日本史

敬老の日は"聖徳太子の老人ホーム"が由来かもしれない。【9月15日】

雑学カンパニー編集部

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敬老の日の制定には、聖徳太子が建てた老人ホームが関係していたという雑学

聖徳太子

国民の休日として、9月の第3月曜日に定められた「敬老の日」。敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」として設けられた国民の休日である。現在、敬老の日は9月の第3月曜日に定められているが、かつては9月15日とされていた。

敬老の日が制定されたのは昭和22年、兵庫県多可郡にある野間谷村(のまだにむら)で催した敬老会に由来する。だが、敬老の日が9月15日に制定されたのは、誰もが知っているあの偉人にまつわるエピソードが関係しているとの説もある。

この記事では、敬老の日に制定された知られざるエピソードについての雑学をご紹介していく。

【歴史雑学】敬老の日の制定には、聖徳太子が建てた老人ホームが関係していた

敬老の日の制定には、聖徳太子が建てた老人ホームが関係していたという雑学

秀吉くん
そういえば、もともと敬老の日って9月15日だったっすよね。この日付けに理由ってあるんっすか?

信長さん
9月15日はな、聖徳太子が大阪・四天王寺内に『悲田院(ひでんいん)』を建てた日なんだよ。この施設は、お年寄りや身寄りのない子どもたちを保護するためのものだったんだ。

【雑学解説】敬老の日はこうして作られた

敬老の日が制定されたのは昭和22年、兵庫県多可郡にある野間谷村(現在の多可町八千代区)で催された、「敬老会」にルーツがある。

野間谷村の当時の村長が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」との趣旨から、会を開催したことに始まる

この会は、農閑期にあたる9月15日に、55歳以上の人を対象に開催された。この会が全国的に知られるようになり、国民の祝日「敬老の日」制定につながったとされる。

秀吉くん
農作業がひと段落ついたころのほうが、心置きなくパーティー楽しめるっすもんね。

では、なぜ9月15日に制定されたのか? それにはさまざまな説があるようだ。そのなかには聖徳太子が大阪市・四天王寺に、ある施設を作った日付が9月15日だったからという説がある。

聖徳太子が、四天王寺を建立するにあたって、「四箇院制度(しかいんせいど)」をとり、「悲田院」を創設したことがルーツにあるといわれている。

「四箇院」とは、4つの複合施設であり、そのひとつである悲田院(ひでんいん)は、身寄りのない者や年老いた人を収容する施設のことである。

信長さん
四箇院の残り3つはそれぞれ、仏教寺院である『敬田院(きょうでんいん)』、薬局のような施設の『施薬院(せやくいん)』、そして病院のような施設の『療病院(りょうびょういん)』というものだ。

現代でいう、老人ホームや保護施設のようなものと思って違いないだろう。聖徳太子は、大阪・四天王寺にこの施設を建立したのだ。建てられるようになった背景には、仏教の慈悲の精神の影響があったという。

そして、完成するとお年寄りや身寄りのない子どもたちを悲田院に保護した。

この「悲田院」を創設したのが、593年の9月15日だったとされる。この出来事を参考に敬老の日が設定されたようだ。

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【追加雑学①】国民の休日「建国記念の日」は、神話に登場する天皇の即位日に関係している

「建国記念の日」は神話に登場する天皇の即位日に関係しているという雑学他の国民の休日のルーツをご紹介しよう。「建国をしのび、国を愛する心を養う日」とされる、2月11日の「建国記念の日」を見ていく。まず、日本には正式に「建国の日」とされる史実があったのか、と疑問に思うかもしれない。

この国民の休日のルーツは、日本神話がもとになっている。古事記や日本書紀に登場し、初代天皇とされる神武天皇の即位日とされている日なのだ。

その即位日を、明治時代にグレゴリオ暦にあらためた日付が2月11日なのである。明治6年に「建国記念の日」として制定された。

しかし、第二次世界大戦後、日本を統治下に置いたGHQによって一時廃止された。しかし、昭和41年に国民の祝日に制定され、現在に至っている

信長さん
GHQは『天皇の神格化に関わる』として、この祝日を廃止したんだ。

【追加雑学②】11月3日の「文化の日」は、もともと天皇の生誕を祝う休日だった

「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」との趣旨で、11月3日に制定されている「文化の日」。じつは「文化の日」は、明治から戦後の一時期まで、天皇を祝う日として制定された国民の祝日だった。

明治初期から明治44年までは、8世紀の第49第天皇・光仁天皇(こうにんてんのう)の生誕を祝った日とされる「天長節」として、昭和2年から昭和22年までは、明治天皇の誕生日を祝う「明治節」として、祝日に制定されていたのである。

第二次世界大戦後、日本を統治したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって一時廃止されたが、昭和23年、日本国憲法が公布された11月3日を「文化の日」とあらため、祝日に制定された。つまり、11月3日はかつて、ときの天皇や明治天皇を祝う国民の祝日だった流れを汲んでいるのである。

秀吉くん
ここでもGHQの奴らが茶々入れやがったんっすね!
信長さん
GHQは、日本軍の強さの理由は天皇や神道にあったと考えていて、これに関係するものを国家から排除したかったんだな。

国民の休日である「憲法記念日」は、5月3日に制定されているが、これはあくまで、日本国憲法の施行日にあてられたものである。

つまり、日本国憲法が公布された日が「文化の日」、施行された日が「憲法記念日」なのだ

雑学まとめ

敬老の日に関する雑学まとめ国民の休日である「敬老の日」と、2つの休日・祝日の雑学についてご紹介した。国民の休日に制定された背景を、普段気にかける方は少ないかもしれない。だが、そのルーツに目を向けると、偉人や天皇などの歴史的エピソードがあった

時代を隔てた歴史的な出来事が、現在の時間に流れこんでいることを思うと、改めて不思議な思いが込み上げてくる。過去と現在をつなぐ悠久の時間の流れに、ときにはひたってみるのもいいかもしれない。

秀吉くん
信長さん、敬老の日はもともと9月15日だったっすけど、その3日後の9月18日は何の日か知ってるっすか?
信長さん
はて…さぁ…?
秀吉くん
僕の命日なんっすよ!
信長さん
そうか、それは心の底からどうでもいい日だな。

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