渋谷のシンボル、「忠犬ハチ公」の像。ハチという名の犬が、10年もの間、帰らぬ主人を迎えに渋谷駅に通い、駅前で待ち続けたという感動のストーリーはあまりにも有名である。
ハチの行動が新聞に掲載され、たくさんの人に知られるようになり、昭和9年に銅像が渋谷駅に設置されたのだが…。これは初代の銅像で、今渋谷駅に建っているハチ公像は二代目だというのだ! なぜ建て直されたのだろう。
今回は、渋谷の「忠犬ハチ公」の像にまつわる雑学を紹介するぞ!
【動物雑学】渋谷の「忠犬ハチ公」の像は二代目
【雑学解説】初代「忠犬ハチ公」の像は、戦争の資源になった
初代ハチ公像は多くの募金によって作られ、盛大に除幕式が行われたのだが、実はこの時ハチも参加している。えっ!? ハチが死んでから銅像ができたんじゃないの!? そう思うのが自然だろう。生きているうちに銅像を建てられるほどの人気ぶりだったのか…。いや、そうではなく、これには事情があったようだ。
忠犬ハチ公の美談に心を打たれた彫刻家・安藤照氏の手によってハチの銅像が作られている頃、「ハチの木像を作る資金集め」と称して絵葉書を売るという人物が現れたのだ。商売にしたかったのだろうか…。
ハチの姿に感動した人々の善意で集められた募金で銅像を作っていた側にすれば、これはなんとしても阻止したい! そこで急いで銅像が作られ、ハチが生きている間に建てられることになったのだ。
しかし…それから日本は戦争の時代へと突入していく。戦時中、武器を作るための材料になる金属を、日本中から集めたという話を聞いたことがないだろうか。日中戦争から太平洋戦争にかけての日本は、戦況が悪化し武器が足りなくなっていった。日本は資源が少ない国で、戦時中に海外から輸入もできず…。国内にある金属類を回収せよ! と、国が命令をしたのだ。
ハチ公像も例外ではなかった…。主人の死後も、ただ帰りを待ち続けたハチが脚光をあび、銅像になったまでは良いのだが、その銅像は「お国のため」の資源となってしまったのだ。切ない話である。
【追加雑学①】初代「忠犬ハチ公」の像は戦争への出陣式が行われた
終戦の1年前、ハチ公像は戦争の資源となるため撤去されることになり、盛大な出陣式が行われた。日の丸の国旗をハチ公像の首に巻き付けて勇ましく出陣していくハチ公像を、たくさんの人が見守ったという。
しかし、出陣したハチ公像が武器を作るために溶かされたのは、なんと終戦の1日前! 溶かす必要などなかったのだ…。溶かされたハチ公像は、機関車の部品となって、東海道を走ったのである。
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【追加雑学②】二代目「忠犬ハチ公」の像をGHQもサポート!?
戦後、「ハチ公像を復活して欲しい!」と願う声が多かった。復興のシンボルとしても望まれたのであろう。
忠犬ハチ公のストーリーは、戦争の前に欧米にも知られていた。戦後に日本を占領していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも、「忠犬ハチ公」に胸を打たれた愛犬家がおり、ハチ公像の復活をサポートしてくれたのだ! そうして二代目「忠犬ハチ公像」が建てられることになった。
初代は凛々しく、二代目は可愛らしく
二代目ハチ公像は、初代ハチ公像を作った安藤照氏の長男である安藤士(あんどうたけし)氏が制作している。親子二代でハチ公像を制作したのだ。
実は、初代と二代目は少し顔が違うという。凛々しい顔に作られた初代に比べ、二代目は優しく可愛らしい顔に作られているのだ。
これは、二代目ハチ公を、「みんなに愛されるように可愛らしく作りたかった」という安藤氏の思いが込められているようだ。
【追加雑学③】ご主人との再会を果たしたハチ公の像がある
帰らぬ主人をけなげに待ち続けたハチ。
主人に会わせてあげたいという思いからだろうか…。なんと、待ちわびた主人と再会できた様子を再現した銅像があるのだ! ハチが待ち続けた主人である上野英三郎氏は、東京帝国大学農学部の教授だったことから、東京大学にこの銅像が建てられたのである。
ご主人とハチの再会を描いた像のニュース動画を発見!
やっと会えた! 待ちわびたハチがご主人に飛びつく銅像がこれだ!
なんていい表情をしているのだろう…。映画のクライマックスのようで、涙腺は崩壊…。ハチ! よかったね…。
雑学まとめ
今回は、「忠犬ハチ公」の像にまつわる雑学を紹介した。あの渋谷のハチ公像が二代目だったとは…戦争の資源になるためにと撤去された初代ハチ公像があったなんて、やり切れない気持ちになる。
しかし、ただ主人に会いたかった…ただそれだけの思いで待ち続けたハチが、主人との再会を果たせた銅像も作ってもらえたなんて…。なんだか気持ちがあたたかくなった。
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