全国には、ご当地ならではのお土産や民芸品が売られている。民芸品に興味がない方でも、おじいちゃんやおばあちゃん宅で、山形のコケシや北海道の木彫りの熊などを、一度は拝見したことがあるだろう。
その木彫りの熊の定番といえるものが、口に鮭をくわえたものではないだろうか。この記事では、全国的にも非常によく知られている木彫りのクマと、全国の民芸品の雑学についてご紹介する。
【歴史雑学】北海道の民芸品・木彫りの熊を発案したのは徳川義親
【雑学解説】知られざる民芸の世界
北海道の民芸品の定番といえば、「木彫りの熊」ではないだろうか。この彫像は、北海道の南部に位置する八雲(やくも)町で誕生したものだ。
そのルーツは大正12年、尾張徳川家第19代当主・徳川義親(とくがわよしちか)がヨーロッパ旅行から持ち帰った木彫りの熊を、農閑期の収入源として制作するように、住民たちに奨励したことにあった。
八雲町は、尾張徳川家とゆかりの深い土地だった。明治11年、尾張藩の藩士たちがこの町に開拓民として入植したことから、藩士たちの手で「徳川農場」などが運営されていた。
義親の勧めに応じて、町内に住む伊藤政雄(いとうまさお)という人物が、木彫りの熊を制作した。さらに、画家の十倉金之(とくらかねゆき)を講師に迎えて、本格的に制作が開始される。また上記の農場では、実際に熊を飼育して制作の参考にしたといわれる。
これをきっかけに、木彫りの熊が全国的に知られるようになり、やがて北海道の民芸品として定着していった。
残念ながら現在は、八雲町では木彫りの熊の制作は下火になっているようである。なお八雲町には、2014年、郷土資料館内に「八雲町木彫り熊資料館」がオープンした。
施設には、徳川義親がヨーロッパから持ち帰った木彫りの熊や、伊藤政雄が初めて製作した、木彫り熊などが展示されている。
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【追加雑学①】各地のお土産や民芸玩具などをモチーフにした対戦カードゲームが販売されている
民芸品の世界は奥が深く、なにも買ったり飾ったりするだけではない。全国の民芸品をモチーフにした対戦型のカードゲームが発売されているのだ。それが、全国47都道府県の民芸品をカードにした対戦ゲーム「民芸スタジアム」である。
対戦型カードゲーム「民芸スタジアム」は、玩具メーカー・ウサギから販売されている。開発したのは、『企画のメモ技』の著作がある高橋 晋平氏である。YouTubeの公式動画には、2人用・4人用のそれぞれのルールが紹介されているので、まずはこちらをご覧いただこう。
対象年齢は7歳以上とされる。ゲームの基本ルール(2人用)は、プレーヤーが5枚のカードをそれぞれ手に持ち、カードの山札から1枚をひいた後にサイコロを振る。カードには数字が振られており、出た数字以下のカードを場に捨てることを繰り返していく。
そして場に捨てたカードの数字が、一定以上に達したプレーヤが勝ちとなる。また、カードには特殊能力が設定されており、その能力を使うことによって相手プレーヤーを邪魔できるなどの戦略性も加味されている。
子供からシニアまで楽しめるような簡単なルールで、戦略性も楽しめるカードゲームになるように制作されている。カードのなかには、先にご紹介した木彫りのクマも登場するようだ。
こちらのサイトから購入できるようだ。さあ、全国ご自慢の民芸品で、相手プレーヤーを打ち負かせ!
【追加雑学②】ロシアの玩具人形・マトリョーシカは日本の民芸品をヒントに制作された?
日本の民芸品をヒントに生み出された世界的に有名な民芸品がある。それがロシアの郷土玩具「マトリョーシカ」である。
この「マトリョーシカ」のルーツには諸説あるが、一説には、日本の民芸品(工芸品)である「入れ子細工」をヒントに制作されたといわれている。
そのルーツは19世紀末にさかのぼる。ロシア人修道士が神奈川県箱根町にやって来た際、箱根細工で制作された「七福神の入れ子人形」を目にとめ、その品を母国に持ち帰ったことが、「マトリョーシカ」の元になったといわれている。
そのモデルになったとされる「七福神の入れ子人形」は、現在もモスクワ近郊にある玩具博物館に展示されているそうである。
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雑学まとめ
北海道の民芸品・木彫りのクマと、国内外の民芸品にまつわる雑学をご紹介してきた。民芸と聞くと、職人が丹精込めて作る伝統色の強いイメージがあったが、現在では対戦型カードゲームまで発売されていることに驚いてしまった。
定番の木彫りのクマから対戦型カードゲームまで、民芸の世界はまことに奥が深い。民芸の世界も、時代とともに移り変わっていることを実感させられる