芸術・文学

切ない…ゴッホの絵が生前に売れたのは1枚だけ…【赤い葡萄畑】

雑学カンパニー編集部

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ゴッホの絵が生前に売れたのは1枚だけという雑学

ゴッホ

筆者は、画家志望である。

いきなりだが、「個人的ああはなりたくはない画家・ナンバーワン」はゴッホである。誤解しないでほしい。彼の作品は好きだし、尊敬もしている。彼のことは「ゴッホ先輩」と呼んでいる。オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館にも行ったことがあるほど大好きな画家なのだ。

では、どうして「ああはなりたくない」のか? それは、才能があったにも関わらず、彼が生きているあいだに売れた絵がたったの1枚だったからである。画家として、絵が全く売れないということほど辛いことはない!

今回は、そんな悲しき画家ゴッホの雑学をご紹介するぞ!

【歴史雑学】ゴッホの絵が生前に売れたのは1枚だけ

信長さん
オイ秀吉…これつらすぎるだろ…
秀吉くん
ゴッホの生涯は悲劇だらけっすからねえ…

【雑学解説】生前に唯一売れたゴッホの絵のタイトルは「赤い葡萄畑」

生前に唯一売れた絵のタイトルは「赤い葡萄畑」だった

ゴッホの「赤い葡萄畑」

ゴッホの絵が初めて売れたのは、1890年の2月である。ゴッホが生まれたのは1853年、つまり彼が37歳の頃のことだ。絵のタイトルは「赤い葡萄畑」で、この絵が売れたのはなんと彼が亡くなる5か月前であった。

この作品は、ベルギーのブリュッセルで「20人会」という芸術家グループが開催した展覧会で展示されていた。購入したのは、20人会の会員のひとりであるアンナ・ボックという女流画家である。

ちなみに、購入価格は400フラン。今の日本円でいうと、だいたい11万円といったところ。「赤い葡萄畑」は、75cm×93cmとわりとデカい。このサイズを考慮すると、けっこう安い値段である。駆け出しの画家でも、このサイズならば最低30万円といったところであろう。(注:絵の価格というのは基本的には画家や画廊の裁量によるので、これはあくまでも意見の1つである。)

現代の売れない画家だって、このサイズの作品にこの値段をつけるのは精神的に堪える。ゴッホ先輩、生前は売れっ子じゃなかったからって、この価格はキツイっすわ…。

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【追加雑学】ゴッホのクレイジーな人生

ゴッホとテオドルスの墓が横並びに建っている

ゴッホとテオドルスの墓

そんなゴッホは、なかなか波乱万丈に満ちた人生を送っている。

実はゴッホ、最初から画家を志していたわけではない。彼は信仰心が厚く、元は聖職者志望だったのである。しかし、アムステルダムの大学の神学部での勉強に挫折。さらに熱血漢で行き過ぎてしまうという性格が災いし、ベルギーの炭鉱地帯で伝道活動するものの解任。過剰な信仰心から、「こいつ、やべぇ…」と危険視されてしまったようだ。

さて、聖職者の道を断念した彼は、画家を目指すことになる。しかし、生前たった1枚しか絵が売れなかった彼が、どうやって生活できていたのか? それは、彼の弟であるテオドルスの金銭的援助のおかげである。

ゴッホは家族間で確執を抱えており、肉親でたった1人、テオドルスだけが彼の理解者だったのだという。ちなみにこの弟、兄ゴッホが死亡したことにより一気に衰弱してしまった。ゴッホが亡くなった翌年の1891年1月25日、33歳という若さで精神病院で亡くなっている。テオドルスにとって、ゴッホの存在は大きすぎたのだと思われる。

信長さん
テオドルスの人生っていったい…って感じだな…
「ゴッホ耳切り事件」発生
ゴッホとゴーギャンの関係

ゴーギャン

ゴッホが「赤い葡萄畑」を描いていた頃、彼は1人の有名画家と同居している。その名はゴーギャン。芸術に対してメラメラと情熱を燃やす2人は、南フランスのアルルで9週間、ともに生活をしていた。

しかしゴッホとゴーギャンは、絵画スタイルや性格が全く異なっていた。最初はうまくいっていた共同生活も口論が多くなり、徐々に破綻し始めていった。そして、決定的な破局の原因である「ゴッホ耳切り事件」が発生したのだ。ゴッホ先輩、自分の耳切り落としちゃったんっすわ。

秀吉くん
ゴッホさん、おっかねえええ!!

1888年12月23日、ゴッホとゴーギャンはいつものように熱い芸術論を交わし、激高したゴーギャンがついに家を出ようとする。このとき、ゴッホは剃刀片手にゴーギャンを追う。怖いっすわ、ゴッホ先輩。そりゃホラーっす。

その後、ゴッホは自らの耳を切り、新聞紙に包んで娼婦にそれを贈っている。ゴッホはこのときの記憶がないらしく、なぜこのような行動に至ったのかはいまだ不明である。耳をもらった娼婦もいい迷惑である。

なかなか自身の絵が売れず、しかも敬愛する画家・ゴーギャンとの共同生活がうまくいっていなかったことから、ストレスで精神的に限界にきてしまったのかもしれない。この頃には過度な飲酒による精神錯乱もあったのだという。

この耳切り事件後にゴッホは精神病院に送られ、退院したのち、自らを拳銃で撃ち抜き死亡している。1890年7月29日のことであった。

雑学まとめ

オランダの画家・ゴッホについての雑学をご紹介した。ゴッホは、現在では世界的に有名であるが、生前売れた絵はたったの1枚であった。そんな彼は感情の起伏が激しい人物だったようで、晩年には自らの耳を切り落としてしまった。

ちなみに耳切り事件のあと、ゴッホの元を離れたゴーギャン。二度と彼に会うことはなかったそうだが、手紙のやり取りは続いていたそうだ。まぁ、リアルで会うとうまくいかないけど、メル友としてならちょうどいいっていう人間関係もあるしね。

信長さん
今や世界的に人気のある画家の一人だが…生前は何とも波乱万丈な人生を送っていたんだな…。
秀吉くん
良くも悪くも情熱的な人だったんすね、きっと…。

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