薪を背負って、歩きながら本を読んでいる姿がお馴染みの二宮金次郎。ひと昔前は小学校に守り神かのように銅像が立っていたが、近年は歩きスマホなどの「ながら行動」を助長する…のような声もあり、撤去されているところが多い。
ちょっと寂しい話ではあるが、ここで気になることが一つある。金次郎は一体、何をそこまで熱心に読みふけっていたのだろうか?
もしかすると、漫画だったなんて可能性もある。ゲームの攻略本だった、なんてことはないだろうか。仕事の合間にもそれらを読んでいたとしたら、相当なオタクである。
…冗談はさておき、今回は二宮金次郎が読んでいた本について、詳しく迫ってみた。さらに、二宮金次郎にまつわる雑学もあわせて紹介していくぞ!
【歴史雑学】二宮金次郎が読んでいる本は?
【雑学解説】二宮金次郎が読んでいる本は人間学の古典「大学」
二宮金次郎は江戸時代の後期に活躍した経世家…つまり経済的な観点から貧しい人たちを導き、救った人物だ。今でいうと政治家のイメージが近いだろう。そういった活躍を見せた二宮金次郎は、若いころから本を読んだり、勉学に励んでいた。
金次郎が薪採りをしながらも読んでいた本に関しては、弟子の富田高慶(とみたこうけい)が残した金次郎の伝記「報徳記(ほうとくき)」に記述がある。
報徳記によると、その書物は中国の春秋時代の思想家、孔子の弟子である曾子(そうし)が記した「大学」という作品だとのことだ。
曾子は孔子の教えである儒学を受け継ぎ、様々な文献を残した。その中でも「大学」は、人としてどうあるべきかを説いた、人間学を記したものだ。
つまり二宮金次郎がこれを熟読していたということは、彼の人となりにこの書物が影響を与えていることにもなる。
逆境をくつがえし、多くの人を救った二宮金次郎の人となり
二宮金次郎は裕福な家庭に生まれながら、災害による貧困に見舞われ、父も母も幼いころに亡くしている。その逆境にありながらも、貧困に見舞われた実家を自らの手で立て直した。とてつもない根性の持ち主だ。
評判を聞きつけた小田原藩の家老、服部十郎兵衛の依頼で、服部家の立て直しに携わったことをきっかけに、その名はさらに広がっていく。結果として生涯に渡って600以上の荒廃した村を救ったのだ。まさに救世主である。
その功績を考えれば、二宮金次郎が肌身離さず読んでいた「大学」が、いかに優れた書物かということがわかる。そして中国の宗教である儒教が、日本でも多くの人に影響を与えていることにも納得がいくというものだ。
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【追加雑学①】二宮金次郎は夜に本を読むのに、自分で育てた菜種から油を搾って灯を起こしていた
薪採りをしながらでも本を読んでいた二宮金次郎は、よほど勉強熱心だったのだろう。仕事が終わった後の夜も、やはり本を読んでいたのだが、夜に本を読むには灯りが必要だ。
彼は燈油を使って灯りを起こしていたが、一緒に暮らしていたお祖父さんに、燈油を無駄遣いするなと怒られてしまう。
灯りも自由につけてはならないのか! と、苦言の一つも言いたくなるが、当時二宮金次郎は貧困の身。きっと切り詰めた暮らしを強いられていたのだろう。
しかし彼はそれでも、夜に本を読むのを諦めなかった。気合いで読んだのである! …というのは嘘だ。燈油を使うのを禁じられた彼は、変わりになるものを探した。空き地に菜種を植えて育て、その菜種から絞った油で灯を起こし、本を読んだのだ!
これも金次郎の優れた人となりを物語るエピソードだ。思い通りにいかないことに文句をいうのでもなく、諦めるのでもない。無いのなら有るもので工夫をするのだ。現代に置き換えても、見習える部分は大いにあるのではないだろうか。
【追加雑学②】二宮金次郎の本を読む姿にはモデルがいた
二宮金次郎が薪採りをしながらも本を読んでいたことは確かだが、歩きながら読んでいたかどうかは、実は定かではない。報徳記に書かれている内容は、肌身離さず持っていたというだけで、歩きながら読んでいたという記述はないのだ。
二宮金次郎が歩きながら本を読む姿が描かれるようになったのは、明治24年。小説家の幸田露伴(こうだろはん)が、報徳記を元にした「二宮尊徳翁」という書物の挿絵に、その姿を描いたのが始まりだ。金次郎が死没した、安政3年から30年以上も後のことである。
伝記の中でしか金次郎を知らない露伴の描くその姿は、想像でしかない。そして想像で描かれたその姿には、実は金次郎以外にもモデルがいるという話だ。
モデルになったのは、イギリスの文学者、ジョン・バニヤンの書いた宗教書「天路歴程」に登場する少年だといわれている。
天路歴程は、苦難と葛藤に立ち向かい、自分の理想を追い求めていくキリスト者の人生が描かれた物語だ。この物語の挿絵で少年は、大きな荷物を背負って、歩きながら聖書を読んでいる。
天路歴程は日本でも翻訳されて出版されたのだが、再版されるうちに少年が和服になっていったとのこと。…日本人向けに作るからといって、キリスト者が和服を着ているのは変だと思うのだが。
少年が読んでいたのは聖書で、金次郎が読んでいたのは儒教の一部である大学。それぞれ宗教は違えど、人としてどうあるべきかを追求しているという点では、二人に差はない。
露伴はきっと、そんな二人それぞれに対して、感銘を受けてその姿を描いたのではないだろうか。
雑学まとめ
二宮金次郎についての雑学を紹介したが、いかがだっただろうか。二宮金次郎は歩きながら本を読む姿がお馴染みになるぐらい、日常的に勉学に励んでいた。つまり彼はそれを習慣としていたのだ。
二宮金次郎の姿が物語るのは、一生懸命勉強すれば立派な人物になれるというよりは、習慣が人をかたちづくるということではないだろうか。
テスト前の一夜漬けが、その場しのぎにしかならないように、一次的に頑張ったとしてもあまり意味をなさないことは多い。続けていくことこそ難しいし、大事なのだ。