「やめられないとまらない」でおなじみのかっぱえびせん。
本当に食べ出したらやめられないから、このフレーズも言い得て妙だ。新商品が数多く開発されるなか、昔から変わらず、長く愛され続けているお菓子のひとつである。
ところで…おいしいのは重々承知だが、ひとつ気になることがある。なんで「かっぱ」なんだ? カッパって、あの妖怪のカッパだよね? まさかカルビーの工場には本当にカッパが住んでいて、かっぱえびせんの製造に携わっているとか…。
そんなわけはないが、小さな子どもに教えたら本気で信じそうだ。今回は、そんなかっぱえびせんの「かっぱ」の由来について解説するぞ!
【食べ物雑学】かっぱえびせんの「かっぱ」の意味とは?
【雑学解説】人気漫画の力を借りた「かっぱえびせん」
カルビーによると、かっぱえびせんの名前の由来は、1955年に発売された前身のお菓子「かっぱあられ」から引き継いだものだという。
ではそのかっぱあられはなぜ、その名前になったのか。
これは1953~58年の間、雑誌『週刊朝日』にて人気を博していた漫画『かっぱ天国』の作者・清水崑(しみずこん)氏にパッケージデザインを依頼したことが理由である。
パッケージに描かれたのはやはりカッパのイラスト。商品を広く知ってもらうため、漫画を通してブームとなっていたカッパの力を借りたということだ!
「かっぱあられ」から「かっぱえびせん」へ
かっぱあられはかっぱえびせんと同じく、小麦を主原料としたお菓子。あられといえば通常は米から作られるものだが、当時、カルビー創業者の松尾孝氏が初の小麦を使ったあられを開発したのだ。
その背景には、戦後の食糧難にあえぐ人々のお腹を、なんとか満たしてあげたいという想いがあった。当時は食糧難の影響から施行された「食糧管理法」によって食品の値段が決められていて、米は高価で手に入りにくい食べ物だったのだ。
一方で小麦はアメリカからの輸入物が安く出回っており、「これなら安くて腹持ちのいいお菓子が作れる」と、松尾氏は開発に乗り出したのである。
そんな経緯でかっぱあられが発売されてから約10年後の1964年、シリーズ商品として小麦にエビのすり身を混ぜたかっぱえびせんが誕生したのだ。
なんとその間に開発された「かっぱシリーズ」は全部で27種類にも渡るという。
食糧難に苦しむ人々を救いたい…そんな松尾氏の人情が込められた初代の名前が、それだけのお菓子たちに受け継がれ、現在のかっぱえびせんに繋がっているということだ。
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【追加雑学】「かっぱえびせん」の味はおふくろの味
カルビー創業者の松尾氏は広島県広島市の出身で、幼少期は自宅付近に流れていた太田川にて、川エビを獲ることに熱中していたという。
ゲームなどもなく、自然が遊び相手だったこの時代、地元でもエビ獲りをする子どもは珍しくなかったはずだが、そのなかでも彼は「名人」と呼ばれていたのだとか。
さすがというかなんというか、後にかっぱえびせんを生み出すことに不思議な縁を感じさせられる。
そう、そもそも彼がエビをお菓子に使おうと思ったのは、このころに自分が獲ったエビを使って、母親が作ってくれたかき揚げの味が忘れられなかったからだ。おいしい料理はさまざまあれど、やはりおふくろの味に敵うものはない。
かっぱあられが食糧難に苦しむ人々を満たすために作られたものなら、かっぱえびせんには「おふくろの味を多くの人に味わってもらいたい」という想いが表れているといえるだろう。
ちなみにカルビーという社名にもまた、松尾氏の「人の役に立ちたい」という気持ちが込められている。その由来は「カルシウム」と「ビタミン」を混ぜた造語。つまり健康志向のお菓子を世に届けたいということである。
さまざまなヒット商品を生み出すカルビーは、まさに想いからできた会社だったのだ!
「かっぱえびせん」のエビはマル秘食材だった
かっぱえびせんの原料となる小エビの調達に関しても、松尾氏ならではのエピソードがある。
広島の漁村では小エビが大量に獲れるというが、これは当時、商品として売るようなものではなく、ほとんどが漁村のなかで消費されていたという。
松尾氏はこれに目を付けるわけだが、当初の小エビは多くの人がそのおいしさに気づいていない食材でもあったのだ。
幼少期の川エビの逸話といい、まるで彼が広島に生まれたこと自体が運命のようである。
最後にカルビーの公式YouTubeチャンネルより、かっぱえびせんの製造過程を収めた映像を紹介しておこう。システマチックに稼働する工場の様子に、子ども心のようなワクワクを感じさせられる。
かっぱえびせんの雑学まとめ
かっぱえびせんはカッパが作っているわけではない。その名前は前身のかっぱあられが発売された際、人気を後押ししてくれた漫画のカッパにちなむもの。カッパは製造には関わっていないが、売り子として活躍していたわけだ!
なにはともあれ、初心忘れるべからずといったところか、当時の縁を末永く大切にするあたりはいかにも、松尾氏の意志を引き継ぐカルビーらしい。