世界一のファッションブランドはと聞かれて、「ルイ・ヴィトン」を連想する人は多いはずだ。街を歩けばそこかしこでモノグラムの柄を目にするし、財布はヴィトンじゃなきゃという人もいるだろう。
このように現在はすっかり日本にも浸透した、フランス生まれのヴィトン。そういえば日本にやってきたのって、いつごろの話だったのだろう? まだ出回ってないころにヴィトンを手に入れた日本人は、それこそファッションリーダーだったに違いない!
…何? 日本で最初にヴィトンを買ったのは、自由民権運動の板垣退助だと!?
【歴史雑学】日本人で初めてルイ・ヴィトンを買ったのは板垣退助
【雑学解説】板垣退助が日本人初の顧客だったことが判明
ある時期からヴィトンの日本人初の顧客は、土佐藩士で大阪府知事を務めたこともある後藤象二郎(ごとうしょうじろう)だといわれていた。
ところが2017年のこと、板垣退助の子孫から高知県の自由民権記念館へ、代々受け継いできたヴィトンのトランクが寄託されたことにより、新たな事実が発表されることになる。
寄託されたトランクのシリアルナンバーは「7720」。
そしてヴィトン・パリ店の顧客名簿にもたしかに「itagaki」という人物が、同じナンバーのものを購入した記録が残っており、その購入年月日は1883年1月9日だった。同時に、後藤象二郎が購入したのはこの3週間後だということも判明したのだ。
なぜか後藤の事例が先に発表されていたため、長らく彼が日本人初の顧客だと勘違いされていたのである。
史実と照らし合わせてみても、1882年から1883年にかけ、板垣は政治視察のため、後藤と共にパリやロンドンを外遊している。後藤がちょっと後に購入していることを考えると、彼は板垣の勧めでトランクを買ったのかも?
なかには日本人初の顧客が板垣だったことではなく、「というか後藤象二郎でも意外だし!」と思った人もいるのではないか。「改革も大事だが、政治家はこれぐらいオシャレでなくてはな!」などと言っていたのだろうか…。
と、思ったりしたが、板垣がトランクを購入した理由は、「フランスで購入した書物が長い船旅で傷んでしまわないように」だといわれている。なるほど、オシャレではなく政治家らしい理由があったのだな!
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【追加雑学①】板垣退助が買ったヴィトンはモノグラムではない
ヴィトンといえば誰もが思い浮かべるのはモノグラムの柄だ。
しかし板垣の所有していたトランクは、モノグラム発売前の、ベージュ地に細い赤の縞が入った「レイエ・キャンバス」を使ったもの。なんでもスペイン王室御用達のモデルだったといわれている。
以下はヴィトンの歴代トランクを紹介した動画だ。レイエ・キャンバスを使ったシリーズもしっかり登場しているぞ!
1854年のモデルは、どこか昔話の『舌切り雀』に登場するつづらを連想させるような…。さまざまなデザインが考案された歴史があるのだなあ…。
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現行の「ダミエ」・「モノグラム」は日本由来?
動画後半に登場する、現行の「ダミエ・キャンバス」と「モノグラム・キャンバス」は、日本文化の影響を受けているという説もあるぞ!
なんでもモノグラムのデザインは、日本の「徳川家・島津家の家紋」を模したものの可能性があり、ダミエは日本の伝統的な柄である「市松模様」を参考にしているという話だ。
これらはコピー商品に悩まされていたヴィトンが、その対策として考案したもの。だとすると、日本古来の柄というのは真似されにくいのかもしれない。
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【追加雑学②】板垣退助より先に買った人がいるかも?
板垣退助が日本初の顧客として認定された根拠は、現存しているトランクの影響が大きい。しかしヴィトンの当時の顧客名簿には、そのほか多数の日本人の名前も見つかっているようだ!
- 元薩摩藩士・大山巌(おおやまいわお)…1882年に購入
- 関西大学創立者・小倉久(おぐらひさし)…1884年に購入
- 政治家・西園寺公望(さいおんじきんもち)…1886・88年に購入
- 元薩摩藩士・フランス公使の鮫島尚信(さめじまなおのぶ)…1875年に購入
なるほど、「日本で初めてヴィトンを買ったのは鮫島尚信」という説も捨てがたい。ただこれに関しては、現物が残っていない以上、ハッキリとはわからないのが現状である。
また詳細な年数こそ不明だが、薩摩藩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)が最初という説もある。
なんだなんだ! 明治維新と同時に、元薩摩藩士の間ではヴィトンが大流行していたというのか? 海外から新しいものを取り入れることは、改革といえば改革だが、両者のイメージのギャップがすごいぞ。
ちなみに紹介したなかだと、1884年に小倉久が購入したものは、現在も関西大学に展示されている!
雑学まとめ
オシャレの代名詞であるヴィトンの日本人初の顧客が、あの板垣退助だとは意外に思った人も多いのではないか。しかも当時の顧客名簿には、見事に元薩摩藩士の名がズラッと並ぶ。
ただこれも考えてみれば道理で、板垣が長い船旅にも耐えうると判断した頑丈なトランクを、オシャレな女性が持ち歩く姿は想像しにくい。ヴィトンはそこから年月を経て、徐々に男女問わず愛されるようになっていったのだろう。