつわる雑学をご紹介しよう。
【面白い雑学】初代ドラえもんの声優は男性だった
【雑学解説】初代ドラえもんの声優はバカボンのパパの声優と同じ
ドラえもんは1979年にスタートし2005年にリニューアルしたが、その後も放送を続ける国民的人気アニメである。
ドラえもんの声は、1979年から2005年まで演じていた大山のぶ代のイメージが非常に強い。しかし、1973年にもアニメドラえもんは製作され、日本テレビ版系列で放送されたことはあまり知られていない。
初代ドラえもんの声優は、富田耕生であった。富田耕生は、平成天才バカボンからバカボンのパパを演じている。当時は、ドラえもんと同じ時間帯に他局で放送されていたマジンガーZで悪役のドクターヘルも演じていた。
現在では女性声優が演じているイメージが強いドラえもんだが、最初はおじさんの声だったのだ。原作初期のドラえもんは、子供と比べると大柄で腕力もジャイアンより強かった。
ドラえもん自身がトラブルを起こすことも多く、決してしっかり者ではなかったが、ドラえもんがおじさんのように見えてもそれほど不自然ではない。
アニメのドラえもんはおっとりした中年男性のような性格で、秘密道具を出す際は「あらよっと」とかけ声をかけていた。
下の動画には初代ドラえもんの声が収録されているが、現在とは雰囲気が全く違うのがわかる。
この最初のアニメドラえもんは、テレビ朝日版のドラえもんや1980年代以降の原作の雰囲気と異なるため、アニメ独自の路線で作られているという意見もある。
しかし、当時はドラえもんの原作自体が現在とは全く異なる作風で、ドラえもんが起こすドタバタ劇を描いたものだった。アニメはその作風に合わせて作られていただけで、原作に近いものだったのだ。
放送期間が非常に短いこともあり、大山のぶ代は2代目のドラえもんの声優と考える人も多い。しかし、最初のアニメ放送中にも、ドラえもんの声優は交代しているのだ。
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【追加雑学①】大山のぶ代は3代目ドラえもんだった!
日本テレビ版のドラえもんは、放送からわずか3ヵ月でドラえもんの声優が交代している。このあまりに早い交代劇に、初代声優の富田耕生が事故で出演不能になったという噂も流された。
しかし、実際はテコ入れのための交代だったという。元々製作スタッフはドラえもんの声におじさんのイメージがあったというが、視聴率を上げるための作戦であった。
日本テレビ版ドラえもんは裏番組が強かったため視聴率が低迷していた。しかし、視聴率が10パーセントを超えれば、放送が延長されることが予定されていた。半年後も放送するためには視聴率が必要だった。
2代目ドラえもんの声優は誰?
そのために起用された2代目ドラえもんの声優は、ドラゴンボールの孫悟空役や、ゲゲゲの鬼太郎の初代鬼太郎役で有名な野沢雅子である。つまり、大山のぶ代は3代目のドラえもんなのだ!
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テコ入れにより視聴率が上がったという当時の制作主任の発言もあるが、実際は変更後の平均視聴率はわずかに下がっている。
テコ入れが逆効果だったのかは不明だが、アニメの主人公の声優が変更になるのは、当時としては異例の事態である。長期作品ならともかく、これだけの短期間で交代になることは現在でも考えにくい。
声優交代が視聴者に与えた衝撃は大きかったといわれている。ともあれ、声優が変更になったことでドラえもんはおじさんのような雰囲気から子供っぽい性格に変化し、当時の原作の雰囲気により近くなった。
視聴率は苦戦していたがスポンサーが定着することになり、赤字だったアニメ制作会社・日本テレビ動画を黒字にすることに成功したのである。
制作されなくなった「日本テレビ版ドラえもん」
目標の視聴率には届かなかったが、番組の延長はほぼ決まっていたという。しかし、日本テレビ動画の社長が突然失踪するというまさかの事態が起こってしまう。
日本テレビ動画を引き継いだ新しい経営陣は、ドラえもんが生み出した利益で負債を返済すると、会社の解散を決めてしまう。制作会社が解散したため、日本テレビ版ドラえもんは制作不可能になってしまったのだ。
あまりに早い放送終了のためか、ドラえもん役の野沢雅子はこのときのアニメをモノクロと勘違いしたという珍事も起こっている。実際はカラーで制作されていた。
会社にあったアニメに関連した資料などもほとんど処分されてしまい、スタッフが個人的に所有していたもの以外はほとんど現存していない。
あまりに急なアニメ終了となったため、小学館や不二子プロに事情が伝わらず遺恨を残すことになったといわれているのだ。
その後、藤子不二雄作品は6年間、新作アニメが制作されなかった。この事実は、原作者側がアニメ制作に関して不信感をもったためだろう。
それでも日本テレビ版ドラえもんの製作スタッフは、いずれ製作が再開されると信じて、最終回にもかかわらず「次回をお楽しみに」というメッセージで番組を締めくくったという。
当時はアニメが終了すれば漫画も連載終了するのが当たり前だった。そのため、ドラえもんも連載終了の危機に見舞われる。しかし、藤子・F・不二雄の続けたいという意志と、発売開始された単行本が大人気になったため、奇跡的に連載は長期化していった。
そして、6年後に藤子不二雄作品はアニメ制作が再開されることになり、テレビ朝日版のドラえもんが制作されることになったのだ。
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【追加雑学➁】野沢雅子が怪物くんを演じた理由は日本テレビ版ドラえもん?
日本テレビ版ドラえもん終了後から、4年後の1977年にはドラえもんのアニメ化の話が再び動き出すことになる。しかし、一度失敗した作品ということもあり、アニメ化の話は簡単には実現しなかった。
自分の作品に自信を失っていた藤子・F・不二雄は、ドラえもん2度目のアニメ化の条件として、藤子不二雄A作品と同時のアニメ化を希望したという。そこには、自分の作品の問題点をわかりやすくしたい考えもあったといわれている。
こうして、ドラえもんと同時に怪物くんの2度目のアニメ化も決定した。日本テレビ版ドラえもんでレギュラーを演じていた声優の一部は、テレビ朝日版でも役を変えて続投することになった。
のび太の母親を演じていた小原乃梨子はのび太役になり、ジャイアン役だった肝付兼太がスネ夫を演じている。
2代目ドラえもんだった野沢雅子は、テレビ朝日版ドラえもんではエキストラの少年を演じるだけだったが、藤子不二雄A作品の怪物くんで主人公の声をあてることになったのだ。
テレビ朝日版のドラえもんは、何の説明もなくドラえもんが最初から登場する「ゆめの町ノビタランド」が第1話として放送されている。これは、日本テレビ版の続きを意識して作られたためだといわれている。
テレビ朝日版も初期のエピソードは日本テレビ版に近い雰囲気で制作されていたが、1983年にキャラクターデザインが変化し作風も変わっていたという。
ところで、初代ドラえもんを演じていた富田耕生はどうなったのだろうか? 実は、テレビ朝日版のドラえもんで1年目にエキストラとして出演した後、1982年のプロゴルファー猿の2時間スペシャルに出演した。
1985年からスタートしたプロゴルファー猿では、レギュラーの「おっちゃん」役で三年間出演している。
「初代ドラえもん」の雑学まとめ
初代ドラえもんの声はおじさんだったという雑学や、日本テレビ版ドラえもんにまつわる話をご紹介した。
日本テレビ版ドラえもんに関しては、放送終了時の顛末や権利関係のややこしい問題が残っている。そのため、日本テレビ版ドラえもんを見ることは不可能に近い状況だ。
決して、不人気で打ち切りになった作品ではないようだが、情報も錯綜しており何が本当なのかわからない点が多い。
当時はドラえもんの原作自体のストックが少なかったこともあり、もし放送が続いていたらアニメはオリジナル中心の話になっていた可能性が高いという。
その場合は、野沢雅子の声がドラえもんの声として視聴者の印象に強く残ったのだろう。しかし、もし声優の交代が行われず、おじさんの声のままだったらドラえもんはどうなっていたのだろう。
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