現代に続く看護の基礎を作った人物として名高い、クミリアの天使・ナイチンゲール。
もはや知らない人はいない偉人である。下ネタが思い浮かんだ人は精神年齢が小学生なので、いい加減卒業しよう!
ところでこのナイチンゲールについて、具体的に何をしたのかを知っている人は、意外に少ないんじゃないか。その逸話を辿ると、現代医学の発展は彼女なしにあり得なかったことがよくわかるぞ。
今回はそんなナイチンゲールの雑学をたっぷりと紹介しよう。
【歴史雑学】ナイチンゲールの看護・功績・逸話とは…?
【雑学解説】看護業界に革命を起こしたナイチンゲールの生涯
フローレンス・ナイチンゲール。1854年~1856年に起こったクリミア戦争にて、負傷兵の看護を牽引したイギリス出身の看護師である。
その慈愛に満ちた姿から「クリミアの天使」、もしくは夜遅くまでランプ片手に見回りを行っていたため「ランプの貴婦人」などと呼ばれた。
そこまでの異名で飾られた彼女はどんな看護師だったのか、その経緯をまず辿ってみよう。
蔑視されていた看護師を志すナイチンゲールに家族が大反対
ナイチンゲールが看護師を志したのは25歳のころ。神のお告げを聞いて決意を固めたというが、彼女は兼ねてから慈善訪問などを通し、貧しい人に奉仕できるような職に就きたいと考えていた。
そう思うとこれはスピリチュアルなものではなく、長年考え続けてきた答えが出たということだったのではないか。
ただ…当時の看護師というのは、主に男性の仕事とされており、女性がそこに行き着くことは、ほかに働き口がないと言っているようなものだった。
専門教育も必要のない雑用みたいな感じだとされていたというから、開いた口が塞がらない。現代で看護師になろうと思ったらめっちゃ大変なのに…。白衣の天使ってなんですか? 状態である。
ナイチンゲールは貴族家系だったため、このような事情のあった看護師への就職は家族から猛反対された。幼少期から勤勉で優秀だった彼女が、わざわざ蔑視されるような仕事に就かなくても…といったところか。
このこともあって看護師の夢はなかなか叶わなかったのだが、30歳のころ、彼女はいろいろ理由を付けて、強引にドイツの看護師訓練校に入学してしまう。
こうして紆余曲折ありながらも、ナイチンゲールは看護師になることができたのだ。
無給で看護師を務め、婦人病院長に上り詰める
看護師となったナイチンゲールは1851年よりロンドンの病院で働くようになるが、ここで過ごした数年間は無給である。この病院は恵まれない人たちのために建てられたもので、看護師といってもボランティアのような感じだったのだ。
ただ生活費だけはかかるため、これを父が援助してくれた。家族みんなが反対するなか、お父ちゃんは唯一の理解者だったのだ。
一方、「反対を押し切ってまで就職しておいて、どんな有様だよ…」とでもいうように、姉や母とはどんどん険悪になっていった。辛いなあ…。
この病院での経験により、ナイチンゲールは看護には専門知識が必要だという考えを強固にしていき、看護教育の普及を推進するようになったという。
そんな彼女に転機が訪れたのは1854年のこと、この年に勃発したクミリア戦争の負傷兵の看護が行き届かず、悲惨な状態になっているというニュースが飛び込んでくるのだ。
この惨状を解決すべく、シドニー・ハーバート戦時大臣は、ナイチンゲール率いる看護師団の従軍を命じる。といっても、このハーバートさんとは友人関係で、お願いみたいな感じだったようだけど…。政治家と友だちって…やっぱり生まれはすごくいいのね。
という感じで、ナイチンゲールは現在のトルコにあたるスクタリの仮設病院で働くことになるのだが、現地の悲惨さは想像を絶するものだったのだ。
死亡率40%の惨状を3ヵ月で2%まで引き下げた
ナイチンゲールが赴いたスクタリの病院は、一言でいって最悪の状態だった。
治療法も乏しく、負傷兵の扱いはぞんざい。下水の溜池の上に建てられており、不衛生で感染症がはびこり、患者の死亡率は約40%。およそ病院とはいえないような場所だったのだ。入ったら半分死んだみたいなもんだよね…。
しかも軍医たちは看護師を蔑視しているため、「看護師なんかいらんがな」と、看護師団が関わることを拒否する始末。この対応には、本国に「問題ありません」と報告しているため、看護師に現状を知られるとまずいという考えもあった。もうめちゃくちゃである。
この状況に直面したナイチンゲールは、さすがとでもいうべきか、半ば強引に病院に押し入り、環境を整えるべく奔走しはじめる。
決めてとなったのはヴィクトリア女王による命令書。ナイチンゲールは現地の状況を報告する手紙を女王に送り、軍医たちに自分たちの活動を認めさせるよう、協力を訴えかけたのだ。女王様のお墨付きとあっては、さすがの軍医たちも邪魔するわけにはいかない。
こうしてナイチンゲールによって徹底的な改変が行われたスクタリの病院では、わずか3ヵ月ばかりで死亡率が2%まで下げられた。
ナイチンゲールは戦地で多くの命を救っただけでなく、このような数字的事実を示すことで、看護の重要さを世間に認識させたのだ!
病床に伏しても生涯続いた奉仕活動
戦争終結後のナイチンゲールは、過労によって37歳のころに体調を壊してしまい、なんと以降約50年、ほとんど寝たきりの生活を強いられることになる。
こういったことから、彼女の活動は書籍の執筆などで医療改革を訴えることに切り替えられたわけだが、むしろこの行動によって、ヨーロッパの医療が変わっていったといえる。
看護師として働いた期間はわずか数年。しかしナイチンゲールの医学界に対する働きかけは、生涯続いたのである。
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【追加雑学①】ナイチンゲールご行った看護とは…?
ナイチンゲールが戦地の病院で行ったことは、ざっと挙げるとこんな感じ。
- なだれ込んでくる負傷兵が多すぎるため、24時間不眠不休で看護、包帯を巻くために8時間も床に膝をつき続ける
- 食事や関係者以外の人の出入り、清掃などの衛生面を徹底的に管理
- 足りない医療品や医師を自費や寄付でまかなう
- 惰性な仕事を行う軍医たちに圧力をかけるため、情報誌に状況をリーク
- 患者の退屈しのぎに本を充実させ、字が読めない者のための学校を作る
3ヵ月で死亡率が激減したこともうなずける行動力。はっきりいってひとりでここまでできるのは常軌を逸している…。
なりふり構わず看護に打ち込むその姿から、負傷兵達たちは口々に「天使を見た」と言った。これが彼女がクミリアの天使と呼ばれる由来だ。白衣の天使という言葉もここからきたものである。
ナイチンゲールの示した看護の定義
ナイチンゲールの著作のなかでも、1860年発行の『看護覚え書』は、今なお多くの医療従事者のバイブルとなっている。この書物では「看護とは何か」という、彼女から看護に従事する人たちへのヒントが示されているのだ。
細かく見ていけば、研究者によって解釈が違う部分も出てくるのだが、共通しているのは
「看護とは、患者の自然治癒力を手助けする行為である」
ということだ。これは一見当たり前のことを言っているように見えて、実は奥が深い。
たとえば骨折などでリハビリが必要な患者さんがいたとして、ベッドから立ち上がるのを手伝うのは、看護師の役目のように思える。しかしそれが患者さんの回復の手助けになるかどうかはケースバイケースだ。
患者さんの状態を見て、筋力を鍛えなければならないなら、立ち上がるのを手伝うのは回復を逆に阻害する行為になる。しかし無理に自分で立ち上がろうとすると怪我が悪化してしまう状態なら、手伝うことが回復の手助けとなる。
仕事となれば、上司から言われたことをこなすだけになってしまう場面はけっこう多い。状況次第では、それが患者のためにならない場合もあることを心がけなければいけないと、ナイチンゲールは示したのだ。
【追加雑学②】ナイチンゲールの功績
ナイチンゲールは看護師としてもすごかったが、その功績の大部分は戦後、病床に伏してからの著作物にある。
特に近代医学の進歩に貢献したのは、彼女が戦地から戻った際に政府に提出した、戦死者の死因を分析した報告書だ。多数の死者について詳細に究明されたそれは、なんと900ページにも渡る膨大な資料としてまとめられていた。
ナイチンゲールは幼少から統計学に精通していたこともあり、グラフを使ったわかりやすい解説もこの報告書の理解を助けた。統計表を使った医学書は史上初であり、のちに彼女はイギリスやアメリカの統計学会にもメンバーとして選ばれている。
ナイチンゲールはただの「戦争でめっちゃ治療頑張った人」じゃなくて統計学とプレゼンテーションのパイオニアだった
画像はナイチンゲールが作ったグラフ(粗い…) pic.twitter.com/kwGHD8DKS1— NKさん@まいにち場合の数(みんはや) (@kk9687) August 16, 2019
この研究によって、戦場での死因は負傷ではなく、衛生面や換気、病気の感染や栄養不足などが大多数であることがわかった。これらに気を配るのは、すべて現代の看護師の仕事である。
ナイチンゲールの報告書は看護の重要性を人々に気付かせ、病院の体制は大きく変えた。ここから看護師のイメージも向上していくのである。
この後も彼女は生涯に渡って150もの書籍、1万以上の書簡を残し、世界に向けて、医学界を改変しようと働きかけ続けた。ナイチンゲールの一番の功績は、高い教養を駆使し、医学界の常識をくつがえしたことにあるのだ。
【追加雑学②】ナイチンゲールのスゴい逸話
ナイチンゲールの行動力はおよそ只者ではなく、その行動を辿ってみると驚かされる逸話がいくつも出てくる。なかでも特に興味深いものをいくつか紹介するぞ!
ナイチンゲール・怒りの鉄拳
天使の異名をもつナイチンゲールだが、その性格には、実はバイオレンスな一面がある。
ナイチンゲールが務めたスクタリの病院では、常に医療品が不足している状況にあった。これは単に物がないという事情だけでなく、軍医たちの管理体制が関係していた。
委員会の許可なしに予備の医療品を使ってはいけない規則を理由に、患者が苦しんでいても医療品を支給しない。使うべきときに使わなければ医療品の意味などないのに、融通の利かないことったらない…。
この状況に憤慨したナイチンゲールはあるとき軍医に詰め寄り、予備の医療品の箱を開けるように要求する。しかし、軍医はナイチンゲールを見下すようにこう吐き捨てた。
「次は3週間後。許可が下りないと箱は開けられないよ」
するとナイチンゲールは医療品の箱を拳で叩き割り、一言。
「3週間後? 今、開いたじゃない」
こう言ってそそくさと、医療品を持ち去ったのだ。男前すぎ…。
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大人を従えて子犬を治療
偉ぶった軍医を屈服させてしまうナイチンゲールの威圧感は、幼少期からすでにその影を見せていた。
彼女が初めて治療したのは、少女のころに散歩をしていて出会った子犬だったのだが、そのときの逸話がまたすごいのだ。
足を骨折した子犬を見つけたナイチンゲールは、すぐさま近くにいた牧師に「手伝いなさい」と命令。あまりの威圧感に気おされ、牧師はただただ従うしかなかったという。
患者を救うことが第一。緊急事態に大人も子どもも関係ないと言わんばかりである。
こうして添木の治療をしてもらった子犬は、無事に野に帰っていった。「助けてくれたのはありがたいけど、あのお嬢ちゃん怖えわ…」なんて思われていないだろうか…。
教養がハンパない
貴族家系で裕福な幼少期を過ごしたナイチンゲールは、かなりの英才教育を受けて育っている。
その教育範囲は、複数の外国語から天文学や心理学、果ては美術や音楽などの芸術的分野まで多岐に渡っていた。文字通り天才少女で、論理的に納得できないことがあれば大人相手でも議論をふっかけるほどだ。
献身的働き続ける精神力や、施設の細部にまで目が届く頭の回転はこの幼少期に養われたのだろう。しかも習わされていたのかと思えば、彼女自身が進んで学問に打ち込んでいたといい、なかでも系統したのが統計学だ。
これに関しては、ベルギーの天文学者アドルフ・ケトレの「ライラックの法則」を知ったときの逸話がおもしろい。
この法則に感動したナイチンゲールは、姉や友人などにライラックの花をプレゼントし、「これがケトレ先生の法則よ!」と大はしゃぎだったという。事情を知らなければ、「勉強のしすぎでついに頭がおかしくなったのか?」と思われかねない。
ちなみにライラックの法則とは…
「霜の降りなくなった日から数えて、1日の平均気温の2乗を合計していく。この合計が4264を超えたときにライラックの花が咲く」
…というもの。間違っても子どもが喜ぶような内容ではない。
3度もプロポーズされたのに生涯独身
ナイチンゲールの写真は看護師としてのものが多く、そのほとんどが厳格な表情だ。失礼を承知でいえば、あまり美人という印象はない。
しかし実は、令嬢だったころの彼女は表情も柔らかく、誰もがうらやむスレンダー美女。男性からのプロポーズを3度も経験しているほどのモテモテっぷりだった。
婚約者もいたのだが、看護師の夢に目覚めると、その道に専念するためにこれも破棄してしまう。いいとこのお嬢さんとしては奇行も奇行である。
結局、看護師をしていた期間は数年間だったわけだが、その後も執筆活動に専念するため、ナイチンゲールは90年間の生涯で一度も結婚をしなかった。
結婚したほうが、旦那さんが活動を支えてくれるようにも思うのだが…当時の夫婦事情的に、そうもいかない感じだったのだろうか?
【追加雑学③】ナイチンゲールの誕生日は「看護の日」
看護師を象徴する存在であるナイチンゲールは、誕生日がそのまま記念日になっている。毎年5月12日は「看護の日」。海外では「国際看護師の日」「国際ナースデー」などとも呼ばれている。
"みんなで看護職への理解を深め、その社会的評価を高めていこう"と制定されたもので、まさに看護の重要性を世に訴えかけたナイチンゲールの名にふさわしい記念日だ!
国際看護師の日は1974年、国際看護師協会によって制定されたもの。これを参考にして、日本では1990年に看護の日を制定。翌年1991年から、5月12日を含んだ1週間を看護週間とし、看護職への理解を促すイベントなどが行われている。
5月12日は「看護の日」です。
5月12日を含む日曜日から土曜日を「看護週間」としています。
2020年は、5月10日(日曜日)~16日(土曜日)が「看護週間」です。「看護の日・看護週間」の詳細は公式Webサイトからご確認ください。https://t.co/2uKXLpZ77E pic.twitter.com/xMWtm2YELS
— 公益社団法人日本看護協会 (@kangokyokai) May 10, 2020
ナイチンゲールは現代でも看護の重要性を思い起こすきっかけとして、人々の生活のなかに残り続けているのだ!
ナイチンゲールのランプは看護師のシンボルに
ナイチンゲールに関するもので、もうひとつ看護師のシンボルになっているものがある。夜ごと患者たちを見回るために使われた彼女のランプが、「国際看護師協会」「日本看護協会」のロゴに使われているのだ!
日本看護協会のマークってランプじゃん‼︎ pic.twitter.com/O6hgEINCOr
— naochan (@lovehorse0730) May 16, 2018
このように看護業界では、いたるところにナイチンゲールが根付いている。やっぱり存在感がすごい!
ナイチンゲールの看護・功績・逸話|雑学まとめ
今回はナイチンゲールの看護・功績・逸話に関する雑学を紹介した。
看護師として現場を走り回った期間は数年だったが、看護師でなくなってからも、彼女は生涯をかけて看護業界の改革を行った。
その想いは現代に受け継がれ、今日も看護師さんたちは患者さんのサポートにひた走る。当たり前でなかった時代を思うと、ナイチンゲールの偉大さはもちろん、看護師さんへの感謝の気持ちも一際強まるよね。
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