みなさんは宝くじを買う人だろうか。「研究を重ねて高額当選を狙ってる!」という人もいれば、「年に1回運試しで買ってるよ」という感じの人もいるだろう。
筆者はギャンブルが苦手なのでまだ一度しか買ったことがないが、それでも「当たってるかもしれない」というあのワクワク感は、ほかではなかなか味わえない。
そんな宝くじは、都道府県の自治体が銀行に業務委託し、販売しているのだが、実はその市場はみずほ銀行の独壇場ということを知っているだろうか。どうして? みずほって業界でそんなに権力あるの?
…と、思うところだが、これは権力うんぬんではなく、宝くじの登場にみずほ銀行が深く関わっていたからだ!
【生活雑学】みずほ銀行だけが宝くじを売っている理由とは?
【雑学解説】みずほ銀行と宝くじの関係
みずほ銀行が宝くじを売っている理由を簡単に説明すると、戦後、1945年に宝くじが登場した際、みずほ銀行の前身である日本勧業銀行が都道府県から委託を受けて販売し始めた名残りだ。
そもそも宝くじは戦後の復興資金を調達するために作られたもの。なぜ日本勧業銀行に白羽の矢が立ったかというと、当時行員だった「片岡一久氏」が宝くじをプロデュースしたからだ。
なんでも、番号の方式や、10枚買えば1枚は必ず当たる仕組みを考えたのも片岡氏だという。なるほど、それなら開発した流れで「販売業務もやっちゃってよ!」と自治体がお願いするのも納得である。
そして度重なる合併の末、みずほ銀行となった現在でも、引き続いて委託を受け続けている。要するに自治体がみずほ銀行に業務委託するのは、もはや恒例行事みたいなものなのだ。
みずほ銀行以外の銀行も宝くじを販売していいが…
みずほ銀行に委託するのが恒例になっているといっても、自治体はほかの銀行の参入を受け入れていないわけではない。いつも宝くじ発売の3ヵ月前には委託先の募集を行っているものの、どこの銀行も応募しないのである。
国を挙げての一大事業なのに携わりたくないのか? と思った人もいるかもしれない。しかし実は宝くじの販売業務は、多大な労力が必要となる割に、銀行側の儲けは微々たるものなのだ。
販売金額の配分は以下の通り。
- 当選金…46%
- 自治体の取り分…40%
- 販売経費…14%
- 銀行…7%
仮に1億円分宝くじを売っても、銀行には700万円しか入ってこないということだ。
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ちなみに販売に関して銀行が担当する業務はおおまかに、以下のような感じである。
- 印刷の発注
- 抽選機材の発注
- 広告宣伝の発注
- 都内の業務センターから各支店への運送の依頼
- 宝くじ販売業者への受け渡し
- 余りくじの回収
販売業者への受け渡しだけでも数千店という数になるし、それこそ昔からコネクションのあるみずほ銀行だからこそ回せる業務といえるだろう。取り分が7%では、手を挙げる銀行もないはずである。
またコストを削減して経費を浮かせたとしても、浮いた分は自治体へ返還しなければいけないことが法律で決められている。どう頑張っても取り分は増えないのだ。
ニュアンス的には、ビジネスではなく、慈善事業としてみずほ銀行が関わっているという感じか。
【追加雑学】宝くじのモデルは江戸時代の「富くじ」
正式に「宝くじ」という名称で発売されたのは1945年のことだったが、その起源は江戸時代に流行した「富くじ」にあるという。
1620年ごろ、富くじを最初に始めたのは大阪府にある瀧安寺(りゅうあんじ)だとされる。当初は金銭が当たるようなことはなく、当選者には寺の御守りが渡されていたという。縁日で売っているくじと同じような感じか。
くじの方法も、名前を書いた木札を箱に入れて、キリでついて当たった人が当選と、かなり原始的だ。
しかし次第に各地で富くじが流行り出すと金銭が絡むようになり、ギャンブル性が高まっていく。これによって一時は幕府が禁止令を出すほどの事態になったのだとか。
その後は寺社の修復費を調達する目的においてのみ、実施の許可が降り、明治に入るまで行われていたという。
なるほど、「寺社の修復費の調達」という部分が、「自治体の公金を集める」という現代の目的とリンクする部分がある。そこから「宝くじのモデル」といわれているのか。
「みずほ銀行と宝くじ」の雑学まとめ
宝くじの販売を主にみずほ銀行が受け持っているのは、戦後に宝くじのプロデュースをした人物が、前身の銀行の行員だったことからだ。それ自体は偶然だったかもしれないが、ほかの銀行が躊躇するような激務を何十年に渡って引き受け続けている事実には感服する。
行員たちもきっと大変だという以上に、誇らしい気持ちで働いているのだろう。たぶん。