今回の雑学テーマは、今や当たり前の国民食となっているラーメンについて。
ラーメンが普及したのはおそらく戦後に入ってからだと思うが、なんと江戸時代に水戸黄門が食べたことがあるというのだ。そもそも江戸時代にラーメンがあったというのが驚きである。
筆者の父は2018年に還暦を迎えたが、初めてラーメンもとい中華そばを食べたのは中学生の頃だったそうだ。それほど希少だったラーメンを、あの有名な水戸黄門が江戸時代に食べていたなんて…。
【食べ物雑学】日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門(徳川光圀)
【雑学解説】水戸黄門がラーメンを作った経緯
調査の結果、水戸黄門が江戸時代にラーメンを食べたというのはおそらく本当だと判明した。
おそらくというのは、様々な文献や記録によると、状況的には食べた可能性は高いが、はっきり食べたかどうかまでは分からないということである。
まず、事の経緯から説明しよう。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」でお馴染み(え? 今の若い子は知らない?)の水戸黄門だが、正確には徳川光圀(みつくに)という名で、今でいう茨城県を治めていた偉い人なのである。
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その黄門様であるが、当時は儒学(中国に古くから伝わる学問)を熱心に勉強していたようで、長崎に亡命していた中国(当時は明)の儒学者をわざわざ水戸にまで招待したのだ。
そのときに明の儒学者から大陸の食文化を紹介され、そのなかにラーメンの原型となる料理も含まれていたというのが、説の根拠となっている。
実際にラーメンを食べたのかは分からないが、残っている記録では、水戸黄門は隠居後、自らが調理した中華の汁そばを家臣たちに振る舞ったそうだ。作り方を知っているなら当然、食べたことがあると考えるのが自然である。
ラーメンとは呼称しているが、いまの日本人が食べているものとは大きく異なるもので、レンコンから作った麺に汁をかけたような食べ物だったそうだ。
現代においては、茨城県の「大興飯店」という定食屋さんが中心となって、黄門様が食した「水戸藩ラーメン」を再現している。
値段も800円前後なので、茨城県を訪れた際はぜひ立ち寄ってみようと思う。茨城県公式観光情報サイトにも詳しく掲載されているので、気になった人は確認してみてほしい。
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【追加雑学①】日本で最古のラーメンは水戸黄門作じゃない?
調査の過程で判明したのだが、近年までは「日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門」という説があった。
つまり、前述した水戸黄門と儒学者が紹介した汁そばの話が、国内で最古のラーメンの記録だったという話なのだが、どうやら今では新説が浮上しているとのこと。
なんでも室町時代の資料に、京都の僧侶が中国のレシピを参考に、中華そばを客人に提供した記述があるそうだ。このことから、記録上ではこちらが日本最古を上書きしたことになる。
これはあくまで記録に残っているなかの話なので、もしかしたらこれよりも前にラーメンを食べたことがある日本人はたくさんいるのかもしれない。
ラーメン1つでも歴史ロマンを感じられるなあ…。
【追加雑学②】中華麺の定義とは?
ちなみに、皆さんはラーメンもとい中華麺の定義をご存知だろうか。
麺料理は色々な国にあるし、ここまで紹介した歴史に登場する中華そばも、実は日本のうどんやソバだったのではと疑問に思った人もいることだろう。
中華麺が日本の麺と違う要素は「かん水」を使っているかどうかである。かん水はアルカリ性の添加物を内包した水溶液のことで、これを小麦粉に加えることによって中華麺独自のコシや風味が出来上がるぞ。
先に紹介した室町時代の僧侶はこのかん水を使ったと見られることから、ラーメンを作ったと判断されたとのこと。
脱サラしてラーメン屋を始めるぜ! と意気込んでいる人はぜひ覚えておいてほしい。
「水戸黄門とラーメン」の雑学まとめ
今回は、水戸黄門が江戸時代にラーメンを食べたことがあるという説に始まり、ラーメンの歴史の一面を垣間見れたと思う。今や国民食であるラーメンは遠い昔から日本に伝わっていたのだ。なんとも感慨深い。
余談だが、筆者はこの雑学記事を書いている途中、例のごとくラーメンを食べたくなり、カップ麺にお湯を注いだ。
が! 書き終わる頃にはすっかり忘れてしまっていて麺がのびていたので、読者の皆さんはきっちり3分守ることを胸に刻んでほしい。
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