愛らしい鳩の形、サクサクとした歯ざわり、優しい小麦とバターの香り…鎌倉のお土産といえば、誰もが一度は手にしたことがあるだろう「鳩サブレー」だ。シンプルで素朴なサブレーに子どもからお年寄りまで笑顔になってしまう。
じつはこの鳩サブレーには、創業者をはじめ、身内がこっそり呼んでいたかわいらしい「愛称」があったようである。今回はそんな鳩サブレーについての雑学をご紹介しよう!
【食べ物雑学】鳩サブレーは「鳩三郎」と呼ばれていた
【雑学解説】初めて食べた洋菓子に初代が大興奮!その菓子の名は…
鳩サブレーは、明治27年に創業した鎌倉にある和菓子舗「豊島屋」の商品だ。創業まもないころ、鎌倉に滞在していた「どこの国の方かも分からない異人さん」に、豊島屋初代店主が大きなビスケットをもらったことがきっかけだった。
豊島屋は当時、生粋の和菓子店。手の平くらいの大きなサイズと食べごたえ、そして牛乳やバターの風味がする洋菓子に、初代店主は大きな衝撃を受けた。
当時の日本ではバターは貴重品。鎌倉では見たこともなかったそうだが、初代は横浜の異人館まで出かけてバターをゲット! とりつかれたように異人さんからもらったビスケットの味を再現した。
試行錯誤を繰り返した試作品を、世界中を航路する友人の船乗りに食べてもらったところ、「これはワシがフランスで食ったサブレーっちゅう菓子に似とるぞ」との返事。初代はこのサブレーが日本名の「三郎(サブロー)」に聞こえ、強く印象に残ったらしい。
崇敬していた鶴岡八幡宮の境内で愛される「鳩」の形で型抜きし、「鳩サブレー」という名前で売り出すことに決定。正式名称は鳩サブレーなのだが、初代や身内は親しみを込めてずっと「鳩三郎」と呼んでいたのだそうだ。
おすすめ記事
-
クッキー・サブレ・ビスケットの違いとは?糖分と脂肪分がカギ!
続きを見る
【追加雑学①】苦節10年…バターの風味が受け入れられるまでは時間がかかった
鳩サブレーが店頭に出されたのは明治の末頃。バターなど食べたことがなかった日本人には、「バタ臭い」といわれてなかなか売れなかった。
ある日、初代の奥さんが近所に出かけたところ、無料でお配りした試作品の鳩サブレーが…なんと裏庭で犬のエサにされていた(奥さんのショックを思うとやりきれない)。
奥さんはご主人の鳩サブレーにかける情熱を知っていたため、とてもそのことを言い出せず、何年も経って鳩サブレーが売れ始めてから、ようやく笑い話として教えてくれたのだそうだ。
初代はめげずに鳩サブレーを作り続け、発売から10年かけてようやく鳩サブレーが軌道に乗った。何とそのタイミングで関東大震災がおき、豊島屋本店は壊滅。その痛手も乗り越え、鳩サブレーはたくましく全国に羽ばたいていった。
スポンサーリンク
【追加雑学②】超かわいい!鎌倉本店には限定販売の鳩サブレーグッズがある
ネットでのお取り寄せもできるが、鎌倉本店でしか買えない限定の鳩サブレーグッズがとにかくかわいい。初代から続く先祖代々の「鳩愛」が高じて、お菓子だけでなくさまざまなグッズが販売されているのだ。
修正テープや消しゴム、クリップなど鳩サブレー型の文房具がたくさん! ふせん・レターセット・鳩サブレーチョロQがついたボールペンなどなど、圧巻の品ぞろえ。これ全部、現在の第四代社長が考案しているのだとか。
トランプは全てが違う絵柄で、鳩が何やら実験して失敗したり、宴会で次々酔いつぶれていったりと、シュールなストーリー仕立てになっている。筆者は個人的にめちゃくちゃツボだ。四代目の個性が爆発している。
本店を訪れた動画にあふれる鳩・はと・ハト!
実際に本店を訪れた旅行者の動画を見てみよう。想像以上の愛らしい鳩っぷりに癒される。鎌倉に行ったら絶対に豊島屋本店に突撃しなければ…!
雑学まとめ
鳩サブレーにまつわる雑学をご紹介してきたが、いかがだっただろうか。初代は戦後の物資難でお菓子が作れなくなり、その復活を見ることが出来ないままお亡くなりになってしまった。死の間際までずっと鳩サブレーのことは「鳩サブロ、鳩サブロ」と呼んで愛していたそうだ。
100年以上の歴史をもつ豊島屋は、昔からずっと変わらず誠実にお菓子を作り続けている。初代の心意気はきっといまも鳩サブレーに宿っているに違いない。
それにしても、四代目の鳩グッズセンスには脱帽だ。時期によって限定品が出るそうなので、店舗に行ける人はぜひチェックしてみよう。
おすすめ記事
-
"白い恋人"に激似ッ…な類似品が全国にある。権利関係は大丈夫…?
続きを見る