みなさんは、子どものころや学生時代に「夢中になっていたこと」はあるだろうか。だれしも何かひとつくらい、得意なことや好きなことがあるものだ。たとえば、筆者にとってそれは中学のときの部活動の合唱であった。
「歌うことが好きだ」という気持ちで入部し、全国大会へ向けて休むことなく部活に励んだ日々は、辛いこともたくさんあったがとてもよい経験であったと感じている。
なんの分野であっても、日頃の練習の成果を出すべくライバルたちと競い、より高みを目指すということはけっして簡単にできることではないと思う。
そんな今回の雑学では、「14歳」にしてオリンピック制覇を成し遂げたスゴい日本人女性をご紹介するぞ…!
【オリンピック雑学】日本最年少の金メダリストは?
【雑学解説】14歳・中学生にして金メダリストになった岩崎恭子
1978年、「岩崎恭子(いわさききょうこ)」は静岡県沼津市に3人姉妹の次女としてうまれた。彼女が水泳をはじめたきっかけは、5歳のとき。先にはじめていた姉をみて「自分もやりたい」と思い水泳クラブに入ったのだ。
きっかけはよくある話のように思えるが、彼女は幼くして次々と水泳の才能が開花していく…! 1990年、12歳のときには全国大会で優勝。当時の学童記録を更新してのことだった。
その後、実力を認められ、バルセロナオリンピックの選手にも選ばれた岩崎恭子。海を越え、ついに世界への一歩を踏み出した。
しかし、当時の日本女子競泳の代表メンバーには、岩崎よりもメダルを期待される選手がいた。そして、当時の世界記録保持者と岩崎のタイムがかけ離れていたことから、14歳の中学生だった彼女はメディアからは完全にノーマークであった。
まさか金メダルを獲得するとは思われず、だれからもプレッシャーを与えられることのなかった岩崎は、このあと日頃の練習の成果を十分すぎるほど発揮することになる!
…ついにやってきた、夢の舞台・バルセロナオリンピック。岩崎は予選から、その実力を世界に見せつける泳ぎを見せた。岩崎の予選のタイムは2分27秒78。当時の日本記録を2秒13更新して、全体2位でのゴールであった!(予選全体1位はアニタ・ノール)
当時の岩崎は、前半から飛ばすというよりは、後半での勝負に掛ける泳ぎを得意としていた。そんな彼女は、金メダルを掛けた決勝の直前、こんなことを考えていたという。「トップのアニタに離されたら追いつけない。最初から飛ばしていこう…!」
実際に女子200m平泳ぎ決勝のレースがはじまると、スタートからしばらくトップをいくのは、当時の世界記録保持者であったアニタ・ノール。岩崎のふたつ上の16歳のアメリカ人だ。オリンピック直前までは、このアニタ・ノールが金メダル候補の筆頭であった。
…しかし、最初こそ順位は6位とうしろのほうであったが、岩崎は後半少しずつ順位を上げていく。100mのターンで3位に浮上すると、ついにはラスト5mでアニタを抜いてゴール!!!
決勝での岩崎のタイムは2分26秒65。彼女の金メダルと世界新記録で戦いの幕は閉じられたのだ!
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【追加雑学①】ゴール後のインタビュー。岩崎恭子の名言
「いままで生きてきた中で、いちばん幸せです!」…これは、金メダルを獲得した直後にインタビューを受けた彼女が発した言葉である。中学2年生の、自分のこころのままに素直に答えたこの言葉が、一躍彼女を有名人にした。
しかしこの金メダルによって有名になってしまったことが、今後の彼女を苦しめることにもつながってしまう…。
【追加雑学②】金メダリストになり、有名になってしまった岩崎恭子の苦しみ
バルセロナから帰国した岩崎のもとには、当然のことながらテレビの取材が殺到した。全国的にも顔を知られ、なんと彼女にストーカーする輩や、嫌がらせの電話をする者も現れた。これはひどい…。暇か!
さらに、「14年しか生きてないのに「今まで生きてきて」とは軽々しい」などと、メダル獲得直後のインタビューでの発言への批判もあったという。
これにより、それまでは素直に自分の思ったことを発言し、中学生らしくどこにでもいる女の子と変わらなかった彼女は、自由にものをいえなくなってしまった…。世間の批判や嫌がらせが原因で、スランプに陥ることもあった。
しかし、苦しみながらもそれらを乗り越え18歳のときには次のアトランタオリンピックにも出場。メダルは獲得できなかったのだが、その行動には「負けない」というとても強い意志を感じる。嫌がらせしたやつら、彼女に謝れ! と思わずにいられない。
【追加雑学③】引退後、岩崎恭子さんの現在
アトランタ大会を終え、次のシドニーオリンピックにも出場を希望していた岩崎恭子。しかしこのころ体調に異変があらわれる。「伝染性膿痂疹(でんせんせいのうかしん)」という、水ぶくれやかさぶたができる皮膚の病気にかかってしまったのだ。
そして、からだのことを考えて20歳で岩崎恭子は現役を引退。現在では、選手たちにゴミの分別マナーを呼びかける「環境アンバサダー」や、水泳の指導員など、忙しくも充実した日々を送っているそうだ。
雑学まとめ
今回は「岩崎恭子」についての雑学をご紹介してきた。
日本人最年少金メダリストという名誉を手に入れたと同時に、世間の批判や嫌がらせにあうようになってしまうとは…ひどい話で驚いた。それでも自分にもまわりにも負けずに、苦しみながらもやり抜いた彼女は、すばらしい女性だと筆者は思う。
現在も水泳に関わるお仕事をされていて、後輩たちの指導もしているそうなので、今後のオリンピックでこれから先、岩崎恭子の教え子たちがオリンピックで金メダルを獲ってくれる…なんてことも期待できるかも?!
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