11月22日は「いい夫婦の日」、11月29日は「いい肉の日」など、記念日には語呂合わせのものが多い。記念日を決めているのは日本記念日協会だが、この組織は、とある放送作家が作ったものなので、語呂合わせの記念日が多いのにも納得いくものがある。
さて、そんな語呂合わせの記念日のなかでも「2月22日」といえば、何の記念日かご存知だろうか? 「ニャンニャンニャン」で「猫の日」と答えたアナタ。それも正解である。
しかし、2月22日は猫の日だけでなく、「ニンニンニン」から「忍者の日」でもあるのだ! そして、忍者といえば、伊賀忍者と甲賀忍者が有名であり、現在でも三重県の伊賀市と滋賀県の甲賀市は忍者にまつわる地として有名である。
そして、その両市にとって忍者の日は特別な記念日であり、さまざまな活動を行なっているのだ。そこで今回の雑学では、伊賀市と甲賀市の忍者の日にまつわるエピソードなどを紹介していきたい。
【生活雑学】伊賀市と甲賀市では2月22日は「忍者の日」
【雑学解説】伊賀市と甲賀市による忍者の日の活動
2015年に認定された「忍者の日」だが、そもそも、この日を「忍者の日」として申請したのは伊賀市でも甲賀市でもない。「忍者の日」を申請したのは、忍者をテーマにしているレストランで忍者ショーを運営している株式会社グラフィクスアンドデザイニングである。
しかし、忍者の日が制定されるとあっては、伊賀市も甲賀市も黙っているわけにはいかない。初の忍者の日となった2015年2月22日に、両市は共同で記念式典を開催しているのだ。
動画を見てもわかるように、式典には両市の市長が忍者装束で参加するなど、とてもノリノリである。そして、伊賀市と甲賀市は、忍者の日の制定をキッカケにさまざまな活動を始めているのだ。
伊賀市の取り組み
まず伊賀市は、2017年の「忍者の日」に「忍者会議」を開いて「忍者市宣言」を可決。この忍者会議では、市議会議員が忍者装束に身を包んだことが話題となった。
そして、2019年の忍者の日には、市内にある伊賀鉄道上野市駅を「忍者市駅」と改名し、さらに伊賀線の愛称も「忍者線」としている。
甲賀市の取り組み
一方、甲賀市では忍者の日になると市の職員が忍者装束で業務にあたっている。さらに、市内の駅職員も忍者装束で業務に臨むなど、この日は街中に忍者があふれ、まさに忍者の街となるのだ!
さらに、学校給食にも忍者をイメージしたメニューが出されたり、市内に設置された信楽焼のタヌキが忍者バージョンになるなど、市内のいたるところで忍者がピックアップされている。
このように、伊賀市と甲賀市はいたって真面目に忍者の日を盛り上げているのだ! 今後、両市がどのような形で忍者の日を盛り上げていくのか、楽しみである。
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【追加雑学①】本当は仲がよかった!?伊賀忍者と甲賀忍者の関係
マンガ「忍者ハットリくん」や「猿飛佐助」などのフィクションのイメージから、伊賀忍者と甲賀忍者は歴史的に対立関係にあった…と考えている人は多いのではないだろうか?
だが、現実には伊賀と甲賀は山を隔てて隣り合っており、同業者として良好な関係を築いていたようなのだ! では、フィクションにおいて、伊賀と甲賀はなぜ対立関係として描かれるようになったのか?
まずは、伊賀忍者と甲賀忍者の歴史的な立ち位置を説明しよう。
戦国時代において織田信長と対立していた伊賀忍者は、1581年(天正9年)の天正伊賀の乱において壊滅状態となり、織田信長のあとを継いだ豊臣秀吉とも対立していた。
しかし、その後、伊賀忍者の頭領である服部半蔵が徳川家康に仕えたことから、多くの伊賀忍者が徳川家で活躍するようになったという。
かたや、甲賀忍者は織田信長と協力関係にあり、豊臣秀吉とも良好な関係を築いていた。そして、大阪の陣において豊臣家と徳川家が対立したことから、伊賀忍者と甲賀忍者が対立関係にあるとされたのだ。
大阪の陣によって豊臣家は滅び、徳川家が天下を獲ったことから、フィクションでは「伊賀=善、甲賀=悪」というイメージで描かれることが多くなったという。
しかし、実際の伊賀忍者と甲賀忍者は同盟して一揆を起こしたり、お互いが婚姻関係を結んでいる例も多いらしい。また、徳川幕府において江戸の警備を担当するなど、要職に就いていた甲賀忍者も存在していたそうだ。
つまり、フィクションで語られているような伊賀忍者と甲賀忍者の対立関係は、実際にはなかったというのが真相のようである。
先ほど紹介した動画でも、伊賀市と甲賀市の両市長が共同で忍者の日を盛り上げていたが、これは「歴史的和解」ではなく、むしろ通常営業だといえる。
【追加雑学②】松尾芭蕉は伊賀市出身
日本でもっとも有名な俳人の1人といえば、松尾芭蕉である。そして、この松尾芭蕉は伊賀の出身だったのだ。
松尾芭蕉に関しては、伊賀の出身であることや「おくのほそ道」の移動速度から忍者だったという説や、若かりし頃に料理人をやっていたというユニークなエピソードもある。
詳しくは、上記のトリビアを確認してほしいが、松尾芭蕉は忍者の里出身にふさわしい、謎の多い人物だったようだ。
雑学まとめ
今回の雑学はいかがだっただろうか。単なるダジャレから付けられたとしか思えない「忍者の日」を、ユーモアを交えつつも真面目に取り扱う伊賀市と甲賀市の姿勢には、とても感心させられてしまった。
忍者といえば「クールジャパン」を代表するコンテンツでもあるので、この面白くも真面目なスタンスを維持し続けて、外国人観光客に対しても「忍者の街」をアピールしてほしい。
そして、忍者に興味がある方は、ぜひ忍者の日に伊賀市や甲賀市へと足を運んでいただきたい。きっと、江戸時代にタイムスリップしたような気分になれるだろう。