日本史

陸軍も採用!忍術書"万川集海"の内容は?知られざる忍者たちの苦悩

雑学カンパニー編集部

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忍者の忍術を記した教科書があるという雑学

忍者ほど世界的にも人気のある存在のものは、そうそうないのではないかと思う。人気がある理由は、あの忍装束や忍具、そして忍術を使うという人間離れした存在のせいであろうか

アニメや漫画では、派手な忍術や武器などを駆使したアクションを使うシーンが良く見られるが、もちろん本当の忍者がそんな人間離れした技を使えるわけではない。忍術や忍具は、君主などからの命令で行う特殊な任務をスムーズに行うために、工夫された実用性のある技が多い。

そのような忍術を集めた書物を「忍術書」と呼び、代々忍者の家系に伝えられてきた。いわゆる忍者の教科書だ。この中に、『万川集海(まんせんしゅうかい)』という忍術書がある。何を隠そう、情報量と実用性に優れており、実際に軍隊の教科書として採用されていたことがあるのだ

漫画の世界ではない、リアルな忍術を知れる忍者の教科書、『万川集海』についての雑学を紹介していこうと思う。

【歴史雑学】忍者の忍術を記した教科書「万川集海」

秀吉くん
忍術書っていうと、なんか一般人はできない術ばっかり載ってるっていうイメージっすよね。
信長さん
そういう誤解はあるな。ところが、『万川集海』という忍術書は戦時中に教科書としても使用されていたほど実用性があるものだったんだぞ。

【雑学解説】実用性に優れた忍術が記されている忍術書『万川集海』

かつて陸軍も参考にしたとされる、実用性に優れた忍術が記されている忍術書『万川集海』についてのトリビア

忍術書と一括りにいっても、各流派によって伝えられている忍術はさまざまで、そもそも忍術書が書かれるようになった時期は、江戸時代頃になってからである

リアルに忍者が活躍していた時代には口頭で忍術を教えていた。紙に記せば他所の忍者などに盗まれてしまう恐れもあるからである。

しかし江戸時代に入り、世の中が平和になると忍者は忘れられる存在になってしまう。のちほど詳しく書くが、忍者たちは後世に自分たちの技術を伝えられなくなることを恐れ、書物としてあえて忍術を残すことにしたのである

特に有名な忍術書『万川集海』

数多くの忍術書の中で、特に現代の我々にも伝えられている有名な忍術書である『万川集海』は、伊賀忍者の子孫・藤林保武(ふじばやしやすたけ)という人物が書いたといわれている

秀吉くん
伊賀忍者の子孫が書いた忍術書って聞くと、なんかすごそうなもん想像しちゃうっすよ!

忍術書は全22巻で構成されており、忍術や忍具はもちろん、忍者の基礎的な心構えまで書かれている。さらに凄いことに、伊賀だけではなく、甲賀や他流派の忍術まで全て網羅されている。まさに忍術の教科書ともいえる代物だ

タイトルの『万川集海』とは、忍者の流派を川になぞらえ、多くの川が1つに集まれば、やがて大きな海となるという意味を込めて付けられた

なぜ『万川集海』は忍者の教科書といわれているのか?

なぜ『万川集海』は忍者の教科書といわれているのか?というトリビア

藤田西湖

そして、『万川集海』が忍者の教科書ともいえる理由は、かつて日本が戦争をしていた昭和初期の頃、なんと陸軍がスパイ活動などの出来る人材を育てる陸軍中野学校で『万川集海』を写本したものをテキストに授業をしていたとか…。

先生は伊賀流の藤田西湖(ふじたさいこ)。実際の忍者から習うとは、何とも本格的な授業である。忍たま乱太郎もびっくりな、リアル忍術学園だ…。

信長さん
現代人の感覚からすると、ちょっとしたファンタジー的な要素もあるかもしれないな。

また、近年ではこの『万川集海』を読み解くことで、水の上を歩くことができたと伝えられていた「水蜘蛛」が、実は浮き輪のように使用されていたのではないか? など、新たな発見もされているなど、話題にのぼることの多い忍術書である。

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【追加雑学①】日本最後の忍者は、江戸幕府に『万川集海』を提出し、忍術存続を訴えようとしていた

日本最後の忍者は、江戸幕府に『万川集海』を提出し、忍術存続を訴えようとしていたというトリビア

忍術書は平和になった時代の忍者たちが、伝承の衰退を恐れて記したと先に書いたが、同じように事態を憂いた人物に、甲賀忍者の末裔である大原数馬(おおはらかずま)という人物がいた

なんとか忍者や忍術の衰退を阻止したかった数馬は、忍術存続の扶助を頼むために、『万川集海』などの忍術書を持ち、江戸まで行き幕府へそれら書物を提出したものの、結果聞き入れられることはなかったという。

数馬は甲賀へ戻り、忍術で得た薬の知識などを流用し、医学の方面で忍術を役立てる道を選ぶこととなった

戦国時代に刀や鎧などを制作していた鍛冶屋などが、江戸時代に入ると違う生き方を選ばざるを得なくなったのと同様、忍者も新しい生き方を見つけなければならない時代だったのである

秀吉くん
うーん…これも時代の流れってやつっすよね…。

【追加雑学②】忍者と泥棒の違いとは?その答えは『万川集海』に書かれていた

ところで忍者といえば忍装束を身にまとい、暗がりに隠れて、暗殺や物品を盗むなどの任務をこなしているイメージがあるかと思う。これって泥棒とどう違うんだ? と思ったことはないだろうか。

このことについてもしっかり『万川集海』には記されている。『万川集海』の第の2・3巻を割いてまで書かれている「正心」という、忍者の心構えがその答えである

決して忍術を私利私欲に利用してはならない、そうすれば泥棒と同じである…ということが書かれているのだ。常に正しい心をもって任務を行わなければ、何が正しく、何が悪いかの判別を付けられなくなるということだそうだ。

信長さん
欲におぼれてしまうと、任務ではなくただの犯罪行為となってしまうからな。
秀吉くん
これって、忍者の心得の基本中の基本ってことっすね。

私欲のために悪いことをすれば、たとえ忍者でも罰が当たるぞ…と、『万川集海』に書かれているのだ。

雑学まとめ

『万川集海』についての雑学、いかがだっただろうか。あらゆる流派の忍術や、忍具を網羅した忍術書『万川集海』は、実用性に優れた教科書のような忍術書だった

近代では『万川集海』は現代語訳されて、我々も読むことが可能となっている。忍者に興味がある方はぜひ目を通してみると良いだろう。

決して悪いことはせず、正しい心をもって行動することが、大切であるという『万川集海』の教えは忍者だけではなく、人間としてあるべき姿をも教えてくれる教科書なのかもしれない

秀吉くん
昔みたいな忍者はもういないっすけど、現代人でも学べることはありそうっすよね。
信長さん
そうだな、むしろ現代人が読むことで何か新しい発見があるかもしれないな。

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