「三日天下」という言葉がある。かつての日本、戦国時代に明智光秀が織田信長を、本能寺の変で討ち取ったことで天下を取ったのは有名な話だ。しかしすぐに羽柴(豊臣)秀吉によって討ち取られたことから生まれた言葉であるが、実際には3日ではなく、13日程のことであったという。
どちらにしろ、短い権力を握っていた瞬間であった。実はそんな光秀のように、貴族になったものの、とある事情で一瞬で滅んでしまったという事例が、イギリスであったそうなのだ。しかも1日で、だという…。
1日で貴族の家系を滅ぼしてしまった人物の名は、フレデリック・レイトン。彼にいったい何が起こったのか? 今回は、フレデリック・レイトンの雑学を解説していこうと思う。
【歴史雑学】フレデリック・レイトンは一日で滅んだ貴族
【雑学解説】あまりにも衝撃的すぎる!フレデリック・レイトンが滅んだ原因
このフレデリック・レイトンという人物は、イギリス出身の画家である。裕福な家庭に育ち、頭もよく、多国の言語を話すことができたという。彼は環境に恵まれていた、超エリートなのだ。
フレデリック・レイトンは美術の才能も秀でており、様々な国の美術学校に在籍した後、制作した作品などによって徐々にその知名度が上がり、更には美術学校の生徒でありながら様々な文化人との交流を深めていたりと、とても輝かしいバラ色の人生を歩んでいたのだという。
祖国であるイギリス国内でもその活躍が知れ渡り、様々な活動を通して美術界の地位を確立していったフレデリック・レイトンは、1896年1月24日に一代貴族(女王から社会貢献をした個人に与えられる爵位)として、男爵の爵位を授与される。
このバラ色の羨ましい人生、輝かしい功績によって与えられたフレデリック・レイトン男爵は、より一層明るい未来に突き進んでいく…はずだったのであるが、なんとフレデリック・レイトン男爵は爵位を授与された翌1月25日に以前から患っていた、狭心症の発作により急死してしまったのだ。
実はこのときフレデリック・レイトンは独身。爵位を受け継ぐ跡取りもおらず、わずか1日でフレデリック・レイトン男爵家は滅んでしまった…これでは三日天下ならぬ一日貴族である。事実は小説よりも奇なり、といわれるが、人生とはなんとあっけないものであろうか。
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【追加雑学】画家として称号を貰ったのもフレデリック・レイトンが最初
なんとも意外な展開でこの世を去ってしまった、フレデリック・レイトンではあるが、彼の芸術家としての実績は、本当に驚くものばかりである。そもそも、芸術家として爵位を与えられた人物は、後にも先にもフレデリック・レイトンしかいないのである。
それほどまでに芸術家として優れていた彼は、美術界にどのような実績を残していったのであろうか。まずは彼の家を改装した「レイトン・ハウス美術館」の内部を見ていただこう。
この豪華な家の中にある作品は皆、フレデリック・レイトンの作品である。様々な作品を見ることができるが、どれも美しい作品ばかりだ。そして、その内装の豪華さにまず圧倒されるだろう。独身男性一人が住んでいたとは到底想像もつかない内装である。
この様子を見るだけでもフレデリック・レイトンという人物が並大抵の人物ではないというのは、想像がつくのではないだろうか。実際に彼の美術界での活躍は、知れば知るほど、驚くものばかりなのである。
彼が成功する始まりともいえる、25歳のときに制作した「フィレンツェの街を行進するシマブエの聖母」という作品は、フレデリック・レイトンの作品の中でもとても重要なもので、この作品はロイヤル・アカデミーに出品した後、ビクトリア女王に気に入られ、買い取られることとなったのだ。
イギリス国内でも話題となるフレデリック・レイトンは、実力もさることながら、様々な芸術家などと交流を深めていったことで、多くの名誉を得た。
ロイヤル・アカデミーの会長の座に着いたり、国からは勲章を授けられるなど、男爵の爵位を与えられるには十分な実績を残した人物なのである。
雑学まとめ
爵位を授かった翌日に亡くなってしまった、フレデリック・レイトンについての雑学をご紹介した。1日にして滅んだ貴族の家系をもったフレデリック・レイトンではあるが、「最初で最後の爵位を与えられた画家」という事実は、彼の素晴らしさを物語るには十分だろう。
ヴァン・ゴッホのように、貧乏な生活を送りながら活動する芸術家も多い中、フレデリック・レイトンの人生は、最期はあっけなかったが、最初から最後まで成功の道を歩んでいった珍しいケースであると思われる。
日本ではあまり馴染みのない名前であるし、情報もとても少ない人物ではあるのだが、彼の古典的な題材をモチーフにした作品の完成度はどれも素晴らしい。チャンスがあれば、作品集でも良いので今一度、フレデリック・レイトンの作品を皆様にも見ていただきたい。
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