文字を書くための代表的な道具である鉛筆。大人になってからは使う機会が減ってしまったし、今ではシャープペンシルがあるので家にそもそも置いていない人も多いだろう。
筆者が子供のころはバトル鉛筆という、鉛筆の側面に描かれたキャラクターと数値でゲームができるものが流行っていた。思い返せばそういったユニークな文房具がたくさんあったので、鉛筆は文房具というより玩具としての思い入れが強いかもしれない。
そんな筆者の思い出話はさておき、鉛筆に関してとある雑学を耳にした。それは、日本で初めて鉛筆を使ったのは徳川家康というのである。
うーむ、そんな前の時代にそもそも鉛筆はあったのだろうか? イメージでは筆と墨で文字を描いているような感じだが…。真相を調べてみた!
【歴史雑学】日本で初めて鉛筆を使ったのは徳川家康
【雑学解説】徳川家康は日本に鉛筆が普及する前から鉛筆を持っていた
調べてみると、なんと徳川家康が使った鉛筆が今でも残っていることがわかった。その鉛筆が保管されているのが、徳川家康を祭っていることで知られる久能山東照宮だ。徳川家康の鉛筆が見つかったのもこの神社であり、そのまま敷地内の博物館にて保管されている。
しかし、この鉛筆が徳川家康の所有物であった可能性は高いが、どのような経緯で手に入ったのかはわかっていない。
そもそも鉛筆は諸外国で発明・普及していた筆記用具なので当事の日本ではあまり普及していなかった。そのため、ヨーロッパあたりの国から献上されたのではないかというのが有力な説らしい。
この鉛筆は現存するなかで日本最古のもので、徳川家康が日本人で初めて鉛筆を使ったといわれている。江戸時代の鉛筆といっても形状は現代のものとあまり変わらず、削って使うタイプのもの。どんな書き心地なのか1回使ってみたいものである。
伊達政宗も鉛筆を持っていた
ちなみに徳川家康と同じく、戦国武将で知られる伊達政宗の遺品からも鉛筆が見つかった。こちらも入手経路は不明だが、素材から諸外国の品を参考に政宗が部下に作らせたものではないかと考えられている。
うーむ、てっきり江戸時代は筆で文字を書いていたと思っていたが、鉛筆も少ないながら存在していたとは驚きである。昔の人は筆で達筆な文字を書くイメージだが、家康や政宗が鉛筆でどんな字を書いていたのか気になるところだ。いつかタイムマシンができたら確認しに行ってみたい。
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【追加雑学】日本では最初から短い鉛筆を売ってはいけない
さて、話は現代に戻るが、ここで一般的に売られている鉛筆を思い浮かべてほしい。メーカーは違えど、どれも似たような長さではないだろうか。ある程度の長さがないと持ちづらいのはたしかだが、あまり使う機会がない人のために最初から短い鉛筆があってもよさそうである。
そこで調べてみたところ、なんと日本では鉛筆を売るときには規定の長さを守らなくてはならない。その長さは172mm以上。
これはJIS(日本工業規格)として定められている。つまり、これに定められた長さより短い鉛筆は売ってはいけないのだ。
どうしてこの長さに決まったのかは定かではないが、大人の手の大きさを参考にドイツ人のルター・ファーバーという人が提案したといわれている。
うーむ、鉛筆は削ってしまえばどうせ短くなっていくのだから、長さは自由でもいいような…。そのあたりは大人の事情が関係しているのかもしれない。
雑学まとめ
今回は鉛筆にまつわる雑学を紹介した。徳川家康が日本人で初めて使った道具というエピソードは色々あるが、まさか鉛筆まで持っていたとは驚きだ。天下統一を成し遂げたら、生活道具まで変化していった証拠ということだろう。
ちなみに筆者は趣味で鉛筆デッサンをしているのだが、同じ硬さの黒鉛筆でもメーカーが違うと微妙に色が違う。機会があれば見比べてみてほしい。
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