「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」…月日というものは永遠の旅人のようなもので、やって来ては去り、去ってはやって来る年月も同様に旅人である――
松尾芭蕉による紀行文「奥の細道」の序文だ。さすが俳人、序文からポエミーでかっこいい。中学校で習ったのを、うっすらと思い出していただけただろうか。
そんな有名な「奥の細道」だが、その内容を見ると、普通の人間には少し厳しめの行程を踏破していた! そこから浮かび上がった、ある雑学とは…?
【歴史雑学】松尾芭蕉「奥の細道」の移動速度は忍者だった
【雑学解説】松尾芭蕉は忍者だったのではないかという説がある
まずは、「奥の細道」の内容について説明しよう。
1689年、松尾芭蕉は弟子である河合曾良(かわい そら)を連れて江戸を出発した。下野国(現在の栃木県)を通って太平洋側の東北地方を北上し、現在の青森県でUターンしたあと、日本海側の東北地方を南下。
北陸地方から近江国(現在の滋賀県)を通過して美濃大垣(現在の岐阜県)に入り、旅を終える、ということが、各地で詠まれた俳句とともに書かれている。
「夏草や 兵どもが 夢のあと」・「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」・「五月雨を あつめて早し 最上川」などの有名な俳句が誕生したのも、この旅の中でのことだ。美濃大垣出発後は「奥の細道」に記載はないが、1691年に江戸に帰還したといわれている。
ちなみに、「奥の細道」の最後が美濃大垣なのは、大垣には松尾芭蕉の弟子や友達がたくさんいたことと、行きたかった場所は全て巡ったからだそうだ。
芭蕉の移動距離と速度が忍者並み!
実は、松尾芭蕉は忍者だったんじゃないかという説がある。
松尾芭蕉が歩いたとされる総距離は、なんと2,400km! 直線距離にすると、東京からサイパンをちょっと過ぎたあたりまでだ。
しかも、この2,400kmの旅は約150日間で完了している。美しい景色を見て俳句を詠みながら、のんびり楽しく旅をした…というわけではなさそうだ。
2,400kmを150日間で歩いたとすると、1日16km。
16kmならいけるんじゃない!? …と思うかもしれないが、これは150日間ずっと歩き続けた場合。数日間旅先で逗留していたこともあり、その後はその遅れを取り戻すため1日に50km歩いた日もあるようだ。
また、芭蕉が江戸を出発したのは、彼が46歳頃だといわれている。
現在では、46歳はまだまだ元気なおじさんだと思われるが、当時の平均寿命は50歳! 現代では70歳以上のおじいちゃんのような感覚だ。
70歳のおじいちゃんだとしたら、1日16kmを毎日歩くだけでもすごい! よほど足腰の鍛えられた忍者のような人間でなければ成し得ない偉業じゃなかろうか。
この移動距離と移動速度が、芭蕉忍者説の根拠とされている。
スポンサーリンク
【追加雑学】松尾芭蕉スパイ説
芭蕉は幕府に認められた密偵だったのではないか、という説もある。
当時は旅をすると言っても簡単にはできず、各地の関所を通るのに通行手形が必要だった。この通行手形、言えば誰でも発行してもらえるわけではなく、もらえるのは幕府に認められた人物だけ。
「各地で俳句を詠むために旅行したいから、手形ください」と言ってももらえるものではない。
それに、総距離2,400kmの旅をするにはかなりの費用がかかる。芭蕉は「奥の細道」の他にも紀行文をいくつか書いているので、その出費は半端なかったはずだ。
しかし、そんな難しい条件をクリアできたのは、幕府の命を受けた密偵だったからではないのか…というのだ。
スパイ説の根拠は他にも!
「奥の細道」では、出発の際の有名な文言に、「松島の月まづ心にかかりて」というものがある。松島は仙台藩にあり、現在も日本三景のうちの1つに数えられている場所だ。
ちなみに、有名な「松島や ああ松島や 松島や」の句は、芭蕉の作品ではない。芭蕉は松島の景色に感動しすぎて、逆に何も書けなかったそうだ。
出発のときからすでに松島のことを考えていた芭蕉、松島のことがめちゃくちゃ気になっていたに違いない。しかし実際には、松島をさらっと1日で通過してしまった。仙台藩に入る前の黒羽という土地では10日以上も逗留していたのに!
そして弟子の曾良の日記には、瑞巌寺(松島町にある軍事的要素を盛り込んだ造りの寺)や港など、軍事拠点となりそうな場所をしっかり見物したということも書いてある。
このことから、ただ俳句を詠むための旅ではなく、仙台藩の内情を調査するための旅=スパイだったのではないかという説が出ているようだ。
雑学まとめ
今回は、松尾芭蕉に関する驚きの雑学を紹介した。現在のように舗装も何もされていない道を、約150日間で2,400kmも歩いたとされる、松尾芭蕉。
150日間徒歩の旅に出るのは今ではちょっと現実的ではないが、たとえば1日合計16kmを5ヵ月間毎日歩いてみると、芭蕉の苦労が少しわかるのではないか。「やっぱり芭蕉は忍者だったんじゃないか…」と、身をもって感じられるかもしれないぞ!
今回、日本の紀行文学の代表「奥の細道」には、ものすごい裏設定が隠されている可能性があるということがわかった。
江戸時代の俳人が残した名句とともに各地の情景に思いを馳せるのも、もちろんいい。しかし、「忍者のスパイ記録」として読んでみると、また違った楽しみ方ができそうだ。
おすすめ記事
-
実は苦労してました。松尾芭蕉は料理人をしていたことがある。
続きを見る